第三百十四話 仕 来 (しきたり) Ⅱ
何が何やらわからないままだったが、エデンら三人は吠人たちが技比べと呼ぶ催しに参加する運びとなった。
最終的に参加の意を示したのは自身だったが、明日何が始まるのかを考えると不安がじわりと込み上げてくる。
「おい」
不意に聞こえる声に我に返ったエデンの目に映ったのは、今もって不愉快さをたたえたユクセルの顔だった。
「ぼさっとしてんじゃねえぞ。お前らがやる気なら負けるつもりはねえ。勝ちは必ず俺たちがもらう。けど尻尾巻いて逃げようって腹積もりなら、早えうちにうせやがれ。見ねえふりしてやっからよ」
吐き捨てるように言うだけ言うと、ユクセルはエデンの答えを待つことなく踵を返して立ち去ってしまった。
ジェスール、アルヴィン、ルスラーンの三人も彼の後に続く。
ユクセルは首に絡められたジェスールの腕を煩わしそうに押しのけ、にやにやと含み笑いを浮かべたアルヴィンの側頭部を拳で小突いていた。
エデンは去っていく四人の背中をしばらく眺め続けていたが、その後ろ姿が見えなくなったところでようやくひと息つく。
「なんかやな感じ!」
マグメルは不服げに言って四人の消えた方向に舌を出す。
シオンはと言えば、またしてもかとでも言わんばかりにがくりと肩を落として嘆息していた。
「貴方と一緒にいると騒ぎの種が尽きませんね。これも本意ですか?」
「本意なのかはわからないけど——多分……これでよかったんだと思う」
自信なく答えるエデンに対し、シオンは再び深々とため息をついてみせた。
「エデン」
落ちかかる不安に表情を曇らせていたところ、力付けるようにその名を呼んだのはカナンだった。
「こちらの事情に巻き込んでしまってすまないが、これがあの局面での最善手だったんだ。事態をうやむやにしたとしてもあれの気が収まらなかっただろうし、君たちも落ち着いて滞在できなかったろう」
「う、うん——」
カナンの言葉はもっともだったが、一つ気掛かりなのは自身らのあずかり知らぬところで開催が約束された「技比べ」の詳細についてだ。
エデンがその内容について尋ねようと口を開きかけたところで、カナンに詰め寄るようにして問いを投げ掛けたのはマグメルだった。
「でさ、なんなの! なんとかくらべって!? 」
「なに、どうということはないさ。——そうだな、君たちの力を少しだけ見せてもらおうというだけの話だ」
見上げるマグメルを意味ありげな笑みをもって見下ろすと、次いでカナンはエデンが腰に差した剣に一瞥を投げる。
「君たちが勝てば何の問題もない。難癖を吹っかけてきた莫迦どもを負かした勝者として、堂々と振る舞ってくれればいい。それから君たちが負けたとしても、あれが言うようにはならないさ。言っただろう、これから私たちは忙しくなると。ひと月もしないうちに亜麻の刈り入れが始まる。人手は幾らあっても足りないぐらいだ」
カナンは改めてマグメルとシオンに向かって笑みを送り、最後にエデンの肩に触れて言い添えた。
「技比べの手順については今から私が説明しよう。君たちは心置きなく力を振るってくれて構わない」
集落の皆と一緒に夕食を済ませたのち、身の回りを整えたエデンは一人天幕の外に出る。
広場には数人の吠人たちの姿が見られたため、彼らの視線の届かない天幕の裏手へと足を向けた。
辺りに誰もいないことを確認すると、エデンは手にした一本の棒を固く握り締めた。
頭上高く振りかぶっては、勢いよく振り下ろす。
二、三度同じ動きを繰り返したのち、今度は両手で握った棒を横や斜めに振ってみる。
こうして見よう見まねの剣の稽古をするのはいつぶりだろうかと記憶を巡らせれば、林檎亭の裏庭での出来事が呼び起こされる。
マグメルは自身を指して剣に振り回されていると評し、アリマは無理をしてまで戦おうとしなくてもいいと語った。
いつか酒に酔ったアシュヴァルの語った言葉が思い返される。
「――生きてりゃよ、嫌でも望んでなくても……戦わなきゃならねえときってのは必ずくるもんだ。強さでしか正しさを証明できない場面がな。そんなときはよ……何も考えずにぶち当たるしかねえな。なりふり構わずあるもの何でも使ってよ、悪態ついて思う存分暴れてやろうぜ」
彼の言った通り、戦わなければならないときは思いの外すぐにやって来た。
鉱山で、自由市場の大河で、そして蹄人の村で、現れた異種に対して剣を抜いてきたが、そのどれもが不可抗力に近い状態での戦いだった。
気付くと剣を抜いていたため、自らの心に信念を問う余裕などなかったというのが本音だ。
それが不意に訪れた技比べという機会に、エデンは自身の覚悟を問われているような感覚を覚えていた。
手にするのは木の棒だが、自らの意志をもって他者にその切先を突き付けるという行為は勢いに任せて行動していた今までとは大きく違う。
迷いを抱いたまま技比べに挑むのは戦う相手への礼を失する行為だと理解しつつも、いまだ明確な答えは出せずにいる。
インボルクは迷うことを迷うなと語り、エデンも自信を持って答えを出せるその瞬間まで迷い続けたいと願っていた。
心の迷いと戸惑いとを表すかのように、振り抜いた木の棒は掌から擦り抜けてその場に転がった。




