第三百六十四話 遊 刃 (ゆうじん) Ⅰ
集落に戻ったエデンは、ジェスールたちと共に荷車や植栽用の道具類の片付けを行った。
砂と土に塗れた衣類は湿らせた布で拭って汚れを落とし、出掛けている間に集落の皆が用意してくれた食事を皆で取る。
帰還後、間を置かずに長の天幕に向かったカナンにイルハンの様子を尋ねると、返ってきたのは「順調だ」のひと言だった。
その顔に映す安堵の色が、彼女の言葉が嘘偽りのない真実であることの何よりの証明だ。
自身の身勝手な願いを聞き入れてもらった結果、長イルハンに肉食いを強いたのは紛れもない事実だ。
ユクセルはそれが長自身の意志と語ったが、エデンの心には罪の意識が重く伸しかかっていた。
イルハンが呪縛にも似た肉食いの反動を乗り越えてくれたなら、自責と悔恨の念が少しは薄まるだろうか。
感謝と謝罪を早く伝えたいと願いはするものの、その度にカナンが長の背中を抱き締めながら放った言葉を思い出す。
「見ないでやってくれ」
剣ひと振りまともに扱えない自身には知る由もないが、我を失うところを他者に見せたくないと願う気持ち——それが戦いの場に身を置く戦士の抱く誇りの在り方の一つなのだろうか。
そんなことを考えていたエデンだったが、ふと傍らのカナンが立ち上がる様を横目に見て取る。
「誰か!!」
広場の中央に歩みを進めつつ、彼女はよく通る声で短く言い放つ。
にわかにざわつき始める人々の中から無言で彼女の前に進み出たのは、片手に麺麭をつかんだままのルスラーンだった。
広場の中央に立つカナンに対し、アルヴィンはまるでこの状況を予期していたかのように木槍を投げ渡す。
カナンは正面を見据えたまま片手で槍をつかみ取ると、手慣らしでもするように振ってみせた。
続いてアルヴィンがルスラーンに向かって木剣を投げれば、彼は麺麭を強引に口内へ押し込みながらカナンに向き直る。
正面から視線を交し合った二人は、あらかじめ定められた手順をなぞるように木槍木剣を打ち合わせ始める。
両者の振るう得物が徐々に速さと力強さを増すにしたがい、木と木がぶつかり合う音も激しくなっていく。
型から始まった稽古は互いに攻守を入れ替えての乱取りに変わり、次いで実戦と呼んでも遜色のない打ち合いへと発展していった。
「す、すごい……」
その技巧的な立ち回りと緩急を織り交ぜて展開される駆け引きに、エデンは思わずため息にも似た声を漏らしていた。
カナンと吠人の狩人たちの見せる強さには異種狩りの際も驚かされたが、改めて目の当たりにする技のさえは、エデンから言葉を奪い去るには十分だった。
特に自身と変わらない身体を持ちながら、たたみ掛けるように攻めるルスラーンの剣を軽々といなすカナンの槍技から一瞬たりとも目を離すことができない。
その戦いぶりを食い入るようにエデンが見詰める中、彼女は槍の柄を滑らせるようにしてルスラーンの剣をはじくと、そのままひと回しした木槍の石突きを彼の眼前に突き付ける。
見詰め合った両者は刹那の間を置いて表情を緩めると、健闘をねぎらい合うように拳を打ち合わせた。
ルスラーンに続いて広場の中央に進み出たのはジェスールで、手にした幅広の木剣でカナンと打ち合いを始める。
剛腕から繰り出される一閃を流れるような足さばきでかわし、間隙を突いてその懐に入り込んだカナンがジェスールの顎下に槍先をあてがうのは瞬く間の出来事だった。
続けて気の進まない様子のアルヴィン、再び進み出たルスラーンを相手に稽古を行ったところでカナンはいったん休憩を告げる。
その段になって呼吸を忘れるほどに見入っていたエデンも、ようやく我を取り戻すことができた。
乱れた髪を整えるように左右に頭を振りながら広場の中央から戻るカナンを迎えるエデンだったが、背後から自身の名を呼ぶ声を聞いて振り返る。
「はい、エデン!」
そう言って両手で握った何かを押し付けてきたのはマグメルだ。
「え……!? こ、これ——」
半ば強引に押し付けられたのは、槍比べの際にジェスールを相手に振るった木の棒だった。
いたずらっぽい笑みを浮かべたマグメルは手の中の棒を見下ろすエデンの両肩をつかみ、無理やり広場の方向に向き直らせる。
「ど、どういうこと……!?」
「じゃ、いってらっしゃい!!」
何が何やらわからず右往左往するエデンだったが、マグメルは突き出すようにしてその背を押した。
「わっ……うわあっ!!」
前方にのめる形で広場の中央に転がり出たエデンは、よろめきながらも何とか体勢を立て直す。
振り返って抗議のまなざしを向けるも、変わらずその顔に上機嫌な笑みをたたえたマグメルはエデンの後方を指先で示している。
広場側に向き直って目にしたのは、意外そうな表情でエデンの顔とその手に握られれた木の棒とを見比べるカナンの姿だった。
「おや」
そう呟いたかと思うと、カナンの顔にいかにも愉快そうな笑みが浮かんだ。




