第三百十五話 仕 来 (しきたり) Ⅲ
「技比べは、私たち吠人の間に代々受け継がれる問題解決の手段だ。長と衆目の見守る中で行われる公正な決闘は、個人間のいざこざや集団同士のもめごとなどを含む集落内のあらゆる煩事を収拾する」
ユクセルら四人とその場に集まった人々が去ったのち、カナンはエデンたちに対してそう語った。
エデンはその話を聞き、アシュヴァルの語った「強さが正しさ」であるという彪人たちの価値基準の話を思い出していた。
そしてこの移動集落に暮らす吠人たちが、彪人たちと同じように戦いに身を置く戦士であることを改めて思い知らされる。
カナンは異種狩りの看板は下ろしたと言っていたが、やはりその本質は戦いにこそあるのかもしれない。
「日を変えて異なる内容の勝負を三本続けて行う。それが技比べだ。三本のうちの二本を先取した時点で勝敗は決することになる。初日、つまり明日執り行われる一本目の勝負は——」
言って彼女は手にした槍の石突きで大地を突き、一本目の種目の名を告げた。
「——槍比べだ」
「槍——比べ……」
「えー!?」
繰り返すように呟くエデンの肩越しに、マグメルが不平の声を上げる。
「やり!? こっちはだれも使えないやつじゃん! そんなのずるだよ!」
「まあ待て」
憤る彼女に対し、カナンはなだめるような口ぶりで続ける。
「都合上槍比べと呼んではいるが、扱う武具は何であっても構わない。木剣木槍に加え、君の短剣ほどの大きさの武具の用意もある。おのおの手になじんだ武具を使って手合わせを行ってもらう。勝敗の規定は単純、先行して対戦相手に有効打となる一撃を加えた者の勝利だ。参加するのは——」
そう言ってカナンはエデンたち三人を順に見やり、最終的にその視線を一所に据えた。
「——君でいいかな、マグメル。見たところ最も適任なのは君のようだ」
その唇にどこか挑発的にも見える微笑を漂わせて言う彼女に、マグメルも挑戦的な笑みを浮かべて応じる。
「なかなかわかってるじゃん! はいはい、あたしあたし!!」
マグメルは手を頭上に差し伸ばしながら嬉々として言う。
二人のやり取りを前にして、エデンはカナンの慧眼に感服していた。
自身ら三人の中で最も小柄なマグメルをひと目で実力者と見抜いたのは、彼女もまた優れた戦士だからだろう。
自身が使い手に見えるなどと思い上がりを言うつもりはないが、それでも慙愧にたえない部分もある。
「じ、自分が……」
決してマグメルに対抗心を燃やしたわけではない。
彼女の軽業めいた身のこなしと二刀を巧みに操る戦士としての側面は、異種との戦闘の際にまざまざと見せ付けられている。
「……その、自分にやらせてほしいんだけど、駄目——かな……?」
「え!! エデンが!?」
突然の申し出に対し、マグメルは目を見開いて驚きをあらわにする。
傍らではシオンも言葉を失い、額に手を添えてあきれたように左右に頭を振っていた。
その驚愕も絶句も承知の上でエデンは二人とカナンを順に見やり、もう一度自身の無謀ともいえる希望を口にする。
「じ、自分が槍比べに出たいんだ。もちろん力不足なのはわかってるんだけど……でも——」
「恐らく相手はユクセルかジェスールになるだろう。そうと知ってなお君は槍比べに名乗りを上げるというのか?」
マグメルの実力を見抜いたカナンであれば、その実力が腰に差す剣に見合っていないことにもひと目で気付いているに違いない。
それでも彼女は笑うことなく、エデンを見据えてその意志を問う。
「それってあいつら! あのうるさいやつと——あたしの手をさ、こんなふうにねじったでっかいやつ! やっぱりあたしがやるからエデンは見てて!」
詰め寄るようにして話に割り入るマグメルだったが、エデンはその顔を見下ろして自らの意を告げる。
「ごめん、マグメル。ここは自分が……最初は自分にやらせてほしいんだ。勝てるなんて思ってないけど、それでも——やっぱり自分がやらなくちゃいけない気がする」
「……んー、でもー!!」
「いいんじゃないですか」
腕をねじり上げられたことを根に持っているのか見るからに不服そうに呟くマグメルに対し、エデンの希望を後押しするように言ったのはシオンだった。
「シ、シオン……!」
「この土地も旅の途中でたまさか立ち寄っただけの場所です。滞在を許していただけるのであれば、大変よい学びの機会となるでしょう。ですがこのまま去らねばならないのであれば、いささか惜しくはありますが——本懐を達せよとの思し召しと理解することもできます。それに——」
シオンはそこでいったん言葉を切り、どこか諦観にも似た色を眼鏡越しの瞳に浮かべた。
「——何か考えがあるのでしょう。貴方のそんな頑固さにもそろそろ慣れてきましたから」
そんなシオンの言葉を受け、マグメルは頭を抱えて「んー!」と不服げなうなり声を上げる。
続けて大きく肩を落とした彼女は、視線だけをエデンに向けて不承不承といった様子で納得を示した。
「……仕方ないからエデンにゆずってあげる」
「決まりだな」
三人のやり取りを愉快そうに眺めていたカナンは、そう言って深々とうなずいてみせる。
「君の体格に見合った木槍を——」
言いかけてひと呼吸おくと、彼女はエデンが腰に帯びた剣を見下ろしながら続けた。
「——木剣の方が好みかな?」
エデンら三人はカナンに連れられる形で狩人たちの武具を保管している天幕へと向かった。
そこには槍や剣を模した稽古用の模造品も幾つか並んでいたが、そのどれもがエデンの手に余る代物ばかりだった。
槍は扱ったこともなければ、吠人たちの筋力を基準に作られた木剣はとてもではないが自由に振るえる重さではない。
ためしに握ってみるも、持ち上げるだけで精いっぱいというありさまだった。
カナンの言った通り短剣を模した木剣も数振りあったが、ただでさえ四肢の短い自身がそれを手にして槍を持った相手と満足に戦えるとも思えない。
「どうしようかな……」
肩を落として呟くエデンだったが、武具を物色していたマグメルが突如として声を上げるのを聞く。
「あっ!! いいこと思い付いた! ちょっと待ってて!!」
彼女はそう言い残し、慌ただしく天幕から出ていってしまった。
「——はい、これ!!」
数十秒後、戻ってきたマグメルが差し出したのは一本の木の棒だった。
元々はマグメルが道すがら拾ったもので、砂漠を抜けてこの草原にたどり着くまでエデンが杖代わりとして使っていた棒だ。
「こ、これで戦えってこと……?」
「うん! いい長さでしょ? 軽さもちょうどいいし!」
満面に笑みをたたえて言う彼女の言葉を受け、エデンは受け取った棒を握ってみる。
確かにこの地にたどり着くまでずっと握り続けていたこともあって、手になじんでいることは確かだ。
それに何よりこの木の棒は大街道とその脇の道から、砂漠とそこから続くこの草原に自身を導いてくれた道標であるとも受け取れる。
何かしらの縁を感じられなくもないそれを両手で握り締めると、エデンはマグメルに向かって感謝の意を込めた首肯を送る。
続いてカナンに向き直り、自身の得物を示してみせた。
「——自分はこれでいくよ」




