第三百五十八話 咎 悔 (きゅうかい) Ⅲ
「みんな、少しいいかな!」
突如として聞こえてきた声に顔を上げたエデンは、広場の中央に向かって進み出るアルヴィンの姿を目に留める。
彼は関心を集めるように頭上に手を掲げると、人々を見渡して大きく声を張った。
「一つ伝えなくちゃいけないことがあるんだ!!」
皆が手を止め、アルヴィンに視線と意識を傾ける。
エデンと少女二人も注視する中で彼が語ったのは、弓比べにおいて自らの犯した失態と不正義な行いについてだった。
弓の手入れをおろそかにしたこと、結果としてシオンに弦の緩んだ弓を引かせてしまったこと、そして彼女が一の矢を射るまでそれに気付かなかったことを明かす。
弓比べに泥を塗ったことを謝罪し、続けてシオンに対して非礼をわびる。
アセナの介入は伏せつつ全ての責任をかぶって深々と頭を下げる彼からは、普段の軽薄さは一切感じられなかった。
人々もアルヴィンの告白を受けて事の重大さに気付いたようで、中にはシオンの元に歩み寄って謝罪の言葉を口にする者もいた。
居心地悪そうな表情を浮かべて謝罪に応じるシオンを目にし、エデンは一つ肩の荷が下りたような、胸のつかえが取れたような心持ちを覚えていた。
長イルハンと長代行であるカナンが不在のまま、食事の時間は過ぎていく。
子供たちの間から小さな悲鳴が漏れたと思うと、エデンは広場の中央に積み上げられた異種殻の前に面を身に着けた一人の吠人の姿を認める。
異種殻とそれを取り巻く形でたかれた篝火の周囲を、大地を踏み締める独特の歩法で舞い踊るように歩んでいたのはルスラーンだった。
両の手に木製の槍と盾を握った彼がかぶるのは、上部に二本の角、そして左右二つずつ四つの目を配した仮面だ。
その怪異な容貌は子供たちを怯えさせるには十分過ぎるようで、中には大人にしがみついて泣き出す者もいた。
やがて面をかぶった彼が辺りを探し回るような動きを見せつつ練り歩き始めれば、大泣きして転がるように逃げ出す子供や、面白がってちょっかいを掛ける子供も出始める。
ルスラーンが子供たちの歩みに合わせて後を追ううち、いつの間にか逃げ回る子供たちとそれを追う彼という構図が出来上がっていた。
そんな中で「わ」と小さな叫びを耳にしたエデンは、ふと声のした方向に目を向ける。
目に入ったのは先ほどまで仮面のルスラーンにと手招きしながら走っていた一人の少年が、何者かにぶつかって足を止めるところだった。
「前を向いていないと危ないぞ」
肩を抱いて少年の身体を受け止めたのはカナンだ。
腰を落とした彼女に諭されてこくこくとうなずきを返すと、少年は気恥ずかしそうな表情を浮かべて他の子供たちの元に走っていった。
集まっていた集落の住人たちも、広場に現れたカナンの姿を目にして安堵に表情を緩めていた。
見詰める彼らに手ぶりと微笑みとで答えつつ、カナンは酒とともに食事を進めるジェスールやアルヴィンたちに向かって小さな首肯を送る。
仮面のルスラーンも広場に戻るカナンに気付くと、子供たちを追うことを中断していた。
「心配を掛けたな」
「——ううん、カナンが無事でよかった」
その場に立ち上がって彼女を迎え、エデンは包帯の巻かれた左腕に目を落とす。
彼女は自らを見詰めるエデンの視線に気付き、その部分を右手で覆いながら答える。
「なに、かすり傷だ。心配には及ばない。このように手当てもしてもらっている」
「……うん。それなら——よかった」
長の爪がその皮膚を突き破る様を目にしていたエデンには、カナンの言うことを言葉通りに受け取ることはできない。
だがこれ以上を追及すれば触れてはならない部分に触れてしまうような気がし、続く言葉をのみ込まざるを得なかった。
小さな微笑みを送りつつエデンの肩に触れた彼女は、次いでシオンに向かってうなずきを送る。
次いで彼女は、座り込んだまま不安げなまなざしで見上げるマグメルの前に膝を突いた。
「恐ろしい思いをさせたな」
「——んーん、だいじょうぶ」
カナンはマグメルの頭に手を伸ばし、赤みを帯びた茶の髪をかきなでる。
マグメルが笑顔を作ってその顔を見上げれば、カナンもまた微笑みをもってこれに応じた。
「カナン、その、長の具合はどう……?」
言いよどみつつ尋ねるエデンに、振り返った彼女は童顔のように表情を和らがせる。
「落ち着いているよ。興奮も収まり幾分か緊張からも解き放たれつつある。私の言葉を聞き入れてくれているのか、自傷を行うこともなくなった」
カナンは人心地ついたような吐息を漏らすと、いかにも申し訳なさそうな口ぶりで続けた。
「ところで——」
彼女はエデンたち三人に視線を配る。
「——技比べだが、一から仕切り直しにさせてもらっていいだろうか?」
技比べの再度の開催に対しエデンは何の不服も持たない。
再び槍比べに参加する機会を得られたならば、今度は力の限り戦うだけだ。
「も、もちろん! それで大丈夫だけど——」
答えてエデンが意を問うように振り返れば、シオンとマグメルも「構いません」「うん」と同意を示す。
「け、けどカナン、今はそれよりも——その……」
技比べよりも大事なのは、長イルハンの容体だ。
自らに肉食いを強いて集落の皆を守った長イルハンの身体の具合以上に大切なことなどないはずだ。
それはカナンだけの問題などではなく、四人の狩人たち、ひいてはこの移動集落に暮らす全ての住人たちにとっての大事だ。
「ありがとう。そう言ってもらえて助かる。少し時間が空くと思うが、日取りが決まったら追って知らせる」
カナンはエデンの意を察して答え、優しげに微笑んでみせる。
「父上のことはユクセルの奴が見てくれているが、今は私もそばにいようと思う。すまないが——失礼する」
三人に向かって軽く頭を下げると、彼女は踵を返して長の天幕へと戻っていった。
「それまではここにいていいってことだよね!?」
「そういうことでしょうね」
嬉々として言うマグメルに、シオンは細くため息をついて応じる。
技比べが長イルハンの復調を待って行われるのだとすれば、一日や二日後というわけにはいかないに違いない。
カナンに相談すれば技比べの開催を待たずしてこの地を去るという選択を認めてくれるだろうが、長の予後を見届けずに集落を発つことには心苦しさを覚える。
異種殻と篝火を周囲を巡っての舞い踊りを再開した仮面のルスラーンを見詰めつつ、エデンはこの場にいないユクセルがどのような反応を示すのかに思いをはせる。
その視線に気付いたのだろう、マグメルが呟くように疑問を口にする。
「あれってなんなんだろ?」
彼女の言う「あれ」の指す対象、それは大地を踏み締めるような独特の足取りによって舞われるルスラーンの踊りか、あるいは彼の身に着けた角と四つの目を有する仮面のことに違いない。
エデンは助けを求めるようにシオンに視線を向けるが、その表情は今ひとつさえなかった。
「シオンにも知らないことってあるんだ」
「全てを知っているのであれば、今私はここにいません」
その横顔をしげしげと見詰めつつマグメルが言えば、シオンはそう答えてつんと顎をそらす。
二人のやり取りに頬を緩めていたエデンだったが、ふと見れば広場の中央からルスラーンが消えていることに気付く。
その居所を辺りに探すエデンが目にしたのは、無言で自身の真横に腰を下ろす仮面の吠人の姿だった。




