第三百七十二話 奇 策 (きさく)
「やあああああああ!!!!」
ジェスールの手に握られた木剣は身体の前面で大地と水平に構えられている。
それが頭上から振り下ろされる棒を受け止めるためであることは一目瞭然だった。
エデンの真っ向斬りを正面から受け、そのまま力任せにはじき飛ばす。
それが彼の狙いなのは、日々の稽古で痛いほど思い知らされている。
ジェスールによって、何度手にした棒をはじかれたことだろう。
九日の稽古の期間中、エデンの攻めが彼の身体に届いたことはほんの数度だった。
それも彼があえて隙を作って打ち込ませてくれたときのみで、試合形式の稽古では一度も有効打を与えられてはいない。
油断や余裕——教えを授けてくれた相手に対して使いたい言葉ではなかったが、実力に大きな開きのある彼と相対する以上はそこに付け込むより他に勝利を得るすべはない。
真正面にジェスールを捉えたまま、エデンは棒を構えて大地を駆ける。
間合いを詰めたところで頭上高くかかげたそれを振り下ろす——と見せかけ、手にしたそれを後方深く引き込んだ。
そのまま歩幅を広く取ると、腰の回転を使い、その胴目掛けて全身全霊を込めて横ざまに振り抜く。
ジェスールはエデンの動きの変化を見て取るや、即座に木剣を構え直す。
エデンの繰り出した全力の横なぎよりも、ジェスールが大地と垂直に木剣を構え直すほうがわずかに早かった。
守りの構えを取りつつ笑みを浮かべるジェスールを前にし、エデンは彼がカナンの言っていた通り、自身の誘いに乗ったことを認めていた。
手にしていたのが真剣であったなら、その立ち回りは不可能だっただろう。
吠人たちが手にしているような重量のある木剣でも、エデンの腕力ではそれを成し遂げることは難しかったに違いない。
だが今エデンの手にあるのは、木剣よりも細く軽い木の棒だ。
繰り返し振り続けてきたことである程度自由に扱えるようになったそれを、エデンはジェスールの守りと交わる直前に寸止めする。
そして再び刃と身体を同時に後方に引き込むと、頭上高く振り上げた棒を渾身の力を込めて振り下ろした。
「うわあああああああああっ!!!!」
ジェスールの顔に驚愕の色が宿るところをエデンは見逃さない。
にわか仕込みの横なぎでは、幾ら意表を突こうとも手練れのジェスールには届かない。
鉱山での暮らしの中で図らずも身に付いた振り下ろしの一撃、それこそが彼に届くただ一つの技であり、今の実力でジェスールから一本を得るためにできる唯一の手法だとカナンは語った。
ジェスールが受けに回ってくれるという大前提を必要とするものの、彼ならば必ずそうするだろうとカナンは確信していた。
だがやみくもに振るっただけでは届くものも届かない。
得手の真っ向斬りで攻めると見せかけ、直前で横なぎの一撃に攻め手を切り替える。
しかしそれも駆け引きの一つであり、最後は裏の裏をかき、真っ向斬りをもって決着を付ける——それがカナンが考えた勝利への道筋だった。
敵だけでなく味方をも欺くと語ったカナンの言葉は偽りではなく、エデンも直前まで横なぎの一撃で勝負を決めるつもりでいた。
彼女の口からこの策を明かされたのは昨夜のことで、エデンはひどい動揺を覚えたものだった。
だがその作戦に腑に落ちる思いを覚えたのも真実で、同時に駆け引きの上ではあったがジェスールの認めてくれた技で勝負に臨めることにも納得を感じていた。
それすらもカナンの策と考えると舌を巻くばかりだが、それが稽古をすることを決めたあの夜から始まっていたと知ったときには言葉を失った。
「どうせどこかで見ているさ」
いつかの夜に耳元でささやかれた言葉の意味にエデンが気付いたのはつい先ほどのこと、横なぎを放とうと棒を引いた際にジェスールの見せた待ち受けるような表情を目にしたときだった。
届いたと、確かにそう思った。
固く握り締めたた棒がその屈強な肩を打つ手応えを感じたように思えた。
だが振り下ろされた木の棒はジェスールの身体を捉えてなどいなかった。
彼が陽動に動揺を覚えたのはわずかな時間のみであり、冷静に引き戻された木剣は振り下ろされた棒を軽々とはじき上げる。
握った棒が乾いた音とともに打ち上げられて宙を舞う感覚を覚えるが、手の中にはいまだ木の棒が握られている。
手の中のそれと宙を舞うそれの両方を交互に見比べたエデンは、ジェスールの木剣によってはじかれた木の棒が真っ二つになって折れ飛んだことを理解した。
エデンは頭上を見上げ、回転しながら飛んでいく木の棒の片割れを視線で追った。
頂点まで打ち上がったそれは、広場の中央を囲んだ人々の輪の中に向かって落下していく。
「あ——」
広場に集まった人々の中にその落下地点を予測し、エデンは思わず声を漏らす。
そして勢いを増して落下する棒の片割れの先に「きゃ」と小さな悲鳴を上げて身をすくめるアセナの姿を認めていた。
その直後、アセナの頭上に迫る棒を何者かが伸ばした手がつかみ取る。
落下する棒から彼女を守ったのがユクセルだと知って胸をなで下ろすエデンの耳に、カナンの口から放たれた鋭い叫びが飛び込んでくる。
「エデン!! まだ勝負は終わっていない!!」
エデンは彼女の言わんところを即座に察する。
頭上を見上げれば、安堵の表情を浮かべてアセナを見詰めるジェスールの顔が目に入る。
小さく嘆息した彼が自身を見下ろすより早く、エデンは「や!!」と声を上げつつ握った棒の片割れでその胴を打っていた。




