第三百五十一話 追 躡 (ついじょう)
「絶対に取り逃すな!! 何がなんでもここで討ち取るんだっ!!」
自らもその後を追って走りながら叫ぶカナンに、四人の吠人たちもそれぞれの言葉で応諾の意を示して疾駆する。
シオンは走り去る野走リの背に向かって残された矢を射尽くしたが、硬質な外皮にはじかれてその走りを止めるには至らない。
マグメルの投じた二振りの短剣も、その背に届くことなく地に落ちる。
続いて勝負の一手に出たのはジェスールだった。
急制動をかけて立ち止まった彼は、手にした左右の斧を続けざまに投擲する。
弧を描いて飛ぶ二挺の斧の軌道は確実にその背を捉えていたが、野走リは命中の寸前に後方を顧みることなく素早くこれをかわす。
猛追を掛けるルスラーンの放った一閃も表皮をかすめるにとどまり、カナンの投じた槍も難なくかわされる。
「駄目だ、行かせるな!! 逃がすわけにはいかない!!」
大地に両手をついて息を乱すカナンが走り去っていく異種の背に向かって叫ぶと、懸命に追随するユクセルとアルヴィンがさらなる加速を見せる。
「この野郎おおおおおお!!」
「届けええええええ!! 」
競い合うように並走する二人だったが、異種に追い付くことかなわずもつれ合うようにして倒れ込む。
ユクセルとアルヴィンが勢いよく転倒する様を見て取ると、カナンは悲痛な響きを帯びた声を上げた。
「駄目だ……!! そっちは——」
無念と悔悟の表情を浮かべつつその場に膝を突くようにくずおれるカナン、そのそばまで駆け寄ったエデンは異種の走り去った方角を見やる。
数時間をかけて自身らが歩いてきた方向——その先にあるものを思い浮かべるエデンの身体の中を戦慄にも似た衝撃が走る。
「異種が、吠人の集落に——」
「……ああ」
呟くエデンに小さなうなずきを送って立ち上がると、カナンは自身で投げ放った槍に歩み寄って大地に突き立ったそれを引き抜く。
振り返った彼女の表情からは先ほどまでの動揺は消え、狩人たちを率いる長の名代としての責任感のようなものが宿っている。
「ルスラーン!!」
彼女はその名を呼び、蹄人たちを彼らの集落まで送り届けるよう指示を出す。
次いでカナンは「ジェスール! アルヴィン! ユクセル!」と、残りの三人の名前を呼んだ。
自責の念に駆られていたのだろう、それまでうつむくように顔を伏せていたユクセルはびくりと身体を震わせて彼女を見据える。
「今は一刻一秒が惜しい! 速やかに我らが集落に戻る!! ——付いてこられるな!?」
「わかっているとも」「当然」
ジェスールとアルヴィンが答えると、ユクセルも「ああ……ああ!!」と繰り返しうなずいてみせた。
カナンは最後にエデンを見やり、「君たちはルスラーンと共に行動してくれ」と短く告げる。
「戻るぞ!!」
続けて号令を放つと、カナンと三人の狩人たちは来たばかりの経路を逆にたどるようにして吠人たちの移動集落へと取って返した。
エデンは帰心矢の如しとばかりに走り出すカナンらの背中をぼうぜんと眺めていたが、ルスラーンの声を聞いて我に返る。
「何をしている。彼らを送り届け、集落の無事を確認するまでが何者でもない俺たちの仕事だ」
落ち着き払った様子で言い放つ彼の言葉を受けて戸惑うエデンだったが、ルスラーンはあくまで淡々と続ける。
「お前の受けた仕事だ。最後まで果たしてみせろ」
「——う、うん……」
シオンとマグメルを順に見やり、怯える二人の蹄人に視線を移す。
エデンが腰に差した剣の柄を握り締めつつうなずくと、ルスラーンは「行くぞ」と告げて一人先へと歩き出した。
カナンたちの去った方向を未練を残すように見据えるエデンに対し、傍らに並んだシオンが言う。
「現在、集落には——」
言って左右に頭を振ると、彼女は消え入りそうな声で言葉を濁してみせた。
「——いいえ、何でもありません」
「二人ともなにやってんの? 早く行くよ!!」
跳び上がって催促するように声を上げるのはマグメルだ。
彼女は二人の蹄人と共に、ルスラーンの後に続いて歩き始めている。
「急いで送り届けてさ、あたしたちも早くカナンのとこにもどろ!!」
「……う、うん!!」
マグメルに答えを返し、エデンは小走りにルスラーンの後を追う。
事ここに至っては幾ら憂慮しても状況は変わらない。
ならばルスラーンの言うように始めた仕事の結果を見届けてからカナンたちの元に戻るのが自身の役目だ。
不吉な胸騒ぎを覚えつつも、エデンはルスラーンの後に続く形で蹄人たちの暮らす集落へと足を進めた。




