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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第四章  吠 人(ほえびと) 篇   第六節 「我ただ一人の狩人なれど」
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第三百五十二話  供 宴 (きょうえん)

 二人の蹄人を送り届けたエデンたちは、あいさつもそこそこに彼らの元を発つ。

 そしてルスラーンを先頭に、その足で吠人の移動集落へ引き返す道を歩んでいた。


 蹄人たちの長が言うには集落を襲った異種は「野走リ」に間違いないようで、その襲撃は三年前以来のことらしい。

 三年前という時期は、いつかカナンの話してくれた、長イルハンが異種狩りの依頼を受けたときと符合する。

 もしもその際に彼が相対した異種が野走リであったのなら、先ほどのカナンの因縁深げな物言いもうなずけた。


 そんなことを考えていたエデンは、ちょうど自分たちが歩んでいるのが戦闘のあった場所近くであることに気付く。

 数十の異種の残骸が散乱する様を横目に捉え、野走リが自身に向かって飛び掛かってくる瞬間を思い起こす。


 カナンら五人に攻め立てられながらも野走リが自身を標的に選んだのは、やはり弱い個体を狙うその習性からだろうか。

 ならばなぜ丸腰の——剣を抜くことさえままならない自身を襲うことなく姿を消したのかと疑問が残るが、どれだけ頭をひねってみても答えが出ることはなかった。



 カナンが三人の狩人たちに告げたように「休みなく」というわけにはいかなかったが、それでもエデンたちは能う限りの歩みで帰路を進み続ける。

 そうして朝方に発った吠人の集落に戻ってきたときには、すでに日は落ち辺りは薄闇に包まれていた。

 幾つかの松明は灯されてはいるものの集落はいつになく静まり返っており、夕食の支度をする者や駆け回る子供たちの姿も見当たらない。


 もしやと不安に駆られて周囲を見回すエデンは、集落を囲む木柵近くに横臥するそれを目に留める。

 横たわっているのはカナンが野走リと呼んだ異種で間違いない。

 背筋の凍り付く感覚を覚えるが、すぐにそれが動かぬ骸であると理解して安堵に胸をなで下ろした。


 間に合ったのだと、異種よりも早く集落に舞い戻ったカナンたちが被害が出る前に異種を討ち取ったのだとエデンは眉を開く。

 だが閉ざされた木柵に背を預けるようにして立つジェスールと、その脇に力なく座り込むアルヴィンの姿を認めて妙な引っ掛かりを覚える。


「間に合った……んだよね?」


 二人の浮かべる表情は、とてもではないが因縁深い仇敵を討ち取った狩人の顔には見えなかった。

 強いて言うならば、その顔に宿るのは務めを果たすことのできなかった失意の色だった。


「見ての通りさ」

 状況を理解できないまま尋ねるエデンに対し、アルヴィンは肩をすくめて答える。


「ルスラーン、そっちはどうだったの?」


 エデンから視線をそらしたアルヴィンは、異種の残した外皮を検分するルスラーンに向かって声を掛けた。

 無言で首肯を返すルスラーンに「そっか」と返すと、立ち上がったアルヴィンはエデンたちに背を向けて集落の中へと戻ってしまった。


「そ、その——ジェスール、カナンは……」


 エデンはその場に残された大柄な吠人を見上げて尋ねる。

 決まり悪そうに視線をそらしたジェスールは、彼に似合わない歯切れの良くない口ぶりで続けた。


「あいつなら爺さまの——長のところだが……」


 そこまで言って口をつぐむと、彼は一人納得するように呟いた。


「……いや、お前たちになら任せられるかもしれんな」


 ジェスールは閉じられた木柵を開きつつ道を譲ると、エデンたち三人に向かってどこかかしこまった調子で言う。


「行ってやってくれ、カナンのところに」


「う、うん……」


 エデンは後方を振り返ってシオンとマグメルにうなずきを送り、集落の最奥にある長の天幕に向かって歩き出す。

 シオンが深く考え込むように押し黙っているのは普段通りだったが、常になく沈んだ様子を見せるのがマグメルだった。

 その身に宿す力をもって異変を感じ取っているのだろうか、マグメルは先ほどから怯えたようにシオンに張り付いている。

 その様は図らずも岨人の少女アリマの最期を知ってしまったときの彼女によく似ていた。


 マグメルを言葉少なにさせた原因がカナンの待つ長の天幕で待っているであろうことを、エデンはうっすらと感じ取る。


「カナン、エデンだけど……」


 天幕の正面、扉代わりの垂れ布の前に立ったエデンはその内部に向かって声を掛ける。


「……その、入るよ」


 待っていても答えが返ってこないため、エデンは恐る恐るといった様子で垂れ布の切れ目から頭部を差し入れる。

 中をのぞき込んだエデンの目に最初に飛び込んできたのは、天幕の中央に膝を突くカナンの背中だった。

 彼女が無事であることに安堵を覚えたのもつかの間、辺りに散らばったそれを目に留め、エデンは胸がびくりと脈打つ感覚を感じていた。


「あ、あれって——まさか……」


 からからに乾いて水気を失いはしているものの、その塊には見覚えがあった。

 薄くそがれた形状は日干しにしたケナモノの肉によく似ているが、決定的に異なるのは色合いだ。

 乾燥させると白く濁った半透明色になるケナモノの肉——膏肉あぶらにくと異なり、散乱するそれらは時を経た血を思わせる黒く濁った赤色をしていた。


「あ——」


 後方から力ない呟きを聞いて振り返れば、腰が抜けたようにへたり込むマグメルの姿が目に入る。

 赤黒い塊を凝視するマグメルと彼女に寄り添うように身を屈めるシオンを目にし、エデンは周囲に散らばったそれらの正体が想像通りであることを確信した。


「マ、マグメル……!!」


 嘔吐感をこらえるかのように口を覆うマグメルに手を伸ばそうとするエデンだったが、左右に首を振ってそれを拒んだのはシオンだった。


「貴方はカナンさんを」


 彼女はそう短く告げ、身体を二つに折ってうつむくマグメルの背をさする。


「……う、うん」


 答えて立ち上がったエデンは天幕の中央で膝を突いていると思っていたカナンが、何者かの背中を抱いていることに気付く。

 後方から肩に回した左右の腕が包むのが長イルハンであると早合点しかけたエデンだったが、注意深く見ればその人物は自身の知る長とは似ても似つかない。

 カナンに背を抱かれたその人物の肉体は、盛りを過ぎて衰えの見えるイルハンとは比べものにならないほどの若々しい熱と張りとを有していた。


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