第三百六十七話 持 掛 (もちかけ)
「十日後——」
「ああ。今日より十日ののち、再度技比べを執り行おうと考えている。長イルハンも復調の兆しを見せ始めているし、何より先を急ぐ君たちをこれ以上この地に留め置くことなど私にはできない。ならば最初からなかったことにしろと言われるかもしれないが、一度始めた以上は途中で引っ込めるわけにはいかないのが技比べの掟だ。悪いが最後まで付き合ってくれ」
夕食の片付けを終えたエデンたちに対し、カナンは改まった様子で告げる。
「じ、自分はそれで大丈夫!」
「エデンがよければあたしもそれでいい!!」
「私もいつであろうと構いません」
答えるエデンに続き、マグメルとシオンもそれぞれ賛意を示す。
エデンたち三人の反応に、カナンは肩の荷が下りたように安堵の表情を浮かべてみせた。
「そう言ってもらえると助かるよ」
「十日後……!」
エデンは気を引き締めるよう改めてその日取りを口にし、左右の拳を固く握り締める。
もちろん勝利を得ようなどと大それた野心を抱いているわけではない。
だが初めから負けを認めて戦うのではなく、全身全霊で槍比べに臨んだ結果としての敗北を受け入れたいと思う。
アルヴィンも前回に増して本気で弓比べに挑んでくることは確実であり、三本勝負の行方は全く予想できないものとなっている。
技比べの開催に当たってカナンの語った内容を思い返していたエデンは、ふと頭をよぎった疑問を口にした。
「そ、そう言えば……自分たちが勝ったなら許してもらえて、負けたらひと月手伝うっていう約束は——」
「その件は忘れてくれて構わない」
エデンの問いを受け、カナンはいともあっさりと前言を取り下げる。
「申し訳ない限りだが、恐らくユクセルは君に因縁を吹っ掛けたときのことなど忘れてしまっている。激しやすいが冷めるのも早い、あれは子供の時分からそういう性格の男なんだ。あの日、殴り合い——合いではなかったかもしれないが、思いを言葉に乗せて戦わせる君とユクセルを目にし、私は幼い頃の私たちを思い出した。私もよくあいつとつかみ合いの喧嘩をしていたことをな」
「カ、カナンが——ユクセルと……?」
「そうさ」
尋ねるエデンに答えを返すと、彼女は自嘲とも苦笑ともつかぬ笑みを浮かべた。
「あれも相当の頑固者だが、どうやら私はそれに輪を掛けて強情者らしい。二、三日口を利かずにいれば謝罪をするのは決まって向こうだった。私は待っているだけ——ユクセルが頭を下げてくれるそのときをいつも横目でうかがいながら待っていた」
カナンは喉を鳴らして笑い、目を細めて昔を懐かしむように頬を緩める。
「だがいつからだろう、私たちは喧嘩をすることはなくなった。私が無茶な主張をしようと、挑発的な物言いをしようと、勢いあまって手を出そうと……ユクセルは一切やり返してこなくなった」
微笑みを浮かべて語る彼女だったが、エデンにはその口にする言葉の端々に旧懐とはまた別の感情がにじんでいるように思えてならなかった。
「エデン。私は不満といら立ちとをあらわにして君に詰め寄るユクセルに、忘れて久しい幼い頃の奴の姿を見た。知っての通りあれは——ユクセルは己の思いを表現するのが苦手な男だ。技比べの勝敗いかんを問わず奴のほうからからわびようとする意を感じ取ったときは、どうか寛容な心をもって受け入れてやってほしい。厚かましい話で恐縮だが……よろしく頼む」
「そ、そんな! 自分は——うん……」
首を垂れるカナンに慌ただしく両手を振って応じ、エデンは再び確認を取るかのようにシオンとマグメルとを見やる。
「私は一向に構いません。その必要もありませんでしたがアルヴィンさんからは謝罪をいただいていますし、持てる力を出し切って後を引かず——というのもこれ以上ないほどに単純明快な収拾です。もっとも——」
そこまで言うと、シオンはわずかに顎を持ち上げつつ得意げに続けた。
「——私も負けるつもりは一切ありません。弓比べでは再び勝利を収め、跡を濁すことなくこの地を発たせていただきます」
「あたしもシオンにさんせい! 今度はあたしがやりたい!! 槍比べ、あたしにやらせて!! ぜったいに勝ってみせるんだから!! 勝って——」
挙手とともに威勢よく言うマグメルだったが、何かに気付いたかのようにはたと口をつぐむ。
「あー!!!!!」
そして突然辺りに響き渡る大声を上げたかと思うと、カナンに向かってその指先を突き付けた。
「わすれてたー!! そういえばカナン言ってた!! あたしたちが勝ったらエデンとけっこんするって!! あれはどうするの!?」
「え——あ……!!」
マグメルの言葉に、エデンは思わず動揺の声を漏らす。
決して忘れていたわけではなかったが、それ以上に心を揺さぶる出来事に記憶を上書きされていた事実は否めない。
「あ、あれは、その……」
「エデンには聞いてないの! ちょっとだけだまってて!!」
口ごもるエデンに一瞥を投げつつ言って、マグメルはすぐにカナンに向き直った。
「ああ、そうだったな」
カナンはマグメルの不服げな視線を受け流すと、エデンに向かって申し訳なさそうに告げた。
「すまないが縁談の話はいったん白紙に戻してくれないか?」
「う、うん……! じ、自分は——その……それで……」
「もちろん君がどうしても私のことが欲しいというのであれば話はその限りでもないのだが……」
からかい交じりに言うカナンに、エデンはますます動揺を強くする。
「じ!! 自分はっ……!! だ、大丈夫で……そ、その、初めから——」
言いかけてエデンは言葉をのみ込む。
そのつもりはなかったとはいえど、それを口にすることが彼女に対して極めて失礼な行為であることは理解している
そんなエデンの反応を受け、カナンはマグメルに向かって肩をすくめてみせた。
「——ということだ」
「ということってどういうこと!? 意味わかんないんだけどー!!」
その答えに納得のいかないマグメルは不満顔でカナンを見上げたのち、標的をエデンに移す。
「ちゃんとせつめいしてってば!!」
「では破談——ということでよろしいのですね?」
マグメルが頬を膨らませて問い詰めれば、シオンも彼女に便乗するかのようにエデンに対して念を押す。
「でも、その……カナン——」
二人に詰め寄られながらエデンは再び口を開くが、出かかった言葉をまたもやすんでのところでのみ込んだ。
この集落を出ていくつもりだと彼女は語っていた。
いかに吠人の中で生きようとも、心は吠人だと唱えようとも、根本的に身体の作りが異なる以上は一緒にはいられない——それがカナンの出した結論だった。
集落を去る機会を、皆の元を離れる時機を、連れ出してくれる誰かを待っていたと彼女は語っている。
真に彼女がそれを望むのなら、自身が口実になってもいいと考えたことはうそではない。
その秘める思いを知っていたとしても、エデンには「一緒に行こう」のひと言を口にすることはできなかった。




