第三百六十二話 相 生 (そうしょう) Ⅲ
めいめい手頃な岩を椅子代わりにし、濃く煮出した甘みのある茶を飲みながら休憩のひとときを過ごしていた。
「その、これが仕事……なの?」
尋ねるエデンに首肯をもって応え、カナンは遠く荒野の彼方を展望しつつ言葉を続けた。
「私たちは草木を植えているんだ」
「このような場所に——ですか? どう見ても植栽に適しているようには思えませんが」
「どうかな? ここも元々は緑の草原だったんだ。至誠を尽くせば在りし日の姿を取り戻すことも存外不可能ではないかもしれないぞ」
「こ、ここが元は草原……」
信じられないといった様子で呟くシオンに対し、カナンは含みのある笑みを浮かべて答える。
彼女は今一度周囲の荒野を見渡すと、思いを巡らせるような口ぶりで続けた。
「ここだけじゃないさ。草原の劣化は驚くほどの速さで進んでいるんだ。その表面を覆う植生を失った裸地は風の浸食によって表土を吹き飛ばされ、周囲を巻き込んで砂漠化を加速させていく。このままではいずれ草原の草木は全て枯れ果て、この辺り一帯が一切の植物の育たない不毛地へと変わってしまうだろう。そうなってしまってはもう遅い。種をまこうとも水分を失った土地に植物は根付かず、たとえ芽が出たとしてもすぐに枯れてしまう」
「じゃあ植えてもだめなんじゃん!」
「ああ。ただ種をまくだけでは、残るのは徒労だけだろうな」
マグメルは悪びれた様子もなく言い放つが、カナンは気を悪くするでもなく答える。
「だから私たちにはあれが必要なんだ」
言い添える彼女の視線の先を追ったエデンの目に入ったのは、つい先ほどルスラーンが手にしていた手桶だった。
「あ……あれって——」
彼が桶の中身をまく様に見覚えのあったエデンは、それが彪人の里で目にした光景とよく似ていることに思い至る。
「——もしかして異種殻……」
呟くエデンに首肯を返し、カナンは言葉を続ける。
「異種殻を焼成し、灰と混ぜたものだ。砕いて粉末化した異種殻には植物の育成を促進するだけでなく、土壌の保水力を高め、蒸発や流失を防ぐ働きもある。過日得たそれらも乾燥させたのちに粉砕して使う予定だ。異種狩りを廃業した私たちにとって、異種の残す殻は貴重品だからな」
そう言って彼女はマグメルにちらりと一瞥を投げる。
「君が言った通り交易に回せば刹那的に生活は潤うだろう。子供らに木剣木槍ではない玩具を買ってやることもできるかもしれない。しかし——残念なことに金があっても未来は買えない。自然の作用に人の身で手を加えるのはおこがましいが、それでも私はこれからを生きる者たちにこの草原を残したい」
カナンはエデンたち三人に順に微笑みかけ、次いでジェスールら三人にも視線を送る。
「もちろん異種殻とて万能ではない。あくまで草木の育ちを助けるだけだ。だからこそ私たちが手を尽くす必要があるんだ」
そんなカナンの言葉を受けて口を開いたのはジェスールだ。
彼は傍らに置いた円匙を手に取り、大地に突き立てつつ言う。
「乾いた砂に苗を植えても意味がないからな。こいつで湿った土に行き当たるまで掘るんだ」
「草だけじゃ駄目、樹だけでも駄目っていうのが難しいところだよね」
言葉を引き継いだのはアルヴィンだった。
「草は土の浅い部分、樹は土の深い部分に根付くから、両方が一緒に育たないと草原は戻ってこないんだ。草は枯れたら土に返るし、樹は砂が飛ぶのを防いでくれるしね。共存共生——っていうのかな?」
「共存……共生——」
エデンはアルヴィンの口にした言葉を繰り返し、今一度彼ら三人が作業をしていた場所に視線を向けた。
砂礫の大地にうがたれた幾つもの穴には、いまだ膝下ほどの高さしかない樹木の苗木が植えられている。
だが樹木のみを密集させて植えているわけではなく、木本と草本が一定間隔で植栽されているのはアルヴィンの言うようにその相互作用を期待してだろう。
「より豊かな生を追及する中で、人はその共生の環からわずかに逸脱し始めているのかもしれないな」
カナンはどこか厭世的とも取れる皮肉な笑みを浮かべ、エデンと同じ方向に視線を投げる。
「より大きな幸福を望む心、意に沿わぬ現状を変えようとする心。それを否定する権利を持つ者などどこにもいない。自己のために、愛する者のために、生きるために、豊かな暮らしのために……人はそんな願いとともに環境をも変えてきたんだ。私たちも同じだ。大地を癒し、緑の草原を取り戻す。聞こえのいい言葉だが、畢竟暮らし良い環境を求めてという願望に由来する個人的な事情に他ならない。大地が——自然がそれを真に望んでいるか否かなど、知りようもないのだから。
壊すのが人の持つ業と欲望となら、直すのも人の抱く偽善と欺瞞——なのかもしれないな」
カナンは荷車に向かって足を進め、荷台に積まれた苗木を取り上げる。
振り返った彼女はエデンたち三人に向き直り、穏やかな笑みとともに告げた。
「——君たちもどうだろう。、少し手伝ってはもらえないか」




