第三百四話 一 爨 (いっさん)
最後に重ねて礼を言って長の元を辞したエデンたちは、集落の中央近くにある広場で食事前のひとときを過ごしていた。
屋外に設けられた調理場では、老若男女を問わず皆が協力して食事の準備に当たっている。
カナンに対して自身も手伝いたい旨を申し出るエデンだったが、「客人としてもてなす以上それはできない」とすげなくあしらわれてしまった。
手持ち無沙汰を覚えつつ、エデンはそれほど広くない集落の中を一人そぞろ歩く。
シオンは時間が空いたと見るや篝火の下に座り込んで書き物を始めており、マグメルはその快活さですでに子供たちと友誼を深めていた。
見ればカナンも他の吠人たちに交じって食事の下ごしらえをしており、数人の男女から料理の手ほどきを受けている。
包丁を不器用に扱うカナンの顔は先ほどまでの凛々しい戦士のそれではなく、どこにでもいる普通の少女の表情に見えた。
背の低い樹木の下に腰を下ろしたアルヴィンの近くには女の子の姿が多く見られ、彼は外で摘んできたであろう小さな花を彼女らの頭に飾っていた。
広場ではルスラーンが手にした煙管を使って木の枝で切り掛かってくる子供たちに剣の稽古を付けており、ジェスールは組み付いてくる子供たちをまとめて抱え上げ、その肩に乗せ、両腕につり下げている。
血気盛んなユクセルも相好を崩して子供たちと小突き合っていた。
離れた場所からそんな光景を眺めていたエデンは、自身も小さく笑みを浮かべて先ほどのカナンの言葉を繰り返した。
「悪い奴じゃない、か」
食事が完成すると、エデンたち三人も吠人たちに交じってそれを口にする。
カナンは皿に盛られた料理を真っ先に長イルハンのもとに届けにいき、戻っては広場の端に座り込んだエデンたちのそばに腰を落ち着けた。
その日の食事はケナモノの肉を使った二種の料理と、丸く平たい形に焼き上げた麺麭だった。
肉料理の一つは下味を付けてから薄切りにした肉を積み重ねてあぶり焼きにしたもので、焼き上がったそれを外側からそぎ落として食べるというものだ。
もう一種は荒くひいたケナモノの肉に香辛料を混ぜ込んで練り上げたのち、鉄板で俵状に焼き上げた料理で、そのどちらもが麺麭によく合った。
肉を中心とした食事にマグメルもいたく満足した様子を見せる。
早々に自らの分を食べ切ってしまったマグメルはシオンの皿をじっと見詰めるが、シオンは背を向けるようにしてその物欲しそうな視線から自らの皿を遮っていた。
マグメルが左右から回り込もうとするたび、シオンも身体を左右に振って手の中のものを死守する。
そんなやり取りを食事を進めながら眺めていたエデンは、ふとローカと過ごした食事の時間を思い出していた。
ケナモノの肉を包んだ麺麭を二つにちぎり、その大小を見比べる。
小さいほうから口に放り込み、続けて大きいほうもそのまま口に入れてしまう。
顎を大きく動かして咀嚼するエデンに、小さな笑い声をこぼしたのはカナンだった。
「そんなに気に入ってもらえたなら、もてなすかいもあるというものだ」
そう言って彼女はエデンから二人の少女に視線を移す。
マグメルは相変わらずシオンの皿を狙っていたが、抵抗を諦めた彼女から指先でつまんだ肉の塊を口内に押し込まれると、満足げに笑みを浮かべてそれを嚙みこなしていた。
「ところで君たち——」
仕切り直すように言うカナンに、エデンと二人の少女も彼女の言葉に耳を傾ける。
「——先ほどの話では東へ向かっているとのことだったが、それならばこのような場所を通る必要はないだろう。近頃はこの地を通り掛かる行商の数も減っている。それに西から来たというなら、砂漠でも抜けて来なければここにはたどり着けまい」
「だからそのさばくをぬけてきたんだって! ほんと、たいへんだったんだから!!」
「砂漠を……」
カナンの疑問に対し、挙手とともに即答したのはマグメルだった。
それを聞いたカナンの顔にはわずかに驚きの色が浮かんでいる。
「……そうか、あの砂漠を。なぜあのような場所に迷い込んだのかは分からないが、随分骨折りだっただろう」
「そうそう、そうなの!!」
慰労の言葉を口にするカナンに対し、マグメルはそれが自身の希望に端を欲した結果であったことを忘れてしまったかのようにうなずいてみせる。
それを見てがくりと肩を落とすシオンが横目に映るものの、最終的にその道を選んだのが自身である以上、エデンには黙って空笑いを浮かべることしかできなかった。
「この通り本拠を定めず草原を転々とする私たちだ。大したもてなしはできないが、長も言っている通り身体を休めていくといい。私も——君たちとはもっと話がしたいと望んでいる」
「う、うん……! 自分も——」
自身も同じ思いを抱いていることを伝えようと口を開きかけたところで、エデンは広場の中央辺りから上がる騒がしい声を聞き留める。
どうやら食事中にもかかわらずユクセルとアルヴィンが口喧嘩を始めてしまったようで、鼻先を突き合わせる両者の間にはルスラーンが無言の仲裁に入っていた。
とっさにジェスールの姿を辺りに探したエデンは、言い争うユクセルたちから少しばかり離れた場所に座り込むその姿を目に留める。
彼の傍らにはその手に負った傷の手当てをする吠人の少女の姿があった。
大柄な身体を縮こまらせて申し訳なさそうに手を差し出すジェスールは、包帯を巻き終えた少女に何やら小言を言われているように見える。
神妙な顔つきで繰り返し相槌を打ったのち、彼は彼女に対して深々と頭を下げていた。
続いて立ち上がった少女はルスラーンを押しのけるようにしてユクセルとアルヴィンの間に割り入り、二人の顔を見上げながらその鼻先に指を突き付けて何やら言い立てている。
困惑する二人の手を取って握り合わせると、彼女は腕を組んで彼らの動向を静かに見守る。
二人が何かを——恐らく謝罪の言葉を口にするところを見届けた少女は、満足げにうなずいて食事の後片付けを進めている他の吠人たちの元へと戻っていった。
「……やれやれ、飽きない奴らだ」
カナンは肩をすくめて呟き、左右に小さく首を振ってあきれを示していた。




