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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第四章  吠 人(ほえびと) 篇   第四節 「招かれざるもの」
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第三百四十一話  咆 哮 (ほうこう)

 飲食をする時間も惜しんで駆けてきたであろう蹄人二人に対し、カナンは水と簡単な食事を供した。

 彼らが食事を取っている間に狩人たちは異種狩りの準備を進め、エデンたちが吠人の集落を発ったのは二人の蹄人の訪問から三十分ほどが経った頃だった。


 先導を務める二人が言うには彼らの暮らす集落の場所は草原を抜けた先らしく、速歩で進み続けて三時間ほどの距離にあるという。

 だがそれはあくまで蹄人の足の話だ。

 カナンは一行が足並みをそろえた上で目的地にたどり着くには、その倍以上の時間が必要だろうと見立てていた。


 一心不乱に歩いてはいたが、エデンは文字通り誰が皆の足を引っ張っているのかを認識していた。

 足音の一つも立てず蹄人たちに続くジェスールら吠人三人、カナンも確かな足取りでその後に続いている。

 マグメルも普段通りの軽快な歩みで進み、シオンも置いていかれまじと懸命に彼らの背中を追っていた。

 一行の中にあって一人遅れ気味に歩を進めるのがエデンだった。


 出発前にシオンから手当てを受けてはいるのだが、ユクセルに殴られた頬の痛みは歩くことに支障を来す水準にまで達してしまっている。

 もちろんそれが爪を握り込んだ裏拳による手心を加えた一撃だったとしても、エデンの脆弱な身体に及ぼす影響は相当なものだった。


「自分のことは置いていってくれても構わない」


 歩を進めつつ何度そう口にしようとしたかはわからないが、その度に出かかった言葉をのみ込む。

 助けたいと申し出たにもかかわらず、言うだけ言って何もしないわけにはいかない。

 戦いの場に居合わせて何ができるとも言えないが、せめてその場に立ち会うのが言い出した者の責任だ。


 一行の先頭を速足で歩く蹄人たち二人は後に続く者たちを置いて進みにそうなり、何度も立ち止まっては皆が追い付くのを待った。

 蹄人の中でも特に速足を得意とする駒人である彼らからすれば、吠人たちの歩く速さですら緩慢に見えるのかもしれない。

 輪を掛けて歩みの鈍い自身のことを、一刻も早く集落にたどり着きたい彼らがどれほどもどかしい思いで眺めているのかと想像すれば、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


「——だいじょうぶ? エデン、ほっぺたいたい?」


「ひどく痛むようでしたら我慢せずに仰ってください。鎮痛効果のある薬草の用意もありますので」


 顔をのぞき込むようにして尋ねるマグメルの言葉で、エデンは本心に返る。

 マグメルに続いて心配そうに声を掛けてきたのはシオンだった。

 歩調を落として自身の傍らに並ぶ二人に対し、エデンは歩きながら答えを返す。


「うん、痛いけど……大丈夫。ありがとう」


 答えて二人の顔を見やり、半ば無理やりに笑顔を作る。

 つり上げた頬にしびれるような感覚が走るが、苦しさを表情に出さないように懸命に痛みをこらえた。


「——よし」


 己を鼓舞するかのように言って二人を追い越すと、エデンは気を引き締め直さんと左右の手を持ち上げる。

 だが両手で頬を張ろうとしたところで、自身の負った傷の具合に思い至る。

 持ち上げた手の処遇に迷った結果、そっとなでるように両手で自身の頬に触れ、もう一度小さく「よし」と呟いた。


 先へ進もうと一歩を踏み出したところで、エデンは足を止めて後方を振り向くカナンと目を合わせる形となる。

 一連の行動を見られていたのかと焦ったが、小さく笑みを浮かべた彼女は何事もなかったように振り返って歩みを再開した。


 その後も一行は蹄人二人の先導に従って速足で数時間を歩き続け、草原を抜けるまでもう少しというところまでたどり着く。

 休憩の際にシオンから半強制的に飲まされた薬草の効果か、あるいは幾度となく励ましの言葉を掛けてくれたマグメルのおかげだろうか、エデンも皆に遅れを取ることなく付いていくことができていた。


 

草原を抜けた場所にある蹄人たちの集落への到着を待たずして、一行は異種との遭遇を果たすこととなった。


 カナンは不意に立ち止まったかと思うと、一際長く深い深呼吸を行う。

 その表情が帯びる緊迫感から、彼女が一行の誰よりも早く異種の接近を感じ取ったであろうことをエデンは確信する。

 はるか遠方の音を聞き取ることのできる異能の力を有するシオンや、鋭い直感の持ち主であるマグメルに先んじる形で異種の存在を知覚したカナンは、他の少女たちと同様に何かしらの力を有しているのかもしれない。

 それも鋭敏な嗅覚と聴覚を持つ三人の吠人たちを上回る異形の力を。

 その正体が気になるところではあったが、その表情は今がそんな場合ではないことを雄弁に物語っていた。


「下がっていてくれ」


 カナンは蹄人たちに向かって短く伝え、次いでエデンたち三人に「彼らを頼む」と有無を言わさぬ口調で告げる。


 彼方まで続く草原の北方を遠望しながらカナンが手にした槍を握り直せば、その後方におのおの得物を携えた三人の吠人たちが控えるように並ぶ。

 ジェスールは左右の手に短柄の斧を握り、アルヴィンは弓比べの際に使用したそれとは全く別の実戦用らしき弓を手にし、ルスラーンは腰帯に差した曲刀の柄に手を添える。


 カナンの指示に従って二人の蹄人の前方に自らを置くと、エデンも腰の剣に手を伸ばした。

 剣の柄を握ったまましばしカナンと吠人たちの後ろ姿を眺めていたエデンだったが、その背ににわかに緊張が走る瞬間を目に留める。


「——来るぞ」


 ひと言呟き大きく息を吸い込んだ彼女は、頭上に向かって口を大きく開け放つ。

 カナンが上方に向かって朗々たる吠え声を上げれば、ジェスールら三人も彼女の声に合わせて咆哮を放った。

 競い合うように響き合う、長く音を引く吠え声は、吠人の名にふさわしい鬨の声だった。


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