第三百四十六話 先 駈 (さきがけ)
立ち止まってはるか遠方を見据えるカナンの視線の先を追ったエデンは、そこに異種の姿を捉えていた。
その体躯は鉱山を襲った異種よりもはるかに小さく、自由市場で遭遇した水棲のそれや、蹄人たちの暮らす村で迎え撃ったそれよりもなお小型だった。
だが前肢と後肢の四肢を器用に使って大地を駆けるその速度は極めて速い。
エデンがその姿を捉えた瞬間から数秒後には、異種はその細部までが判然と確認できる距離にまで迫っていた。
小型ながらもその身体は既知の異種同様に硬質な外皮で覆われており、頭部には口腔と見られる部位以外の器官が見当たらない。
そして今までに遭遇したそれらと大きく異なる点が一つある。
眼前に現れた異種は一匹ではなく、数十匹からなる集団だった。
小さい中でも比較的大型の個体が集団の先頭に位置し、それ以外の個体は後に続く形で駆ける。
これまで遭遇したどの異種にも見られなかった統率の取れた動きに、エデンは意思や連帯のようなものを感じずにはいられなかった。
正体不明の存在である異種の見せる統制に戦慄を覚えるエデンだったが、放心している場合ではないと自身を引き締める。
後方を見ればそこには恐怖に身をすくませる二人の蹄人の姿があり、シオンとマグメルはすでに弓と短剣を握って戦いに備えている。
「よ、よし……!!」
意気込んで剣の柄に手を伸ばす段になって、エデンはようやく己の身体ががくがくと震えていることを自覚する。
銀色の装飾の施された鞘を引き寄せて刃を引き出せば、刀身が鍔口に触れて立てる乾いた音がやけに耳に付くような気がした。
柄に手を掛けたまま前方を見やれば、迫る異種の群れを見据えつつも身動ぎもせずに悠然と屹立するカナンら四人の姿が目に入る。
このままでは、得物を握る間もなく異種の群れと接触することになるのではないかとエデンは肝を冷やしていた。
「カ、カナン——!!」
名を呼んで四人の元に一歩を踏み出そうとするエデンを、マグメルが短剣を握った手と逆側の手を伸ばして押しとどめる。
意を問おうと振り返ったエデンの目に、前方を確と見詰める彼女の姿が映る。
その視線の先を追って再び前方に向き直ったエデンが見たのは、迫りくる異種の群れを見据えたカナンが高らかに声を張り上げるところだった。
「アルヴィン!! 掻き散らしてやれ!!」
カナンの声を受け、後方に控えていたアルヴィンが無言で弓を引く。
よく見れば右手の指間には三本の矢が挟み込まれており、斜めに寝かせて構えた弓に番えられたそれらは扇状に拡散するように放たれた。
三本の矢は先頭を駆ける異種の足下に突き立ち、必然と群れは二つに分かれる形となる。
息つく間もなく矢筒に手を伸ばしたアルヴィンは、ひとつかみで矢を数本抜き取り、筈を上にしたそれらを弓を握る左手にまとめて握った。
番えた一の矢を射るとともに握っていた次の矢を番え、異種の群れに向かって差し詰め引き詰め射掛け続ける。
その速射の妙技に、エデンは刃を抜く手を止めて見入ってしまう。
傍らではシオンが息をのむところが見て取れた。
アルヴィンの射技により二つに分かれた一群はその場に釘付けにされていたが、大きめの個体に率いられたもう一方は歩みを止めることなく迫ってくる。
にもかかわらずカナンは依然として手にした槍を構える様子を見せない。
二つに分かれた一群の先頭を駆ける異種が大地を蹴って跳躍したその瞬間、彼女の口から再び力強い声が発せられた。
「ジェスール!! 打ち噛ませ!!」
号令を受けたジェスールは、得たりや応とばかりに勢いよく進み出る。
巨躯からは考えられないほどの俊敏な動きで飛び出したかと思うと、彼はカナンに向かって飛び掛かる異種に対して肩からの体当たりを食らわせた。
たとえ小型とはいえ異種と人とでは体格に大きな差があり、巨体のジェスールでさえも並みの吠人と変わりなく映るほどだ。
しかし彼の体重を載せた突進を受けた異種は大きく跳ね飛び、たたき付けられるようにして大地に転がった。
異種の群れの中に自ら飛び込んだジェスールの攻めは終わらない。
柄を短く切り詰めた両刃の斧を左右の手に握ったジェスールは、気合を込めた雄叫びとともに自らの身体ごとそれを振り回す。
「うおおおおおおおお!!」
さながら旋風のように回転する斧の刃に猛打され、周囲を囲んでいた異種が次々と吹き飛ばされていく。
数匹の異種をはじき飛ばしたジェスールが回転の勢いのままに打ち上げの一撃を見舞ったのは、今まさに身を起こさんとしていた最初の一匹だった。
一対の斧によるすくい上げるような一撃が起き上がりかけていた異種の胴部を捉える。
硬質な外皮は幅広の斧の刃を受けてなお傷ついた様子を見せなかったが、その爆発的ともいえる威力は異種を高々と跳ね上げていた。
「——薙ぎ払え、ルスラーン」
いまだ槍を構えることをしないまま、カナンは三人目の狩人の名を呼ぶ。
エデンはとっさに彼女の傍らを見やるも、そこには先ほどまで控えるように立っていたルスラーンの姿はない。
「あっちだよ」
辺りを見回すエデンに対してマグメルが指し示したのは、ジェスールによってかき回された異種の群れのさなかだった。
エデンが異種の群れの中に佇立するルスラーンに視線を向けたときには、彼の手に握られた曲刀はすでに異種の体液に濡れており、その足元には動かなくなった一匹の異種が横たわっていた。
音もなく異種の中へ飛び込み、さらには目にも止まらぬ早業で一匹目を仕留める彼の剣技にエデンは絶句する。
直後、ゆらりと身体を揺るがせたルスラーンは体勢低く駆け出し、徐々に身を起こし始める異種数匹を斬り伏せながら一匹の異種の元へと走り寄る。
走りつつ手にした刃を鞘に納めたかと思うと、片膝が地に着くほど低く身を屈めた彼は、抜刀の勢いのまま跳ね上げるような逆けさの斬り上げを放った。
全身の発条を存分に使って放たれた一刀は異種の堅固な外皮を切り裂いたが、深手を負わせるには至っていないようにエデンには見える。
異種は激しく身体を暴れさせて抵抗の意を示し、刀を引いたルスラーンに向かって口腔を開け放った頭部を突き出す。
素早く後方に身を翻してこれをかわすと、ルスラーンはそれ以上攻めを続けることなく異種の面前から引き下がった。




