第三百四十二話 拝 領 (はいりょう) Ⅰ
「そ、その……大事なときにごめん。一つ聞きたいことがあるんだけど……」
槍を手に一人出発の時間を待つカナンに対し、エデンは恐る恐る声を掛ける。
無言でうなずいて了承の意を示した彼女は、エデンの表情から何かしらを感じ取ったのか「場所を変えよう」と告げて先立つように歩き出した。
カナンが向かったのは、幾つかの天幕の脇を通り過ぎた集落裏手の川辺——昨夜彼女が水浴びをしていた場所だった。
流れを背にして振り返った彼女は、後に続くエデンを見据えて口を開く。
「出発まであまり時間がない。手短かに頼む」
「う、うん……!」
答えてエデンは心中に渦巻く疑問をどう言葉にするかを考える。
時間が限られていることも遠回しに探り合いをしている場合でないことも十分承知しているつもりだ。
一刻も早く自らの集落に戻りたいと語る蹄人たちに対し、カナンは「こちらにも支度がある。出発は小半時後だ」のひと言で静めていた。
二人に水と簡単な食事とわずかな休息を取らせる間、彼女と他の吠人たちは異種狩りの支度を始めた。
支度とはいっても携行食に飲料水、そして討ち取った異種の殻を運ぶための大籠の用意にはさほど時間はかからない。
準備を終えたカナンたちは得物一つを手に出発の時を待っていた。
戦いを控えた狩人を煩わせることはしたくなかったが、エデンにはどうしても尋ねておきたいことがあった。
このまま何も聞かなければ、何も知らなければ、カナンにも彼女以外の吠人たちにも好意を抱いたままでいられるかもしれない。
しかし彼らに出会ったときから、彼らが優れた異種狩りの戦士であると知ったときから抱いていた疑問の答えを、今ここで聞いておかなければならない気がした。
「き、君たちも——」
言いかけたところでエデンは唐突に口ごもる。
緊張に乾いた口内を潤すように唾液を飲み込めば、ユクセルに殴られた頬がひどく痛む。
意を決してカナンを正面から見据え、エデンは喉の奥から絞り出すようにしてその問いを発した。
「——君たち吠人も……た、食べるの……? 人の——肉を……」
異種と相対する際、戦士たちが戦意を高揚させるために人の肉を口にすることを知ったのはわずかひと月ほど前の話だった。
蹄人たちに伝わる供儀と呼ばれる慣習とともに教えられたその事実は、人を捕食する異種の存在を知ったときと同じか、あるいはそれ以上の衝撃をエデンにもたらした。
それが戦うことを捨てた蹄人たちの選んだ、生きるためのすべだということを頭では理解しつつも、人が自らの身を差し出すことを完全に受け入れ切れたとはいえない。
あわせて誰かの捧げた命を別の誰かが口にするという行為も、今のエデンにとっては到底許容できるものではなかった。
狩人たちの足を引っ張らないためにも、戦いの場では自分の身は自分で守るつもりでいる。
だがカナンや吠人たちが他者の命を口にするところを目の当たりにした場合、躊躇なく彼らと肩を並べて戦うことができるだろうか。
乱戦や混戦に持ち込まれた際に、心の平常を保っていられるだろうか。
異種との戦いに赴く彪人たちを、陽気で闊達とした彼らとは大きくかけ離れた様相を呈した戦士たちの姿を思い出す。
荒々しい呼吸に全身を弾ませ、両眼を赤々と血走らせ、口の端から止めどなく唾液を滴らせる彼らの姿が異種に挑む戦士としての顔であることはわかるが、共に戦うことに恐怖を感じないかと尋ねられれば即答はできないだろう。
カナンに対して問いを発しはしたものの、その口から肯定の言葉が返ってきたときに取るべき反応をエデンは知らない。
その様を想像して恐れるのか、彼らの口にする命に自身の知る少女の姿を重ねて憎むのか、あるいは理解できない感情を怒りとして表出させるのか。
ただ一つエデンの中に希望としてすがるべきものがあるとするならば、先ほど蹄人たちの差し出した包みを受け取ることを拒否してみせたカナンの振る舞いだった。
ただひと言「食べない」とだけ答えてくれることを信じていられるのも、その問い自体を投げ掛けることができたのも、全ては包みを差し出された際に彼女の見せた忌避的な反応があったからだ。
「食べないよ」
果たしてその口から発せられたのは、エデンの願った通りの答えだった。
だが人心地ついたように表情を緩ませるエデンに対し、カナンは釘を刺すように言葉を続けた。




