第三百三十六話 冀 求 (ききゅう) Ⅰ
今日の狩比べはこのまま流れると考えたのだろう、ユクセル以外の狩人たちも彼と共に踵を返して広場を去り始めていた。
エデンは自身らの脇を通り過ぎ、集落の出入り口へと向かう駒人の男の姿を目に留める。
手にした包みを両手で固く抱き締めて弱々しい足取りで歩く男の涙をこぼしながらうつむく横顔を目にした瞬間、エデンの胸の内に様々な思いが去来する。
もしも彼女が——アリマが楽団と共に行く道を選んでいたなら、その迎える結末はまた違う形になっていただろう。
どこか遠くの地で、楽団の面々の演奏に合わせて得意の歌を披露していた未来もあったかもしれないのだ。
その運命の岐路に立ち合っていたにもかかわらず、自身には何もできなかった。
助ける以前に、何も知らない自身には助けたいと願うことすら許されず、その最期を知ったのは全てが終わった後のことだった。
今となっては彼女が助けられることを望んでいたのかどうかも知る由もないが、それでもあの夜、彼女とその友人の抱き合う場にたまさか居合わせた自身にならば掛けられる言葉があったのではないかと何度も自問自答を繰り返してきた。
目の前を通り過ぎていく駒人の男に、妻と娘——愛する者を二人も供儀へと送り出した林檎亭の主人と、その務めを肩代わりさせたという負い目を抱いて生きることを余儀なくされた友人の面影を見る。
そして気がついたときには、エデンは二人の蹄人の背を見送るカナンに向かって声を掛けていた。
「そ、その……」
エデンの声に応え、カナンが向き直る。
その声音に何事かを感じ取ったのだろう、立ち去りかけていたユクセルたちも足を止めて振り返る。
皆の視線を浴びながら一度深呼吸をすると、エデンは努めて平静を心掛けつつ言葉を続けた。
「……助けて——あげられないのかな……?」
「エデン、君は——」
エデンの突然の発言に、カナンはそう呟いた切り言葉を失ったように押し黙ってしまう。
傍らではシオンが「またか」とばかりにがくりと肩を落とし、マグメルもいまだ力ない表情を浮かべながらも驚いた様子でエデンを見上げていた。
「も、もちろん自分も手伝う! 君たちに任せ切りにしようなんて思わないよ! 異種狩りをやめたって話はわかってるつもりだけど……でも彼らも困っていて——」
息を荒くして言い立てながら、エデンは立ち去りかけて足を止める二人の蹄人を見やる。
彼らは突然の出来事に動揺を隠せない様子だったが、その顔にわずかな希望の色を宿してエデンを見詰めていた。
「——そ、それに君たちなら、あんなに強い君たちなら——その……あれも必要ないんじゃないかって……」
駒人の男が抱えた包みをちらりと眺め見たのち、エデンは今一度カナンの顔を見据える。
「だから、彼らを助けてあげてほし——」
その言葉は、最後まで発し切られることはなかった。
途中まで言いかけたところで、突如として身を躍らせた何者かによって殴り飛ばされたからだ。
頬を激しく打たれて眼窩の奥に火花が散ったかと思ったその瞬間、衝撃で勢いよく跳ね飛んだエデンの身体はそのまま大地に転がった。
地面から生える草を巻き込んで転がったことで、この草原にたどり着いてからもう何度目かの青臭い味を噛み締める。
それに加えて口内に満ちる金臭さは、殴られたことによる出血のためだろう。
「ユクセル!!!!」
カナンの叱声が飛ぶが、当の彼は悪びれる様子を見せることなく転がったエデンを見下ろし続けていた。
脳を撹拌されでもしたかのような目まいと、頬から顔全体へじわじわと脈打つように広がっていく痛みに、エデンは苦悶の声を漏らす。
「……う——」
起き上がろうと試みるが衝撃で平衡感覚が失われているのか、思うように身体が動いてくれない。
素早く駆け寄ったシオンが支えてくれることでどうにか上半身を起こすことはできたが、立ち上がるのには少しばかり時間が必要に思えた。
エデンは強烈ないら立ちを宿した黄金の瞳で自身を見下ろすユクセルを見上げる。
その全身から放たれる怒りの感情にすくみそうになりながらも、手の甲で口元を拭って口内にたまった血を飲み下した。




