第三百三十五話 訪 客 (ほうかく) Ⅱ
長の震える手が包みに触れんとしたその瞬間、彼と駒人の男の間に割り入ったのはカナンだった。
彼女は男の差し出した包みに手を添えると、拒絶の意を込めて押し返しながら言う。
「すまないが異種狩りの依頼はもう受けていない」
嘆願をすげなく切り捨てるカナンに対し、蹄人たちはすがり付くようにして助けを求めた。
「そ、そんな……!! 何人も襲われていて! ! だからどうか……!!」
「お願いします……! で、では——」
言って駒人の男は再び背嚢に手を伸ばすと、その中からもう一つ包みを取り出してみせる。
「——足りないと仰るのであればこちらも……」
「数や量の問題ではないんだ」
男の言葉を遮るカナンの言葉は、落ち着いてはいるが有無を言わせぬ迫力を有していた。
異種狩り稼業の看板を下ろしたと、戦うことを捨てたと語っていたカナンの表情を思い出し、エデンはそこに単なる仕事の開廃ではない、表立って言われない特別な理由があることを確信する。
「異種狩りはもうやめた。それが長の名代を務める私の結論だ。悪いが他を当たってくれると助かる」
「し、しかし……! この付近で頼れるのは貴方たち吠人の狩人だけで……!!」
「そうです!! い、以前のように——」
なおも諦めようとしないのは、遣いを任された彼らが集落の命運を握っているからなのだろう。
その手にした包みとともに、吠人たちへの異種狩りの依頼という役目を託されているのだから当然だ。
だが執拗に食い下がり続ける彼らを前にして、カナンの顔にエデンの見たことのない険しい色が宿る。
怒りにも憎しみにも見える表情を浮かべた彼女が、二人の蹄人に向かって口を開きかけたその瞬間、彼女に代わって怒号にも似た叫びを上げたのはユクセルだった。
「ふざけたこと抜かしてんじゃねえっ!!」
激しく声を荒らげたかと思うと、彼はおびえに身をすくませる蹄人たちに勢いよく詰め寄る。
「お前らのしたこと、忘れてねえぞ!! どの面下げて俺たちの前に出てきやがる!!」
「そ、それは……」
答えに窮する蹄人たちをにらみ付けるユクセルの顔に浮かぶのは、強烈な憤怒の色だ。
鼻の頭に深い皺を寄せ、鋭い牙と上歯茎をむき出しにしたその表情は、かつてないほどの怒りに満ちている。
彼は煮えたぎる怒りを静めるように深呼吸をすると、周囲に集まった人々に向かって追い立てるように手を払った。
人々が三々五々その場を去っていく間、ユクセルは小刻みな呼吸を繰り返しつつ、固まってしまって動けない蹄人二人をじっと見据えていた。
口を出すことなく状況を静観し続けていたエデンは、傍らのマグメルがシオンの腕から抜け出すところを目に留める。
「だいじょうぶ」と弱々しい笑みを浮かべて見上げる彼女に対し、シオンもその顔にうっすらと安堵の色をたたえて「はい」と応じていた。
ルスラーンが長の肩を抱いて天幕に向かえば、その場に残されたのはエデンたち三人、カナンとユクセルら三人、そして蹄人の男二人だけになる。
ユクセルは先ほどよりもだいぶ落ち着いた様子だったが、それでも湧き立つ怒りを内に秘めた口調で今一度蹄人たちに向かって告げた。
「お前らが爺さんにしたことは絶対に忘れねえ……! わかったらとっとうせろ!! そんでもう二度と俺たちの前に姿を見せるんじゃねえ……!!」
「し、しかしあのときは——」
後ずさりつつも弁明の言葉を口にしようとする蹄人の男だったが、にらみを利かせるユクセルに気おされて押し黙ってしまう。
「あ、あのときとは事情が違います……!! どうか何卒——!!」
もう一人の男は地面に額を擦り付けるようにして言うが、ユクセルは取り合うそぶりを見せることなく荒立った口調で言い放った。
「事情だあ!? そんなひと言で体よく済まされてたまるもんか!!」
その激しい剣幕に、二人の蹄人はびくりと身体を震わせる。
このままではユクセルが怒りに任せ、二人に手を出してしまうのではないかとエデンは危惧する。
何とかして荒ぶる彼をなだめる手段はないかと頭をひねるものの、そのもう一つの怒りの対象である自身に打てる手など思い付かず、シオンとマグメルもまた黙って事の成り行きを見守っていた。
戻ってきたルスラーンを含むユクセル以外の狩人たちも、その険しい表情から彼と同じ思いを抱いていることが見て取れた。
「——もういい、ユクセル」
憤る彼の肩に触れ、その身体を押しやるようにして進み出たのはカナンだ。
彼女は言葉を失いぼうぜんと見上げる二人の蹄人を見下ろすと、つい先ほど彼らが口にした言葉を借りて告げた。
「君たちに事情があるように——私たちにも力になれない事情があるんだ。どうかわかってくれ」
言って頭を下げるカナンに、蹄人二人はすっかり気抜けしたような表情で顔を見合わせる。
立ち上がった彼らはカナンとユクセルに向かって小さく頭を下げると、背を向けてその場を後にする。
カナンは複雑な面持ちでその後ろ姿を見送り、ユクセルはいら立たしげな舌打ちを放ったのち、去っていく男たちから目を背けた。




