第三十話 代 価 (だいか) Ⅲ
少女を助けたい一心でこの路地裏までやって来はしたが、アシュヴァルの言うように先のことを何も考えていなかったのは紛れもない事実だ。
もしも手にした果物包丁で檻をこじ開けることができていたなら、その後は何をどうしていただろうと自問する。
一方でアシュヴァルは黙り込む少年を前に深々とため息をつくと、その脇を通り過ぎたところでしゃがみ込んだ。
「大当たりだ。助けてやりたいってよ、そんなふうに言い出すんじゃねえかって思ってたんだ」
地面に転がる包丁の柄を拾い上げ、続けて周囲を見回し、折れた刃先を指先でつまみ上げる。
同じく少女の檻の脇に放り出されていた手拭いを拾うと、折れた包丁の先端と柄の双方を包みながら口を開いた。
「俺が気まぐれでそこから出してやったとしたらだ。檻をぶっ壊した俺も、他人のもんを盗んだお前も、逃亡奴隷のその娘も——三人そろって罪人だ。明日からは晴れて追われる身ってやつさ。俺はいい、自分の身は自分で守っていける。お前の言う通り……そこそこは強いつもりだからな。だけどよ、お前はどうだ。その娘を守って逃げ続けることができんのか? 生きていけんのか? それで今よりましな生き方をさせてやれるって言えんのかよ……? たかだか俺一人振り払うこともできねえお前に何ができるのか、俺の頭でもわかるように教えてくれよ」
言葉を失ってすがるような目つきで見詰める少年に対し、アシュヴァルは駄目押しするかのように続ける。
「悪いが、気まぐれに二度目はねえんだ」
アシュヴァルは完全に意気消沈してしまう少年に一瞥を投げたのち、腰を落として檻の中の少女を見据えた。
「なあ、こいつに似た娘さんよ。期待させちまったんなら悪かった。代わりに謝らせてくれ。——でもよ、あんただってこいつと一緒に逃げて本当に自由になれるなんざ思っちゃいなかっただろ。俺から言って聞かせておくから、すまねえがあんたも今夜のことは忘れてくれると助かる」
言って立ち上がったアシュヴァルは檻に幌をかぶせると、失意の底に置き去りにされたかのように放心する少年を見下ろした。
「勘違いすんな。泣きたいのはお前じゃねえはずだ」
それを受け、はじかれたように顔を上げる。
次いで幌に包まれた少女の檻を見詰め、再びアシュヴァルの顔を見上げた。
「なんも覚えてねえとか、自分が何者なのかわからねえとか、そんなのはこの際問題じゃねえ。こいつは一人の男としての覚悟の話だ。生きて、強くなって、もっといろんなことを知って、誰の手も借りずになんでもできるようになって、そんで——今のお前と同じ場所に立ったとき、それでも助けてやりたい、救ってやりたいって思ったなら、お前のその気持ちは本物だ。そんときは誰に断る必要もねえよ、思うようにすりゃあいい」
一度言葉を切って荒々しく息をつくと、アシュヴァルはいら立ちを隠そうともせずに続ける。
「……けどな、いいか。今のお前にゃ——自分のことすらままならねえ今のお前に他人は救えねえ。気持ちだけあってもだ、どんなに偉そうなお題目並べてもだ、それが本当は正しいことだって、みんながわかっててもだ。結局んとこは力が伴ってねえとなんの意味もねえんだよ。思いを通すには力が要るんだ。わかったらよ、お前は今のお前を精いっぱい生きてみろ」
アシュヴァルはへたり込む少年の襟首をつかんで引き起こす。
そして促すように肩をたたき、ひと足先に歩き出した。
「帰るぞ」
「……うそをついて——ごめん、勝手して……ごめん」
「おう」
繰り返される謝罪の言葉に、アシュヴァルは背を向けたまま短く応じた。




