第三百三十七話 冀 求 (ききゅう) Ⅱ
ユクセルはエデンとその傍らに寄り添う二人の少女を憤懣のこもった視線で見下ろすと、揶揄と挑発とを多分に含んだ言葉を口にした。
「女二人に守られて、いいご身分だなあ……おい!!」
忸怩たる思いを感じつつも受け入れざるを得ないのは、彼の放つ言葉が今の自身の置かれた状況を端的に言い表しているからだ。
「弱えくせに粋がって一端の口利いてんじゃねえぞ……! 弱えなら弱えなりの立ち居振る舞いってやつをしたらどうだ!? 女に大事にされて、女に勝ちつないでもらって、それで満足か? ああ!?」
続くその言葉にも、エデンは返す言葉を持たない。
ローカの存在がなければ心地良い環境に身を置き続けていたに違いなく、シオンとマグメルが同行してくれなければ乗り越えられなかった危機もあった。
結局のところは旅に出る以前と何も変わっておらず、今の自身の思いの全ては他者の強さの上に存在していることをエデンは自覚している。
蹄人たちを助けたいと願うのであれば、誰でもなく自身が名乗りを上げればいい。
だがそれができないのは自身がそれに値する力を持ち合わせていないことを知っているからだ。
「黙ってねえでなんか言ったらどうだ、おい!! それともあれか!? 誰かに代わりにしゃべってもらわねえと、言い返すこともできねえのか!?」
「——ユクセル!!」
あおり立てるように言う彼に対し、カナンはその言動をとがめるように再び名を呼ぶ。
「うるせえなあ!! 後で処分でも仕置きでもしてくれて構わねえ! だから今はほっとけってんだ!!」
「これ以上看過できるわけなどないだろう!! 客人に手を出した上に度重なる暴言、吠人の名誉を汚辱する行為であると理解しているのか!!」
エデンを差し置き、カナンとユクセルは顔を突き合わせての言い争いを始めてしまう。
状況から置き去りにされているのはエデンたちだけではなかった。
この場において最も大きな困惑を抱いているのは、頼みの綱を断たれて去りかけたところで騒ぎに巻き込まれた蹄人二人だろう。
早くこの場を離れていれば別の異種狩りのもとに赴くこともできたかもしれない中で、かすかにでも希望を抱かせたのは自身の責任だ。
エデンはシオンの気遣わしげな視線を振り切って立ち上がると、ふらつく身体を叱咤していさかい合うカナンとユクセルに向かって口を開いた。
「知ってる……!!」
熱の入ったエデンの言葉に、二人は同時に向き直る。
「自分が弱いことなんてずっと前から知ってる! 弱いから……何も知らないから頼んでるんだ!! ——こうしてお願いしてる!!」
両者ともあっけにとられたような様子でエデンを見詰めていたが、やがてあきれともいら立ちともつかぬ表情で口を開いたのはユクセルの方だった。
「ああ!? 頼む——ってお前、どんだけむちゃくちゃ言ってんのがわかってんのか!?」
「それもわかってる——!」
ユクセルの顔を正面から見返し、エデンは自身の意を告げる。
見えないが熱を持ってずきずきとうずくように痛む頬は、相当に腫れ上がっているだろう。
変わらず口内に広がり続ける鉄のようなにおいも、頬の内側に負った傷がそこそこに深いことを証明している。
気を抜けば膝から崩れ落ちそうになる身体を力を込めた両足で支え、エデンは懸命に言葉を継いだ。
「むちゃくちゃでも——ここで助けたいって気持ちを伝えないと、きっとまた悔やんでも悔みきれないことになるんだ! たとえその場限りの気まぐれだって、ずっと見ていられるわけじゃないって知ってても……それでも見過ごせない!」
「また、だあ!? 何の話してやがんだ!? こっちはお前の話なんて知らねえ! 知ってんのはお前が弱えくせに身の程知らずの妄想抱えた大莫迦野郎だってことだけだ!!」
一瞬困惑の表情を見せるも、ユクセルはエデンに向かって指先を突き付けながら声を張り上げる。
「お前のそのご大層な理想も——!!」
次いで彼はその指先を立ち尽くす二人の蹄人へと振り、心底腹立たしげに吐き捨てた。
「——そいつらの事情とやらもどうでもいい! そいつらは爺さんのことを踏み付けにしやがった!! 事情事情ってなあ、そんなら俺らが助けねえのもこっちの事情だし——」
言ってユクセルは駒人の男が抱きかかえるようにして持つ包みを一瞥する。
「——それだってそいつらの事情だろ!? 勝手にそうなっちまって、それで助けなきゃこっちが悪者か!? 誰に食われることになるかは知らねえが、見なくていいとこ見ずに済んでよかったよな——そいつもなあ!!」
より激しさを増して言い立てるユクセルの言葉に、駒人の男は手にした包みをより固く抱く。
悔恨とも慙愧とも取れる表情を浮かべた彼は、包みをかき抱いたままその場に膝から崩れ落ちてしまう。
もう一人の蹄人がその身体を引き起こす様をぼうぜんと見やりながら、エデンはユクセルの口にした言葉を呟くように繰り返していた。
「勝手……」
その言葉を口にした瞬間、胸の内に感じたことのない感情が湧き上がってくる。
熱を持った頬とよく似た、焼け付くような痛みが胸の奥に生まれるのを感じる。
渦巻く感情は燃えるような熱を発したかと思えば、その直後には凍り付きそうな悪寒となってエデンの身を攻め立てる。
内側から湧き起こる冷熱入り交じった感情は震えとなって表出し、行き場をなくした思いは言葉として口から漏れ出していた。
「勝手だって……?」
エデンの口から漏れた呟きから何かを察したのだろうか、シオンはいつになく取り乱した様子でその名を呼ぶ。
「エデンさん……!」「エデン——?」
マグメルも顔をのぞき込むようにして、不安げにその名を口にする。
しかしエデンは気遣う二人の視線を振り払ってユクセルに向き直ると、湧出する感情の赴くままに声を発していた。




