第三百四十話 一 己 (いっこ)
答えることなく考え込むカナンを前にし、歯噛みをしたユクセルは同意を求めるようにジェスールたちを振り返る。
「お前らからも言ってやれって! なあ——!」
焦燥感をあらわにして言う彼に対し、ジェスールは申し訳なさそうに口を開く。
「俺は長代行としてのカナンに全幅の信頼を寄せている。だが……それ以上に共に育った友人として、その思いを支持してやりたい」
その発言に意表を突かれたのだろう、ユクセルは「な」と情けない声を漏らし、アルヴィンにすがるような視線を向ける。
しかし当の彼の口から放たれた言葉もまた、ユクセルの求めていたものとは異なっている様子だった。
「いいんじゃない? いつも僕らの代表として頑張ってくれてるんだから、たまにはお姫さまらしくわがまま言ってもさ。姫殿下のお言葉に従うのは臣下の務めでございます——なんてね」
ユクセルは普段通りの軽い口調で言う彼を、歯を固く噛み締めてにらみ付ける。
「俺もカナンの意志を尊重する」
臍を噛むユクセルに向けて放たれたその声の主が誰であるか、エデンにはとっさに判断が付かなかった。
ユクセルの視線の先を追うことで、言葉を発したのがルスラーンであったことを見て取る。
「俺は思い悩むカナンの姿を今日初めて見た。この日まで文句一つ口にせず私心を殺して長の代理として生きてきた彼女が迷っている。ならば友である俺たちにできることはその決断をより良き結果へと導くことだけだ。間違いではなかったと思わせることだ。長く共にあり続けた俺たちにも見せなかったその感情を流露させたのは彼らに他ならない。ユクセル、お前の恐れていた通りの結果だ。出会いの際に感じたお前の憂虞の正しさはこれで証明されたというわけだな」
「お、お前っ……!!」
袖から抜いた手で顎先をなでながら長広舌を振るうルスラーンに対し、ユクセルはひどく焦った様子で声を上げる。
「こんなときばっかおしゃべりになってんじゃねえって!! ——そ……それに何だ、俺は別に恐がっても不安がってもねえ! ただ無性に腹が立って……そんだけだっ!!」
「語るに落ちたとはこのことだ」
憤るユクセルを片頬をつり上げて上目に一瞥すると、ルスラーンはほくそ笑むように言った。
「こ、この野郎!! い、いい加減言いやがって!!」
いら立ち交じりに吐き捨てたユクセルは当て付けがましいしぐさで三人から視線を背け、意を決したようにカナンを見据えた。
「で、どうなんだよ! お……お前は——」
尋ねるユクセルの肩に触れてその脇を通り過ぎたカナンは、そのままエデンたちの元へと歩み寄る。
そしてまずはマグメルを見下ろし、その頬に小さな笑みを浮かべて口を開く。
「誰でもない、ただの私の願いは——」
そこまで言って彼女はエデンに視線を移し、自らの意を決然と言明してみせた。
「——エデン。君の思いに応えてみたくなった」
「カ、カナン……!! ありが——」
礼を言おうとするエデンを差し伸ばした手で制すると、彼女は事態がどちらに転ぶか定かではない状況の中でぼうぜんと立ち尽くす蹄人たちに声を掛ける。
「すまないが、私が挑むのは君たちを救うための戦いではない。ただ今は彼らと共に武を振るいたい——そんな私の心任せのために君たちの窮地を利用しようとしている。それでも許してくれるというのなら、私が私のために槍を振るう言い訳になってくれ。今この瞬間だけは吠人の名を捨てたただのカナンが——間人のカナンが異種狩りの依頼を請け負わせてもらう」
その言葉を受けた蹄人二人はほうけたような表情で互いに顔を見合わせたのち、同時にカナンに向き直って声を上げた。
「ほ、本当に——!? 願ってもないことです!!」
「あ、ありがとうございます……!! このご恩は……!!」
「感謝の言葉は事が済んだのちに頂戴する」
泣き付かんばかりの表情で礼を言う彼らをひと言でもって落ち着かせると、カナンはジェスールたちに向かって居ずまいを正す。
「ジェスール、アルヴィン、ルスラーン。聞いての通りこれは私の身勝手からの行動だ。君たちを付き合わせるわけにはいかない」
カナンのそんな表明を受け、最初に口を開いたのはジェスールだ。
「俺はなぜお前が異種狩りの依頼を拒むようになったのかを知っている。その理由にも十分納得しているし、これからもお前の下した決断を認めていこうと思っている。だがそんな理性的であろうと努める俺とは別に、この胸の中には闘争を求めるもう一人の俺がいるんだ。戦士としての吠人の血が俺を戦いに駆り立てる。磨き続けた力を発散したくて——」
「——矢も盾もたまらない、ってね」
ジェスールに寄り掛かるようにしてその脇腹を肘でつつき、アルヴィンは彼の言葉を引き継ぐ。
「このまま負けっ放しじゃあ、狩人としての面目が丸つぶれだ。借りは必ず返させてもらうよ。こんな絶好の機会、他にないからね」
片目をつぶって秋波を送るアルヴィンだったが、シオンは取り合おうともせずに露骨なしぐさで目を背けてしまった。
「ジェスール、アルヴィン……」
カナンは二人の名を呼び、続けてルスラーンに視線を向ける。
「右に同じだ。我が愛刀もこのままではさび付こうというもの」
「……ルスラーン。——感謝する」
言って三人に向かって頭を下げると、彼女は何か言おうとしきりに口を開閉させるユクセルを素通りしてエデンたち三人に向き直る。
「エデン、シオン、マグメル。共同戦線といこう。 吠人の——いや、ただのカナンとその輩の力を君たちにお披露目する」
「うん、ありがとう……カナン。それに——みんなも」
カナンとジェスールら三人を順に見やりながら感謝の言葉を口にするエデンだったが、一人背中を向けて怒りに震えるユクセルの姿を目に留める。
その背に声を掛けようとするエデンだったが、それよりも先に彼の名を呼んだのはカナンだった。
「ユクセル」
「お、おう……! な、なんだ!?」
「お前はここに残れ」
「は……?」
カナンの呼び掛けに尾を振りながら勢いよく振り向いた彼だったが、次いで放たれた言葉を受けて口をつぐんでしまう。
「長代理である私が自ら定めた掟を反故にしたとあっては集落の皆に示しが付かない。お前だけは有事に備えてこの集落に残ってほしい」
「な、なんで俺だけ……!! お、俺も一緒に——」
「お前だから頼めるんだ」
息巻くように言い立てる彼に、カナンは続けてささやくように言う。
「お、俺は……」
「頼む、ユクセル。長には——父上には内密にしてくれると助かる」
消え入りそうな声で呟くユクセルに重ねて言うと、カナンはエデンたちとジェスールらに向かって力強いうなずきを送った。
「あ、あの……」
恐る恐るといった様子で駒人の男がカナンに向かって進み出る。
「……こ、こちらを」
彼はそう口にすると、手にした包みをカナンに向かって差し出してみせる。
カナンは一瞬あっけに取られた様子を見せたものの、即座に気を取り直して拒絶の意を示した。
「すまないが、それは必要ない」
「は、はい……」
そう答えると駒人の男は不安げに手の中の包みに視線を落とす。
落ち着きを失った彼はせわしなく辺りを見回したのち、手にしたそれを今度はエデンに向かって差し出した。
「じ、自分たちも——その、大丈夫だから……」
言ってエデンは、その手の中の包みに視線を落とす。
「……よかったら、君の手で弔ってあげてほしいよ」
男ははじかれたように顔を上げたのち、両腕で包みを抱き寄せた。




