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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第四章  吠 人(ほえびと) 篇   第七節 「吠人たちの午後」
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第三百六十話   相 生 (そうしょう) Ⅰ

「ねー、カナンー!! まだ歩くのー!?」


「もうすぐだ」


「またそれー? さっきからまわりも緑の草ばっかりでかわりばえしないし、あたしちょっとあきてきちゃったー……」


 ぼやきつつ傍らを歩くマグメルに対し、カナンは穏やかな微笑みをもって応じる。


「またあまのお花を見にいくの?」


「今日はそれじゃない」


 尋ねる彼女に左右に首を振って否定の意を示すと、カナンは前方を向いたまま告げる。


「君たちにとってはあまり面白いものではないかもしれないな、そう——」


 言って彼女は歩きながら周囲を見渡し、含みを持たせた口ぶりで続けた。


「——この草原の景色と同じように」


「えー……!!」


 不満を漏らすマグメルの背を見詰めつつ、エデンはこの状況に至った過程を思い返していた。



 今朝方のこと、エデンは水くみに向かう吠人たちを手伝って集落近隣の川辺へと向かった。

 集落へ戻ったところで広場の片隅で書き物をしているシオンと、その手元をのぞき込んでいるマグメルの姿を認める。

 シオンが煩わしそうに手帳を遠ざければ、マグメルも負けじと首を伸ばして中身を盗み見ようとしていた。

 少女二人の見慣れた光景に安心感を覚えるとともに、マグメルが普段通りの明るさを取り戻したことに胸をなで下ろす。


 もちろん胸の内に深く刻み付けられた記憶は、そう簡単に忘れることなどできるはずもない。

 いまだ正面から向き合うことができず、頭の隅に押しやることでしか平静でいられない事実があるのはエデンも同じだ。


 長イルハンの見せた肉食いを続けた者が最終的に行き付く先の姿は、エデンの心に少なくない衝撃と動揺を生じさせていた。

 加えてルスラーンの語った鬼という人ならざる存在の話も、胸中を騒がせる原因の一つとなっている。


 シオンもマグメルも普段通りであろうと努めていると考えれば、自身も心を波立たせている場合ではないと気を取り直す。

 両手で握った手帳を頭上高く持ち上げるシオンと、彼女にもたれ掛かるようにして手を伸ばすマグメルに背を向けると、エデンはいつかのように集落の中を一人歩き回った。


 広場を離れ、幾つかの天幕の脇を通り過ぎる。

 吠人の移動集落に滞在するようになって数日が経ち、そこに暮らす住人たちともあいさつや世間話を交わす間柄を築くことができている。


 それもこれも長代行であるカナンの引き立てと、彼女が積み上げてきた信頼があってこそだ。

 姿形も稀な種である自身らは、他種からすればルスラーンの語ったように異形の来訪者でしかないのかもしれない。


 再び湧き上がってくる不安と憂慮を振り払うように頭を振り、エデンは通り掛かった子供たちと軽く手を打ち合わせながら歩き続けた。


「あ……」


 気付くと長の天幕の前までやって来ていたエデンは、ちょうど垂れ布をまくり上げて出てきたユクセルと鉢合わせになる。


「あん? 何か用か」


「ええと……そ、その長の具合はどう——かなって」


 尋ねるエデンを険しい目つきで見据えたユクセルは、不愉快そうに鼻を鳴らす。


「てめえに心配されるほど老いぼれちゃいねえよ」


 相変わらずの調子で悪態を付くユクセルだったが、エデンはその様子に昨日までの彼との違いを見て取る。

 わずかな差異ではあったが、その表情と声音にはどこか安堵の色がにじんでいるような気がした。


「……うん、それならよかった」


 自身も幾らか心の軽くなる思いを感じつつ答えるエデンに対し、ユクセルは意気をそがれたかのように肩を落とした。


「んだよ、そりゃ。調子狂う野郎だぜ」


 言って天に向かって大あくびを放ちながら、彼は手ぶりで「どっかいけ」と示してみせる。

 首肯を返してその場を後にし、エデンは広場へと足を向けた。


 シオンとマグメルの姿は変わらず広場の片隅にあったが、先ほどと違うのはその傍らに立つもう一人の少女の存在だった。

 カナンにからかわれたマグメルが躍起になって言い返し、シオンは二人のやり取りを一歩引いて観察している——そんなところだろうか。

 会話の内容までは聞き取れなかったが、言葉を交わす三人の少女たちの顔にはうっすらとだが笑みが浮かんでいるようにエデンには見えた。


 足を止めて見詰めるエデンに気付いたのか、顔をぱっと明るくさせたマグメルが駆け寄ってくる。


「エデン帰ってたんだ、おかえり!!」


「ただいま」


 強引に腕を絡めてくるマグメルにあいさつを返し、エデンはカナンとシオンの元に歩みを進めた。


「カナン、傷は痛む……?」


 その名を呼び、包帯の巻かれた腕に視線を落としながら尋ねる。


「ああ、これか。どうということはないよ」


 答えて逆側の手で傷を負った腕を握ると、彼女は自らに言い聞かせるようにそう答えた。


「廃業のやむなきに至ったとはいえ、私は異種狩りの戦士だ。この程度の傷であれば、あの荒くれどもとの稽古では日常茶飯事だ。案じてもらえることはやぶさかではないが、取り立てて騒ぐほどのことではない。それよりも君だ、エデン——」


 カナンはそう言ってエデンの頬に手を伸ばす。


「——君のほうこそ、これでは色男が台無しだ」


「え……!? 色——」


 思いも寄らない言葉に動揺を覚えたのもつかの間、もう片側の腕を引かれたエデンはぐらりと身体をかしがせる。

 転びそうになったところを何とかこらえて顔を上げたエデンの目に映ったのは、いつになく不服げな表情でカナンを見据えるシオンだった。


「傷の手当ては私がしていますのでどうぞご心配なく」


 エデンの腕を取ったまま言う彼女を、カナンは中空に手を伸ばしたまま軽く目を見開いて見返す。

 やがて手を引っ込めたカナンは肩をすくめ、愉快そうに喉を鳴らして笑った。


「——くくく、わかったわかった、すまなかったよ……!」


 得意然として構えるシオンと依然として含み笑いを続けるカナンを順に見やり、エデンはぼうぜんとして口を開く。


「その——ええと……」


 口を開きはしたもの何を話せばいいのか見当が付かず、今一度救いを求めるように辺りを見回した。


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