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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第四章  吠 人(ほえびと) 篇   第三節 「いざや、三番勝負」
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第三百二十二話  看 破 (かんぱ)

「満足のいく負け方ができたかな、エデン」


 ジェスールらと周囲に集まった人々がその場を後にしていくところを見届けたのち、カナンはいまだ気抜けしたように立ち尽くすエデンを見据えて言った。


「えっ……!? あ——」


「わかるさ。君には最初から勝とうという意志がなかった」


 意表を突く彼女の言葉に、エデンは思わず間の抜けた声を漏らす。

 槍比べに臨むに当たって抱いていた意図が筒抜けだったことに驚きを覚えるエデンだったが、カナンはそんな様をどこか愉快そうにも見えるまなざしで見詰めていた。

 そして何を思ったのか、彼女はぼうぜんと立ち尽くすエデンの顔に突然鼻先を寄せた。


「——これは……うん、確かに戦士のそれではないな」


 首筋辺りに鼻を利かせながら呟くカナンに、エデンはあっけに取られたまま声も出せずにいた。

 つんと尖った鼻梁の触れる感触を感じるとともに、その口から漏れる微かな吐息が首筋をくすぐる。


「カ、カナン……何を——」


 ややあって疑問の声を口にするエデンだったが、はるかに上回る音量をもって抗議の声を上げたのはシオンだった。


「な、何をしているんですか!? 貴女は——!!」

「そうだよ! なにしてんの!!」


「ああ、そうだったな。まだ私のものではなかったことを失念していた」


 物申すように言い立てるシオンと符丁を合わせるマグメルに対し、カナンはどこ吹く風とばかりにさらりと言い放つ。


「な——」

「なにそれ!?」


 再び不服げな声を上げる二人を挑発するような視線で一瞥すると、カナンは一人置き去りにされていたエデンを見据えた。


「私の未来を懸けた勝負、そう簡単に捨てられたとあってはさすがに傷つくな」


「え……!? いや、そ……その、そういうわけじゃ——」


 落ち着きを失って取り乱すエデンだったが、カナンはその周章ぶりを前にして鼻を鳴らして笑う。

 そして含み笑いに口元をゆがませつつ、エデンの肩にそっと触れた。


「やはり冗談は慣れない」


「じ、冗談……?」


 その口にした言葉を繰り返し、エデンはわずかに安堵を覚える。

 うつむき気味に笑いを漏らすカナンを見詰めながら、どこからどこまでが冗談だったのだろうかと思いをはせる。

 戦う意志がないと判じたところか、それともこの技比べに勝てば自身の妻になると宣言したところからだろうか。

 だったとしても冗談に縁がないと自ら認めた彼女が、衆目の中でそんな言葉を口走るとは思えない。


「冗談っていうのは——何が……」


 改めて尋ねようとするエデンだったが、自身を見詰める彼女の視線を前にして思わず押し黙ってしまう。

 わずかに笑みをたたえてはいるものの表情は至って真剣で、冗談などを言っているようになど見えなかったからだ。


 カナンは再びエデンを見据えて問う。


「答えを聞いていなかったな。それで君は満足したのか? はなから勝利を手にする気のない戦いに身を投じ、筋書き通りに敗北を受け入れてみせた。それが君の抱いていた曇りを晴らし得る結果をもたらしたのか否かを教えてほしいんだ——エデン」


「じ、自分は……それは——」


 槍比べに自ら名乗りを上げたのは、対話を試みるより先に剣を抜くことを選んだ自身の行いに対する罪滅ぼしのためだった。


 マグメルであればユクセルやジェスールを相手に引けを取らない戦いを見せた可能性があったにもかかわらず、実力ではるかに劣る自身が名乗り出たのは完全に私意によるものだ。

 敗北の結果としてユクセルの出した条件を受け入れることになれば、休息もそこそこにこの集落を発つことなるとわかっていたはずだ。

それは荒れた砂漠を横断するように旅をし、疲労の蓄積したシオンとマグメルに満足な休憩を取らせてあげられないことを意味している。

 しかし二人は深く理由を聞かずに自身の考えを尊重してくれ、槍比べに送り出してくれた。


 一方的で身勝手極まりない贖罪という行為を、彼女らに負担を掛けてまで押し通す意味があったのかとエデンは自問する。

 シオンにあきれとも諦めともつかぬ感情を抱かせ、マグメルに譲ってもらう形で名乗りを上げてまで得た戦いの場にもかかわらず、こうして迷いを抱えているとしたらどうだろう。


「——満足かどうかって聞かれたら……」


 己に言い聞かせるように呟く。

 これは他ならぬ自分自身の望んだ結果だ。

 対戦相手は想定していたユクセルではなかったが、戦いの結果として打ち倒されることにより贖罪は果たせるものと思い込んでいた。


 だがユクセルの代理として手を挙げたジェスールは、槍比べの中にその思いと願いとを落とし込んだ。

 脆弱極まりない対戦相手をいたわりながら、子供たちに吠人という種の強さを示してみせた。

 罪滅ぼしという自己の都合しか考えていなかった自身は、戦士としての強さの前にすでに精神で負けていたのだ。


 戦って負けるのならば贖罪などという打算の元ではなく、真っ向から挑んで敗北を喫したほうがどれほど潔かっただろう。

 そんな思いがふとエデンの胸中をよぎる。



「それは——その……」


「戦いたいのですか?」


 うつむくエデンの考えを見透かしたかのように、そう口にしたのはシオンだった。


「え……」


 放心したように呟くエデンに対し、彼女は改めてその意を問う。


「もう一度戦いたいと——貴方はそう仰るのですね?」


「あ……ええと——」


 即答のできないふがいなさから、エデンはシオンから視線をそらすようにして周囲を見やった。

 マグメルは愉快そうな笑みを浮かべ、カナンもまたどこか事態を楽しんでいるように見える。


「——じ、自分は……」


 エデンは決意を固め、シオンの視線を正面から見詰め返した。


「……うん、もう一度戦ってみたい。もし次があるなら、今度は——思い切りやってみたい」


 詰め寄るようにして意を告げるエデンを、左右の手で制しつつシオンは応じる。


「わ、わかりましたから! は、離れて——落ち着いてください……!」


「あ……!? ご、ごめん——!」


 一歩退くエデンを見据えて小さく嘆息し、続けてずれた眼鏡を指先で押し上げながらシオンは口を開く。


「それなら話は単純です。次の勝負を私たちの勝利で終えればいいだけですから」


「二本目はアルヴィンが出てくるだろう。ああ見えて奴はこの集落一の使い手だ。それでも君は勝つつもりなんだな?」


 何食わぬ顔で言うシオンに対し、不敵な笑みをもって応じたのはカナンだ。

 シオンも張り合うように得意げな笑みを浮かべると、決然と言明してみせた。


「私も幾らか心得がありますので。弓比べというからには——負けるわけにはいきません」


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