第三百二十三話 弓 構 (ゆがまえ) Ⅰ
マグメルが「お祭みたい」と例えて言ったように、槍比べを終えた広場はその余韻を味わう人々で賑わっていた。
大人たちは食事を片手に酒を楽しみ、子供たちは槍比べの熱気に当てられたように木製の武具を打ち合わせている。
そんな彼らの脇では、カナンを中心に数人の大人たちが翌日の技比べ二本目の準備を始めていた。
彼らは木組みの台座の上に、巻いた藁か何かを横倒しにした円柱状の道具を据え付けている。
円形をした底面の中心には黒点、徐々に径を広げる形で幾つかの輪が描かれていることから、それが的なのだということが広場の端に腰を下ろして準備の行われる様を眺めていたエデンにも見て取れた。
昨日、カナンは技比べの一本目が槍比べであると告げたのち、二本目の勝負が「弓比べ」であると教えてくれた。
勝負は交互に一射ずつ弓を引き、合計三射の中で最も黒点に近い点を射た側の勝利という取り決めに則って行われるのだという。
説明を受けたエデンは、顔色をうかがうようにとっさにシオンに視線を投げた。
「私でしょうね」
昨日はどこか諦め気味にそう口にしたシオンだったが、先ほどエデンの思いを知った彼女がその顔に宿す感情は昨日とは大きく異なるものだった。
また身勝手に巻き込んでいる——そう考えて肩を落としていたところ、エデンは背後から自身の名を呼ぶ声を聞いた。
「エデン!」
振り返ったエデンの目に映ったのは、両手いっぱいに料理を抱えたマグメルだった。
その後方には飲み物を手にしたシオンの姿もある。
「——はい、これ! エデンの分!」
突き出された料理の盛られた皿を感謝の言葉とともに受け取る。
続いてシオンの差し出した飲み物の椀を受け取りながら、エデンは彼女の顔を見上げた。
「……シオン、本当に頼んでいいの?」
唐突な問い掛けにもかかわらず、彼女はエデンの発した言葉の意図を察してくれる。
彼女の心もまたエデン同様に明日の弓比べに向いているからなのかもしれない。
「よいも悪いもありません。貴方がそれを願ったのでしょう」
エデンは返す言葉なく押し黙る。
シオンはやれやれとばかりに左右に小さく首を振ると、弓比べの準備を進めるカナンたちを眺めながら口を開いた。
「将来必ず役に立つときがくるからと、先生は私に弓の手ほどきを授けてくださいました。勉強だけしていたかった私は弓のお稽古の時間があまり好きではなかったのですが、それも一つの学びと言われれば受け入れるより他はありません。必要なことと言い聞かせて稽古に努めてきた弓の技が、これほど早く誰かの——貴方の助けになるとは思いも寄りませんでした」
「……うん」
その横顔を眺めながら、エデンは彼女の弓に救われた過去を回想する。
自由市場の大河に現れた異種の標的になった際は、その遠射の技をもって救ってもらっている。
立ち寄った先の蹄人の村でも、彼女は不調を押して弓を取ってくれた。
智をもって助けになると語ってくれたシオンだが、その有する技にもどれほど助けられているだろうと考えれば頭が上がらない思いでいっぱいだ。
「それから——」
言って彼女は視線を準備に当たるカナンたちから広場の反対側へと移す。
そこには木製の弓台の脇に胡坐を組む形で座り込み、並んだ弓を一つ一つ手入れするアルヴィンの姿があった。
いつもであればその周囲には数人の女たちの姿見られたが、いつになく熱の入った様子で弦の張替えを行う彼に寄り付こうとする者は誰一人いない。
見据えるシオンの視線に気付く様子もなく、アルヴィンは黙々と弓と矢の手入れを行っていた。
「——あの方には借りがあります。ここで返しておかなければ、雪辱の機会は二度と巡ってこないでしょう。そう考えれば、私にも戦う理由があると言えなくもありませんから」
淡々とした口調で言うシオンの言葉を聞き、マグメルは「うふふ」と含み笑いを漏らす。
「シオンってさ、意外と負けずぎらい? けっこうめんどくさいせいかくだったりして!」
「どうでしょうね。意外と——そうなのかもしれません」
マグメルの言葉を受けたシオンは気を悪くした様子もなく、その頬に小さな微笑みを浮かべてみせる。
忍び笑いとともに「どなたに感化されてしまったのでしょうか」と呟いてマグメルと視線を交し合った彼女は、次いでエデンを真剣なまなざしで見据える。
「弓比べの勝利は私がもらいます。続く三本目の勝負を引き分け持ち込むことができれば、貴方の望み通り再戦の機会を得ることもできるでしょう」
揺るぎない自信を深紫の瞳に宿し、シオンは断然と言い切った。
うなずきをもって彼女の意に応えようとしたエデンだったが、彼女が不意に後方を振り向いたことで機を逸する。
その視線を追ったエデンが見たのは、天幕の陰に身を潜めるように立つ吠人の少女の姿だった。




