第三百二十五話 二 番 (にばん) Ⅰ
「技比べ三本勝負、本日執り行うは二本目——弓比べだ! 両者、前へ!!」
カナンの宣言を受け、上座に腰を下ろした長イルハンの面前へと進み出たのは、弓比べの参加者二人だった。
「名乗りを上げたる射手の名は、アルヴィンと——シオン!!」
周囲に集まった人々は拍手をもって二人を迎えるが、昨日の槍比べのときのように声を上げての応援を行う者は誰一人いなかった。
これから始まる弓比べが極度の精神集中を要する競技であることを、大人たちだけでなく子供たちまでもが理解しているのだろう。
「君が出てくるってわかってたからね。改めてよろしく」
言って差し出されたアルヴィンの手をじっと見下ろすと、シオンは握手に応じることなく軽く頭を下げる会釈をもって礼を示した。
「弓を持て!」
二人のそんなやり取りを見やったのち、カナンは天幕の脇に向かって言い放つ。
カナンの言葉を受けて射座へ進み出たのは、二丁の弓を抱えたアセナだった。
彼女は長とカナンに向かって深々と一礼をすると、手にした弓をシオンとアルヴィンに手渡す。
初めて触れるであろう吠人の短弓の引き具合を確かめていたシオンだったが、エデンにはその表情がいたく険しく見えた。
普段から柔和とはいえない顔つきの彼女だが、いつにも増して引き締まった表情をしているように見えるのは勘違いだろうかと自問する。
過日、弓比べに使用するのが吠人たちが稽古に用いる弓だと聞かされた際、シオンは異論なく受け入れていた。
しかし使い慣れた彼女自身の所有物である弓とは、やはり勝手が違うのかもしれない。
ふと傍らのマグメルを見下ろせば、彼女もまたどこか不可解そうな面持ちでシオンのことを見詰めている。
マグメルだけではない。
カナンもまたいぶかしげな表情を浮かべてその手の中のものを見やっていたが、顔を上げた彼女は左右の手を広げてアルヴィンとシオンを指し示した。
広げた両手を胸の前で交差させ、先ほどとは反対側の手で両者を示す。
恐らく何かの合図であろうしぐさを受け、アルヴィンはシオンに向かって一歩進み出る。
そして片手で握った弓を彼女に向かって差し出した。
併せて突き出された弓幹を握る手と逆側の手の表情から、彼がシオンにも同じ行為を求めているのが見て取れる。
だがシオンはアルヴィンの求めに応えることなく、ただ黙って彼の目を見据えていた。
両者が無言のまま十秒ほどが流れ、周囲の人々はにわかにざわめき出す。
アルヴィンは口の端をつり上げた皮肉な笑み浮かべ、差し出した弓と手を引っ込めると、そのまま彼女に背を向けて射座へと戻ってしまった。
人々の間から漏れるざわつきがますます大きくなり始める中、何が起きているのか全くわからないエデンはマグメルに向かって状況を尋ねる。
「あれ、どういうこと……?」
「あたしもよく知らないんだけど——」
マグメルは射座に戻るシオンから目をそらすことなく、そう前置きをしてエデンの問いに答えた。
「——なんかね、たたかいを大事にしてる人たちって、持ってる武器をこうかんしたりすることもあるみたい。それがね、公——正? 公……平? そういうのを表わしてるんだってさ」
「……そう——なんだ」
呟いて周囲を見渡せば、確かに先ほどまで嬉々として両者を眺めていた人々の表情がわずかながら曇っているように見えなくもない。
シオンが武具の交換を拒否したことで、技比べに水を差されたような感覚を覚えているのだろうか。
不安げにシオンを見詰めていたエデンだったが、周囲に立ち込めた重い空気を晴らすように決然とした声を上げたのはカナンだった。
「弓の交換はあくまで随意によって行われるものであり、望まぬ相手に強制すべきものではない!! それを拒んだとて責める道理などないなずだ!! 弓比べの進行を妨げる者が誰であるのか、よくよく考えた方がいいのではないか!?」
カナンの一喝によって人々は水を打ったかのように静まり返り、聞こえてくるのは吹き付ける風の音だけになる。
睥睨するように人々を見渡したのち、カナンはシオンに向かって意を問うように視線を投げ掛ける。
ほんの数瞬のやり取りではあったが、カナンの視線を受けたシオンが左右に小さく頭を振って応じるところをエデンは見て取る。
それを受けたカナンもまた、了承の意を込めたうなずきを彼女に返した。
「先手は僕に譲ってくれないかな? ……問題ないよね?」
依頼の体を装ってはいるものの有無を言わさぬ口調で言うアルヴィンに対し、シオンは黙って場所を譲る。
その様を横目に射位まで進み出た彼は、仲介人であるカナンに向かって「早く始めてくれ」とばかりに鼻先をしゃくってみせた。
アルヴィンの無言の催促に、カナンは傍らに腰を下ろした長を見下ろす。
その小さなうなずきを受けた彼女は頭上高く手を掲げ、弓比べの開始を宣言した。




