第三十三話 儀 式 (ぎしき)
「疲れた……」
片付けを済ませた卓に顔から突っ伏すようにして少年は呟く。
油断をすれば、そのまま眠りに落ちてしまいそうだ。
それも当然のこと、時間はすでに深夜を回っている。
夜明け前から鉱山で働き、終業後は落ち着く間もなく食事をかき込んで酒場の手伝いだ。
騒がしい客たちの相手をしながら注文取りや配膳下膳をこなし、閉店後は片付けと清掃を行う。
「お疲れさん」
乱暴な手つきで頭をなで付けるのは、奥の卓で仕事が終わるのを待っていたアシュヴァルだ。
「……うう」
がしがしと頭を揺さぶられ、うなりともうめきともつかない声を漏らしながら握り締めていたものを卓の上に乗せる。
卓の上に転がったのは今日の分の鉱山の日当である銀貨二枚と銅貨七枚に、酒場の手伝いの対価として主人にもらった銀貨一枚だ。
合わせて銀貨が三枚と銅貨が七枚、それが今日一日の稼ぎの全てだった。
アシュヴァルは隣の椅子に掛け直し、手にしていた巾着袋を押してよこす。
自身で持っているよりもよほど安全と、ためた金を収めた財布代わりのそれはアシュヴァルに預かってもらっている。
突っ伏していた上半身を起こした少年は礼を言って紐を緩めると、袋を逆さにして中身を卓上に広げた。
袋の中から転がり出るのは三種類の硬貨だ。
錆の浮いた褐色の銅貨とほの白い光沢を放つ銀貨に加え、鈍く光る黄金色の硬貨が何枚か含まれている。
「一……二……三——」
一枚ずつ枚数を数えながら、卓の上に硬貨を積み上げる。
この数か月の間、何度繰り返したかわからない作業だった。
もちろん数えれば枚数が増えるなどということはない。
だが少年にとってはこの行為自体が、自らの立てた目的への進捗を確認する大きな意味を持っていた。
「金貨七枚に——銀貨十六枚、銅貨二十三枚……!」
積み上がった三種の硬貨をまじまじと見詰め、昂然として意気込むように言う。
「この短い間にそんだけためられりゃ大したもんだ」
アシュヴァルが本気で感心しているのは、口ぶりからも明らかだ。
少女の身を買い取ると決めてから三月、この鉱山に流れ着いてからは六月ほどが経っているが、少年自身もこの短い間にここまでできるとは考えもしていなかった。
それも生活の一切を面倒見てくれているアシュヴァルをはじめ、仕事に当たって様々な便宜を図ってくれるイニワ、鉱山で働く抗夫仲間たち、酒場の主人や給仕の協力のおかげであることを理解している。
目の前の硬貨を見詰めながら、目的達成のために必要な金額を頭の中で計算する。
「残りは——銅貨七枚、銀貨六枚……それから金貨が——」
大きく息をのむと、決意を新たにするかのように口にする。
「——二十二枚……!」
「このままの進み具合ならあと半年強ってとこか」
「あと半年——」
アシュヴァルの口にした日数を、噛み締めるように繰り返す。
当初の計算であった二年半と比べれば、目指す場所ははるかに近くなっている。
それでも目の回るような忙しさに振り回され続けた三月間を振り返ると、その先に続く半年という時間が途方もなく遠く感じられる。
「——は、半年かあ……」
積み上げた硬貨を避ける形で再び卓に突っ伏す。
決して諦めないと誓いはしたものの、半年先の自分の姿にまるきり想像が付かない。
立てた誓い通りに金貨三十枚を稼ぐのが先か、それとも——そんな不安がふと脳裏をかすめる。
「用意できたよ、早く持ってってあげなよ」
そんな声とともに、目の前に見慣れた行李が置かれる。
勢いよく上半身を起こすと、少年は給仕の顔を見上げて礼を言った。
「うん、ありがとう——!」
卓の上の行李を手に取り、厨房の中の主人にも同じように声を掛ける。
「——いつもありがとう!」
積み上げた硬貨の山が崩れるのを気に留めることなく立ち上がり、アシュヴァルに向かって告げる。
「ちょっと出てくるね! 」
「お、おい! お前、これ——!」
「ごめん! 戻ったら片付ける!」
崩れた硬貨の山を示しながら言う彼に対し、手を合わせる形で謝罪の言葉を口にする。
言うや転がるように酒場を飛び出した少年は、飯行李を小脇に抱えて往来を駆けた。