第三百十話 巡 合 (めぐりあわせ) Ⅱ
「あたし、わかったかも! カナンの言いたいこと——!」
マグメルは嬉々として手を掲げ、物言いたげな視線をもってエデンの顔を見上げている。
エデンが許可の意を込めたうなずきを返すと、彼女は人さし指を顎に添えて何かを思い出すようなそぶりを見せた。
「カナンの話聞いててさ、なんかにてるなーって思ったの。あま? あま——と、ケナモノ」
「似てる……?」
「うん! 似てる!」
尋ねるエデンに大きく首を縦に振って答え、マグメルは勢い込んで言葉を続ける。
「育てすぎちゃいけないし、時間もあけなくちゃいけない。めんどうだよね、あま。でもあたしたちも、それとおんなじことしてるのかもって気づいたの。ケナモノだってお肉をもらいすぎたらだめだし、ちゃんと住んでた場所にかえさなくちゃいけない。それってさ、同じじゃん!!」
彼女は「ね?」とエデンを見上げ、続けて「でしょ?」とシオンの顔をのぞき込んだ。
「亜麻もケナモノも同じ……」
エデンはマグメルの口にした言葉を繰り返すように呟き、今一度カナンの顔を正面から見据える。
「じゃ、じゃあ……自分たちのしたことって——」
「続きは歩きながら話そう」
エデンの視線を受けた彼女はそう答えて小さくうなずき返すと、一人先に来た道を引き返し始めた。
「この草原で取れるケナモノの数が減ってきている」
集落に向かって歩を進めながら、先頭を進むカナンは言った。
「数年ほど前からだよ。初めは何かの間違いかもしれないと疑ったが、どうやら違うらしい。近頃は同じ時間と労力を費やしても、以前の半分ほどの量のケナモノしか取れなくなっている。たとえ草原を駆け回って見つけたとしても、取るには忍びない大きさの個体ばかり——ということもしばしばだ。ケナモノ狩りにかかる時間だけが日に日に増していく中、私たちは一つの掟を定めたんだ」
「掟……?」
「ああ。この草原に暮らす私たち吠人が独自の裁量で定めた——手前勝手な掟だ」
呟くエデンに答えて言い、カナンは言葉を続ける。
「同じ土地で亜麻を続けて育てることがないのと同じように、草原の中にケナモノを狩ることを禁じる一帯を設けた。狩りを行うこと禁止した場所——『禁野』を一定の期間ごとに移し、私たちはそこを避けて狩猟を行うようになった。
狩りを控えたからといってケナモノの数が戻るかどうかなどわからない。だが今の私たちにとって、草原で得られるケナモノの多寡は生き死にを左右する大きな問題だ。藁にもすがる思いで——そんな掟を作ったんだ」
「じ、自分たちが踏み入って、ケナモノを取ったのは……その、禁野——」
ぼうぜんと漏らすエデンの言葉を受け、カナンはふいに足を止めて立ち止まる。
「本来であれば草原がもたらす大地の恵みは誰のものでもない。腹を空かせた者に対し、目の前にある肉を食べるななどとは酷な話だということも十分承知しているつもりだ。吠人は束縛を嫌い、自由を愛する種だ。人の間で生きることを選んだ者たちと道を同じくせず、草原や森林を駆けることに無量の喜びを見出す者たちだ。田や畑を持たずに暮らしてきたのは、所有という行為が自由と平等を侵犯し、集団の中に富める者と貧しき者の格差を生じさせると知っていたからだ。
……それがどうだ。やむにやまれぬ事情があるとはいえ、何よりも価値があると信じていた自由を自らの手で縛っている。それだけでは飽き足らず、旅をする者たちの自由にさえ無粋な楔を打ち込む。これでは代々この草原を守ってきた先達たちに顔向けができないな」
そこまで言うと、カナンは自らの手にした槍の穂先を見上げる。
わずかに自嘲を帯びた笑みを浮かべ、彼女は小声で呟くように言った。
「自由を捨て、戦うことを捨て——私たちは次に何を捨てるのだろうな」
その口から聞かされた吠人たちの事情に、エデンは自身の不明を実感する。
そして憤るユクセルに対し、たとえ一瞬でも剣を抜こうなどと考えた自身を恥じ入るばかりだった。
たとえ二人の少女と自身の身を守るためだったとしても、未然に防がれてしまったとしても、柄に手を添えた時点で決して言い訳になどなりはしない。
穏やかささえ感じられる笑みを浮かべたカナンは、口を開きかけたエデンを遮るようにして顎先で前方を指し示す。
言葉を交わしながら歩き続けたためか、気付けば彼女の視線の先には立ち並んだ天幕が見える。
「私は長に帰還の報告をしてくる。君たちも思うように過ごしてくれ。食事の時間にはまた声を掛けよう」
そう言い残すや、彼女は集落に向かって一人駆け出す。
「カ、カナン……!!」
その背に向かって呼び掛けるエデンだったが、彼女は振り返ることなく走り去っていった。




