第三十六話 事 由 (じゆう)
坑夫として労働に明け暮れる日々を送る中、イニワが自らの事情を語ってくれたことがあった。
彼が故郷に家族を残してこの鉱山にやって来たのは、およそ三年ほど前のことらしい。
元々は採集民として暮らしていたイニワたちだったが、突然現れた入植者たちが彼らの居住地である土地を切り開き、農地として耕し始めたのだという。
入植者たちはイニワたちを狭い土地に押し込めた上で、着々と居住域を広げていった。
屈強な身体を有しはするものの、穏やかで争いを好まないイニワたちは、武力をもってすみかを取り戻すという選択を捨て、彼らに言われるまま限られた土地で暮らすことを選んだ。
しかし狭い土地から得られる恵みだけでは、次第に生活を賄えなくなっていく。
イニワは自らが代表となって入植者たちと協議を重ね続けたが、結局いつまで経っても平行線のままで解決が訪れることはなかった。
「——それまでのおれたちは、金とは一切無縁の暮らしを送ってきた。生も死も、空と大地とともにあり、苦難も逆境も精霊の与えたもうた試練だと信じて乗り越えてきた。おれたちはそれでいい。だが、これから生まれてくる子どもたちに要らぬ苦労をかけることは本意ではない。暮らしが確実に立ち行かなくなる前に手を打たねばならないと、おれはここにやってきた」
少しも表情を変えることなく言う彼だったが、その声音からは忸怩たる思いが伝わる。
「一族とその子孫が生きていくに足りる土地を取り戻す。そのためならば金の力を借りることも厭わない。それがおれの願い——おれの生きる道だ」
力強く言い切るイニワに、彼の献身にも似た覚悟の根源のようなものを見た気がした。
一つ願いを抱いて労働に従事しているのはイニワだけではない。
坑夫たちの中に、いつまでも鉱山で働き続けようと考えている者など一人もいないだろう。
繰り返される毎日にわずかながら慣れてきた今、抗夫という職が長く続けられる仕事ではないことに、そしてこの鉱山がずっと居続けていい場所などではないことに少年は気付き始めていた。
ここはあくまで足掛けの居場所であって、骨をうずめて働く場所ではないのだ。
いつかは果たすべき目標やかなえるべき夢を手に入れ、自分の道を見つけなければならない。
目標に向かって順調に進む者もいれば、刹那的な衝動や欲望に溺れつつ遅々とした歩みを続ける者もいる。
しかし誰もが自身の目的をかなえるため、身を粉にして労働に勤しんでいることは紛れもない事実だ。
折を見て、他の抗夫たちに働く目的を尋ねてみたこともあった。
ウジャラックは「言うほどのことでもない」と黙して語らなかったが、酔って口の軽くなったベシュクノは「いつか世界の果てを見てみたいんだ」と夢を語ってくれた。
尋ねれば、尋ね返される機会も増える。
抗夫たちの誰もが、少年が以前に増して一層必死に働くようになった理由を聞きたがった。
働く目的を聞いた者たちが見せるのは、皆一様の反応だった。
まずは顔から表情が消え、続いて仲間同士で言葉なく互いに顔を見合わせる。
金貨三十枚を稼ぐなど、到底無理なことだと考えているのだろうか。
そんな反応を見るたび、少年は「頑張るよ!」と拳を握り締め、意気込みを示してみせた。
◇
その日、鉱山と麓の町は月に一度か二度ほど降る大雨に見舞われていた。
夜半から降り出した雨は勢いを強め、夜明け前には豪雨へと変わった。
乾燥したこの土地において、雨は人々に多彩な恵みをもたらす一方でさまざまな危険を運んでくる。
特に起伏に富んだ山地では、激しい雨は土砂崩れや鉄砲水など、人々の生命を脅かす災害を生む。
よって雨の日は、鉱山での一切の作業を中止するのが決まりになっていた。
「やみそうにないね」
「仕方ねえって。お空の機嫌までは面倒見切れねえよ。神さんも休めって言ってんのさ、今日はおとなしくしてようぜ」
酒場の戸口から身を乗り出すようにして呟く。
アシュヴァルもまた扉の上枠に手を添え、少年の肩口から顔を突き出すようにして空を見上げた。
「——うん。そうだね」
薄暗い灰色の雨空を見上げて今一度呟くと、その足で店の中へと引き返す。
雨は鉱山の仕事を文字通りお流れにさせるが、漫然と部屋にこもっている気分にはなれない。
昼前から前倒しで酒場の手伝いをさせてもらう、それが雨の日の恒例だった。
雨の酒場は行き場を失った抗夫たちで昼間からごった返す。
この日も見知った顔が卓を囲み、料理と酒を楽しむ様子が狭い店内のあちこちで見られた。
昼食時を過ぎ、混み合っていた店内はいったんの落ち着きを見せ始めていた。
少年は厨房と客席を隔てるように配置された長机の一番奥の席に腰掛け、用意してもらった賄いを口にする。
食事と片付けを済ませたのちは、預けていた巾着袋から硬貨を取り出して長机の上に並べ始める。
そんな行動も見慣れてしまったのだろう、酒場の主人も給仕も顔なじみの客たちも、特に興味を示そうとしなかった。
「金貨が十二枚……銀貨が八枚、銅貨が九枚——」
積み上がった硬貨の山を見詰めながら呟く。
「——全然だ、まだ半分にも届かないや……」
力なく肩を落とす少年の背を掌で打ち、殊更明るい口調で言うのはアシュヴァルだ。
「何言ってんだ、焦り過ぎだって! 最初の頃を思い出してみろよ! なんもできなかったお前が今じゃいっぱしの顔して抗夫やってんだぜ? それによ、銀貨二枚以上もらってんのは並以上の仕事のできる連中だけだ。すげえ進歩じゃねえかよ!」
「おれも同感だな」
アシュヴァルに同意するように言ったのは、つい先ほどまで抗夫仲間たちと食事をしていたイニワだった。
顔をひねって背後に立つ彼を見上げながら、少年は小声で呟いてうなずく。
「……うん」
「情けない声を出すな」
言ってイニワは手を伸ばし、長机の上にどさりと何かを置いた。