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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第四章  吠 人(ほえびと) 篇   第二節 「不羇なる草原の民」
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第三百五話    心 騒 (こころさわぎ)

 もっと話がしたいと語るカナンに、エデンも気持ちを同じくしていた。

 許されるのであれば彼女の身の上について知りたい。

 その中で自身らの出自や由来、もしくはローカの行方につながる情報が得られたならなお有難い。


 だがこの集落に滞在するということは、あの四人と——小柄な吠人ユクセルと共に過ごすことを意味している。

 自身らの不手際で怒らせてしまった以上謝罪は惜しまないつもりだが、それを受け入れてくれるか否かは彼次第だ。

 激しい敵意を抱いた彼の近くで暮らせば、要らぬ騒ぎを呼び込むこともあるだろうし、せっかく自身ら三人を客人として扱ってくれた長に迷惑を掛けかねない。

 彼の言う通りに荷物をまとめて早々にこの集落を離れた方が賢明なのかと考える気持ちも少なからずあった。


『誰の土地で好き勝手してやがる』


『この辺一帯の原っぱはなあ、先祖代々俺たちの土地だ!! ここで取れるものは全部俺たちの所有物なんだよ!! よそ者のお前らにくれてやるもんなんて一個もねえ!!』


『わかったらさっさと荷物まとめて俺たちの土地から出て行きやがれって言ってんだ!!』


 草原での初対面以降、ユクセルが口にした幾つかの言葉を思い返す。

 確かに今の時点でこの集落を後にすれば、これ以上の余計な騒ぎを引き起こすことなく旅を続けられるかもしれない。

 だがそれはカナンとの会話の機会を逃すだけでなく、新たな学びの機会を逸することをも意味している。

 憤る彼から逃げるのではなく、向けられた怒りにおびえるのでもなく、その真意を知って受け止めることが今の自身にとって必要なことなのではないだろうか。


 ともすればシオンとマグメルの二人を騒ぎに巻き込むことになるかもしれず、面倒を掛けてしまう可能性もあるだろう。

 傍らを見やればマグメルとカナンが長年の友人同士であるかのように言葉を交わしており、シオンもそんな二人をどこか落ち着いた様子で眺めている。


 大街道をそれて枝道を進もうと言い出したのはマグメルで、シオンもまたその提案を受け入れた。

 最終的には自身の決断をもって選び取ったと思っていた進路だったが、マグメルが草に覆われた道を見つけ出したあのときから結果は決まっていたのかもしれない。

 そう考えると幾らか無力感を覚えなくもなかったが、この道を進まなければ果たされなかった出会いを大事にしたいとも思う。


「カナン」


 意を決し、エデンはその名を呼んだ。


「その、聞きたいことがあって——」


 よそ者である自身らがこの草原に足を踏み入れることに対し、なぜユクセルがあそこまでの怒りを抱いたのか。

 この地に暮らす吠人たちにとって、草原が一体どんな意味を持つのか。

 己の無知を認めて尋ねるエデンに、カナンは目を細めて感心したように答えた。


「勤勉な男だな、君は」


「そ、そんな立派なものじゃなくて……!」


 謙遜などではなくあくまで本心からの言葉であったが、彼女はそうと受け取ってはくれていない様子だった。


「わかった。私から君に伝えられることがあるのならば、余すところなく伝えよう。だが——」


 カナンはいったん言葉を切り、エデンから少女二人に視線を移す。

 彼女の目線の先を追ったエデンが見たのは、マグメルの膝の上に項垂れて寝息を立てるシオンと、人さし指を口元に添えて沈黙を促すマグメルの姿だった。


「シオン——」


 掌で口元を覆って出かかった飲み込み、うなずきをもってマグメルに状況の理解を伝える。

 再び振り返ったエデンに対し、カナンは声を潜めて言葉を続けた。


「今日は休み、また明日にでも君の求めに応じることにしよう」


 カナンに向かって無言で首肯を送るエデンだったが、ふと広場の中央辺りから自身らに向かって注がれる視線を感じ取る。

 そちらを見やったエデンは視線の主がユクセルであることと、その注がれる対象が自身ではないことを認めていた。

 カナンの後ろ姿をじっと見詰めていたユクセルは、エデンの視線に気付くとその鋭い瞳でぎろりとにらみ返してくる。


 反射的に目をそらしたエデンは、先ほど固めたばかりの決意が早くも揺らぎそうになる感覚を覚えていた。



 食事を済ませたエデンたち三人はカナンによって客用の天幕に案内される。

 エデンは眠ってしまったシオンを抱えて案内された天幕の中へと運び入れ、その身を外壁に沿うようにして配置された寝台の上に横たえた。

 マグメルも彼女と別の寝台に飛び込むと、時を移さず寝息を立て始める。

 エデンは眠る二人の身体に布団を掛けたのち、出入り口に立つカナンに礼を言った。


「その、何度もだけど……ありがとう、カナン」


「気にすることはない。長の意向は絶対だからな。——エデン、今日のところは君もゆっくり休むといい」


 エデンの感謝に対し、彼女は小さく左右に首を振って応じる。

 言って彼女は踵を返すが、気付くとエデンはその背に向かって引き留めの言葉を投げ掛けていた。


「カ、カナン……!!」


「——何かな」


 振り返って答える彼女に、エデンは思わず言葉をつかえさせる。

 何の考えもなしに呼び止めたわけではなかったが、吠人たちと同じ黄金の瞳で見詰められるとどうにも言葉が見つからない。


「そ、その……!」


「ああ」


 催促するでもなく、続きを促すようにゆっくりと首肯する彼女に対し、エデンは努めて落ち着いて口を開く。


「カナンは——その、ええと……驚かなかったのかな——って。自分は最初にローカの姿を見たときは、本当にびっくりして……」


 訥々と語られるエデンの言葉に、カナンはわずかに視線をそらして耳を傾ける。


「……それからシオンとマグメルにも出会えて、また驚いて——それから今日は、君と、こうして話をしてる。シオンもすごく驚いてたし、マグメルも……うん。ローカの考えはわからないけど、ちゃんと聞いておいたらよかったって今は思うんだ」


 そこまで言ったところで、エデンは筋道を外れそうになる自身の言葉を撤回する。


「そ、そうじゃなくて……!! 君は——カナンは驚かないのかなって! すごく落ち着いて見えるし、もしかしたら自分たちみたいな——その、間人に会ったことがあるの? あ……! 間人っていうのは正式な種の名前じゃなくて——その、インボルクが……」


 取り留めなく言葉を続けるエデンを前にし、口元に手を添えたカナンは「ふふ」と笑みをこぼす。


「そんなに落ち着いて見えるかな」


「う、うん……すごく」


「それなら成功だ」


 エデンが答えると、彼女は一人喉を鳴らして笑う。

 何が何やらといった様子で見詰めるエデンに対して「こちらの話だ」と前置きしたのち、カナンは改めてエデンに向き直った。


「これでも驚いている——天地が逆さになるほどの衝撃を覚えていると言ったら、君は信じてくれるか?」


「天——そ、そんなに……?」


「ああ。あの草原で君たちの姿を見つけ、落ち着くために数分の時間を要するほどにはね。そのせいであの愚か者どもに好き勝手させてしまったわけで、その件に関してはすまないと思っている」


「そ、そんな——」


 先ほどからの彼女の立ち居振る舞いからは一切そんな様子は感じ取れない。

 絶句するエデンに対し、カナンはさらに言葉を続ける。


「もちろん今もだ。柄にもなく浮足立っているのが自分でもわかるよ。そうだな——」


 言ってカナンはエデンの頬にその手を伸ばし、冗談めかして呟いた。


「——今夜は緊張と興奮で眠れないだろうな」


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