第三百三話 四 士 (しし)
「はあ!? ふざけんじゃねえぞっ!!」
カナンの言葉に真っ先に異を唱えたのは、常に不機嫌な表情をたたえていた小柄な吠人だった。
「そいつらが何したか知っててそんなこと言ってんのか!? おいおい、爺さんついにあっち側に行っちまったんじゃねえか!!」
「口を慎め、ユクセル」
戒めるように言うカナンの言葉に耳を貸す様子もなく、小柄な吠人は怒りをあらわにする。
座布団をはねのけるようにして立ち上がった彼は、先端に鋭く湾曲した爪を有する指先をエデンに向かって突き付けた。
「いいか、よく聞いとけ!! この辺一帯の原っぱはなあ、先祖代々俺たちの土地だ!! ここで取れるものは全部俺たちの所有物なんだよ!! よそ者のお前らにくれてやるもんなんて一個もねえ!!」
「そ、その……本当に知らなかったんだ! 謝るよ、勝手に入って——ごめん」
血気盛んに言い立てる彼に対し、エデンは今一度謝罪の言葉を口にする。
頭を下げるエデンを「ち」と舌打ちをして見下ろすと、小柄な吠人は怒り冷めやらぬといった口ぶりで続ける。
「謝れば何でも許されると思ってんじゃねえぞ! わかったらさっさと荷物まとめて俺たちの土地から出て行きやがれって言ってんだ!!」
「ユクセルよ、その辺にしておいたらどうだ。お前の怒りの源はそこじゃないだろう」
「——ああ!? 何だと!!」
いら立つ小柄な吠人に対し、諭すように声を掛けたのは四人の中で最も立派な体格の持ち主である大柄な吠人だった。
肩に置かれた手を払いのけると、小柄な吠人はその胸元をつかみ上げながら彼の顔を見上げる。
そんな二人のやり取りを前にして、皮肉っぽい笑みとともに口を開いたのは細身の吠人だった。
「突然の好敵手の出現に胸騒ぎを覚える若者、物語の結末やいかに——といったところだね」
「おい、アルヴィン! どういう意味だ、そりゃ!」
小柄な吠人は大柄な吠人の身体を突き放し、今度は細身の吠人に詰め寄る。
「見たままを言っただけだよ。さて、こういう状況をどういったものか。何の鞘当て——だったかな?」
神経を逆なでするように言う彼だったが、血気にはやった小柄な獣人が勢い込んで声を上げるよりも先に口を開いたのは茶褐色の被毛の吠人だった。
「鞘が触れるようでは戦士失格だ」
「そうだね、うん——違いないや、……くくく」
細身の吠人はおかしそうに喉を鳴らし、大柄な吠人もまた彼に釣られて笑い出す。
いら立ちに満ちた表情で交互に二人を見やると、小柄な吠人は怒りに任せて声を張り上げた。
「ごちゃごちゃ言ってんじゃねえっ!! 少し黙ってやがれ!!」
「黙るのはお前だ、莫迦者」
言ってその尾をつねり上げたのはカナンだった。
「ひっ」と小さく悲鳴を漏らして押し黙る小柄な吠人に対し、彼女は心底辟易したような口ぶりで言う。
「客人にみっともないところを見せるんじゃない。吠人の恥をさらしてどうするつもりだ」
「ち……違うって、俺は——」
「違わない」
ますます強くその尾をつねり上げられ、彼は身体を大きく伸び上がらせて悲鳴を上げる。
「——い、痛えよ! 痛えって……!! 離せ、離しやがれ!!」
小さく嘆息してその尾を解放すると、カナンは逃げるように後ずさる小柄な吠人に向かって言う。
「代行である私の言葉は長の言葉でもある。それに従えないのであれば——」
「わかった! わかったよ——!! 言う通りにすりゃあいいんだろ!!」
吐き捨てるように言ってその場に座り込み、小柄な吠人は身体の正面に回した尾を握って息を吹き掛ける。
「見苦しいところを見せてすまない」
額に手を添えて言うと、カナンは次いでその目線を小柄な吠人を慰める大柄な吠人へと投げ掛けた。
彼女の視線に気付いた大柄な吠人は、胸を張るようにしてエデンたち三人に向き直った。
「ジェスールだ。この中では一番の年長者だからな、いつでも頼ってくれて構わないぞ」
豪放磊落や気宇壮大といった形容の似合う、豪快な口ぶりで彼はその名を名乗った。
同じ灰褐色の被毛を持つ吠人の中でも、改めて見るその身体は群を抜いて屈強だ。
しなやかな肉体の持ち主である他の吠人たちと比べ、鍛え上げられた肉体は彪人の戦士に近い。
身にまとうのは、カナンも含めて五人が意匠を同じくする丈の長い立襟の衣服だ。
左前に打ち合わせた衣服を腰帯で締めているのは皆同じだが、ジェスールは右肩をはだける形でそれを着崩していた。
「僕はアルヴィン。どうぞお見知りおきを」
続けて名乗りを上げたのは細身の吠人だった。
左手を腹部に、右手を背中に添えて芝居がかったしぐさで一礼する彼に、エデンはシェアスールの団長であるインボルクと似た雰囲気を感じ取る。
他の四人の吠人の中でも、その体躯はかなり華奢だった。
きっちりと着こなした瑠璃色の衣服は細身の身体の映し取るようにすらりとした曲線を描き、その袖は肩から手首までを覆っている。
細作りな腕は槍やその他の武具を振るうよりも、楽団の面々のように楽器を持っているほうが似合うのではないかとさえ思えるほどだ。
常に微笑をたたえるその顔にエデンがわずかな違和感を覚えたのが、左右非対称の被毛だった。
なぜか右頬の被毛だけが、刃物か何かで切り落とされたように短く刈り込まれている。
吠人たちの間でしか伝わらない粋な装いなのかとも考えたが、答えが得られるべくもなかった。
「ルスラーン」
次いでカナンの視線を受けた茶褐色の被毛の吠人が、ただひと言自身の名であろう言葉を名乗り捨てる。
灰褐色の三人と異なる色の被毛の持ち主である彼は、よく見れば体色以外にも差異が見られる。
体躯はユクセルと呼ばれた小柄な吠人とさほど変わらないが、口吻や耳介は他の三人よりも短く見えた。
同じ意匠でありながら一人だけ袖口の広がった平袖の衣服を身にまとうルスラーンは、名を呟いたきり懐手をした手を顎の下に添えて沈黙してしまう。
加えて目を引いたのは、その腰帯に差されたひと振りの剣だった。
ラジャンから預かった剣と同じく弧を描いた曲刀であろうそれと、先ほど見せた神がかり的な反応を合わせて考えれば、彼が卓越した剣士であることが容易に想像できた。
カナンは最後にあぐらを組んでふてくされたように座り込む小柄な吠人を見下ろす。
襟元を留めず袖口をまくり上げた雑な着こなしは、その激しい気質をよく表しているように見える。
他の吠人たちとと比べてやや小柄ではあるものの、袖からのぞく腕や裾から伸びる脚は程よく引き締まった戦士のそれだった。
彼はしばらくそっぽを向くようにして彼女の視線に気付かないふりをしていたが、やがて観念したように口を開いた。
「……ユクセルだ。爺さんが許しても、俺はてめえらのこと許したわけじゃねえからな」
エデンに向かって悪態を投げ付けたかと思うと、立ち上がった彼はそのまま天幕を出ていってしまう。
その背を追うようにしてアルヴィンとルスラーンもその場を後にし、振り返って意を問うように見据えるジェスールも、カナンの小さな首肯を受けてそのまま天幕を去っていった。
「仕様のない男だ。あれはあれで悪い奴じゃないんだが、どうにも始末に負えなくて私も困り果てている」
出入り口の方向を見据えたままカナンは呟き、肩を落として嘆息した。
彼女は気を取り直すようにエデンに向き合うと、涼やかな笑みを浮かべて自らの名を名乗る。
「改めて——カナンだ。よろしく、エデン」
「……う、うん! よ、よろしく!」
自身も差し出されたその手を取り、エデンはあいさつを返す。
カナンは続けてシオンとマグメルにも握手を求め、今一度友好の言葉を口にした。




