第三百六十五話 遊 刃 (ゆうじん) Ⅱ
「そ、その、これは——」
言って手の中にある木の棒を見下ろし、続いて周囲を見渡しながらエデンは口を開く。
「——ち、違うんだ! じ、自分は……」
稽古をする戦士たちの中に、棒を片手に飛び込んでいく。
その行為の意味するところは一つしかない。
懸命に申し開きの言葉を口にするエデンだったが、カナンは一切取り合おうとする様子を見せない。
それどころかマグメル同様どこか楽しげな表情をたたえた彼女は、周囲の注目を集めるように片手を高く掲げつつ逆側の手でエデンを広場の中央に押しやった。
「わっ……!? カ、カナン!?」
動揺をあらわにして声を上げるエデンだったが、自身の前に進み出るルスラーンを目に留めてとっさに口をつぐむ。
去りかけたところを踵を返して広場の中央に舞い戻った彼は、その鼻先をもってエデンの手にした木の棒を示してみせた。
「エデンー! がんばれー!!」
自身の周章など知らん顔で一方的に声援を送るマグメルとあきれ顔のシオンを振り返ったのち、エデンはもう一度周囲に視線を巡らせる。
見れば集落の人々からも徐々に応援の声が上がり始めている。
救いを求めてカナンに視線を送るが、返ってきたのは後押しするような首肯だけだった。
わずかな逡巡を経て、エデンは木剣を手にしたルスラーンに向き直る。
「来い」と無言のうちに語る黄金の瞳を見据え返し、覚悟を決めたエデンは木の棒を構えて大地を蹴った。
勢い任せに振るわれる木の棒を、ルスラーンは片手に握った木剣で軽々とさばき続ける。
敢えてわかりやすく隙を作ってみせる彼の誘いに乗り、エデンも徐々に攻めを激しくしていく。
当初は遠慮がちな打ち込みを繰り返すエデンだったが、気付くと不慣れながらも持てる力の全てを尽くしてルスラーンにぶつかっていた。
まさかこうして自身が稽古を付けてもらうことになるなど予想もしていなかったが、この状況が不本意なものであるかと問われたらそれは否だ。
異種狩りの際に目の当たりにし、改めて稽古でも目にした狩人たちの戦いぶりに——中でも自身とよく似た身体を有しながら吠人たちに一歩も引けを取らないカナンの槍さばきに、エデンは憧憬にも似た感情を抱いていた。
屈強な他種と比べて明らかに脆弱な身体を持つ自身でも技術を積み上げればあの境地までたどり着けるのかと、心の内にそんな希望が湧き上がる。
稽古風景を羨望のまなざしで見詰めていることしかできなかった自身を、マグメルは木の棒とともにその直中へと送り出してくれた。
彼女のいたずら心からの行為なのか、それとも胸の内に抱く願いを見透かした上での行いなのかは分からなかったが、文字通り背中を押してくれたことには感謝しかない。
引き立てるかのように木剣を振るうルスラーンと数十合を打ち合い続けた結果、エデンは疲労の極に達する。
精彩を欠き始めるエデンの打ち込みに対してルスラーンが取った行動は、手にした木剣を存在しない腰の鞘に納めるような動作だった。
その様子を目にしたエデンは稽古が終わったのかと振りかぶっていた木の棒を頭上で静止させるが、それが誤りであったことを身をもって知る。
「あれ……」
気付いたときには木の棒は乾いた音を立てると同時に、エデンの手を離れて宙を舞っていた。
続けてしびれるような痛みを掌に感じたエデンが空になった手と正面のルスラーンを見比べれば、形のない鞘から抜き放たれた木剣の刃が棒をはじき飛ばしたことを理解する。
空中に舞った木の棒は、程なくして頭上を見上げて差し伸ばされたカナンの手中に収まった。
「あ、ありがとう……!」
行き場を失った左右の手を持て余しつつ感謝を伝えると、ルスラーンは感情を顔に出さない彼にしては珍しい唇の端をつり上げる笑みを見せてエデンに背を向けた。
周囲の人々から送られる声援と拍手を受けながら少女たちの元に戻ったエデンが最初にしたのは、マグメルに対して礼を言うことだった。
「その、ありがとう……マグメル」
「ん、なになに?」
「な、なんでもないよ」
事情がのみ込めない様子で首をかしげる彼女に対し、エデンはそう告げて小さく微笑みを送る。
次いで相変わらず不服そうなまなざしを自身に向けるシオンに、後頭部をかきながら「あはは」と空笑いで応じた。
「忘れ物だ」
後方から聞こえた声に振り返ると、そこには木の棒を手にしたカナンの姿がある。
「あ——う、うん……! 」
礼を言ってその手から棒を受け取り、次いで謝罪の言葉を伝える。
「ごめん、邪魔しちゃったみたいで」
「構わないさ。それにだ、もしも君が望むのならば——」
カナンがそう言いかけたところで、広場に響き渡るような騒がしい声が上がった。




