第三百六十六話 超 克 (ちょうこく)
「おい、爺さん!! どこ行くんだ!? なあ、待てって——!!」
はじかれたように声のした方向を見やるカナンに続き、エデンもそちらに視線を向ける。
そこに見たのは広場に向かって歩み寄る長イルハンだった。
その傍らには身を屈めて視線を合わせながら歩き、慌てた様子で声を掛け続けるユクセルの姿もある。
「爺さん、戻れって! もう少し休んでたほうがいいって! おい——!!」
長が面前に姿を現したことで人々の間からは安堵と感嘆の声が漏れ始める。
中には目頭を押さえ、涙をこらえている者もいた。
確かな足取りで広場までやってきた長イルハンは、いつも決まって腰を下ろしていた定席ともいえる場所におもむろに座り込む。
「——ったく、何してやがんだよ、全く……!」
気が急く様子を隠せないユクセルをよそに、腰を下ろした長はじっと広場の中央を見据えている。
「爺さまは俺たちの稽古があまりにふがいなくて見ていられないんだと!!」
「じゃあさ、久しぶりに稽古付けてもらおうよ!」
豪快な口調で言い放つジェスールにアルヴィンが涙交じりの笑顔で応じれば、ルスラーンは無言で繰り返しうなずいて同意を示していた。
「ば、莫っ迦野郎どもが!! 爺いは病み上がりなんだよ! 引っ張り出すようなまねすんじゃねえ!!」
むきになって声を荒らげるユクセルだったが、三人はいら立つ彼をどこか愉快そうな顔つきで眺めていた。
「な、何だってんだ……!? お前らっ!!」
「戦うことが生きること——じゃなかったの?」
長のそばを離れて詰め寄るユクセルに対し、いつかの借りを返しでもするかのようにしたり顔で答えたのはアルヴィンだ。
「う、うるせえなあ!! そんときと今とじゃな、あれだ……いろいろ違うんだ!!」
半ばやけになったユクセルが叫ぶように言い立てると、ジェスール、アルヴィン、ルスラーンの三人はこらえ切れずに高らかな笑い声を上げていた。
「そうだ。長イルハンには稽古も鍛錬も必要ない」
変わらず無言で座り込む長イルハンと、小突き合う四人を微かに頬を緩めて見詰めながらカナンが不意に口を開く。
誰に言うともなく呟いた彼女に対し、その顔を見上げるようにしてマグメルが言う。
「おじいちゃん、ゆっくりさせてあげたいって言ってたもんね」
「ああ——」
カナンは彼女の言葉に答えてうなずき、広場の方向に視線を向けたまま続けた。
「——それもあるが……父上は誰よりも強い狩人だ。異種にも己にも負けぬ、私の知る限り最強の戦士だ」
誇らかな微笑みを浮かべて言う彼女に、マグメルも「そうだね」と答えて小さく笑う。
「うん」
彼女らの言葉に賛同するようにうなずき、エデンも広場に視線を向けた。
相変わらず小競り合いにも似たやり取りを続けていた四人だったが、ユクセルが業を煮やしたように声を張り上げる。
「わかったって! 爺さんの代わりに俺がやりゃあいいんだろ!! ——槍持ってこい、槍!!」
言って広場を離れようとするユクセルだったが、その行く手を遮るように進み出たのはアセナだ。
彼女は抱え持った長短二本の木槍をユクセルに向かって差し出す。
「……こ、これ。使って」
「——お、おう」
ぶっきらぼうな手つきで二本の木槍を受け取ると、彼は広場へと取って返す。
「安心して隠居してられねえってんならなあ! 見せてやろうじゃねか、俺たちがどんだけやれるかってとこをな!!」
手にした長短一対の槍を振りかざしながら意気揚々と告げるユクセルを前にして、ジェスールら三人もそれぞれの得物を手に取る。
ユクセルはそんな三人からカナンに視線を移し、許可を求める言葉を口にした。
「いいだろ!? やらせてもらうぜ!!」
カナンが首肯をもって応じると、ユクセルら四人は時を移さず互いの得物を打ち合わせ始める。
順に相手を変えつつ、時に四人入り乱れつつ稽古を行う狩人たちを、エデンはじっと黙って眺めていた。
ふと傍らのカナンに目をやれば、その瞳には抑えきれない熱が込められているように見える。
何と声を掛けていいのか分からないエデンは、先ほどマグメルが自身に対してそうしたようにカナンの背を押してくれないかと願いを抱く。
だが期待を込めた視線を向けた先のマグメルは、エデンの思いなど知ってか知らずか、周囲の人々と同じように木剣木槍を打ち合わせる四人に向かって「いけー!」「やれー!」と無邪気に声援を送っていた。
小さく息をついたのち、エデンは自身よりもわずかに上背のある少女の顔を見上げてその名を呼ぶ。
「カナン」
マグメルのように背中を押す——というわけにはいかなかったが、後押しの意味合いを込めた視線をもって彼女を見詰める。
カナンはしばし逡巡するようなそぶりを見せたが、小さくうなずいてエデンの腕に触れる。
そして勢いよく立ち上がった彼女は、皆のいる広場の中央に向かって駆け出した。
「次は私の番だ!!」
木槍を手に嬉々として宣言する彼女は、まるで遊びに交ざろうとする幼い子供のようにエデンの目に映る。
「いいのですか? 貴方は」
静かに見守る長イルハンの前で入れ代わり立ち代わりの稽古を続ける五人を凝然と見詰めるエデンに対し、そう声を掛けたのはシオンだ。
声を掛けられたことで反射的に声を上げ、追って自身が必要以上に集中していたことに気付く。
シオンの視線が自身の顔と固く握り締めた木の棒を行き来するところを認め、エデンは小さく首を振って応じた。
「……うん、大丈夫。今はいいかな」




