第三百一話 郷 邑 (きょうゆう)
「こ、ここが吠人たちの——」
カナンの招きを受けたエデンたちは、草原を一時間ほど歩いて吠人たちの暮らす集落を訪れていた。
集落というからには町か村のような形態を想像に描いていたエデンは、その予想外の様相に驚きを覚える。
外周を木製の柵で囲われた範囲の内に集落を形成するのは、同じ形状をした大小さまざまな天幕だった。
布で覆われた円筒状の外壁の上に円錐状の屋根が乗ったような形状の天幕が、全て同じ方角に出入り口を向けて据えられている。
その一つ一つが吠人たちの住居のようで、各所に置かれた篝火の明かりの下には、食事の支度をする者や会話を交わす者など、数十人の吠人たちの姿があった。
カナンと四人の帰還に気付き、一目散に駆け寄ってくるのは吠人の子供たちだ。
十人ほどの子供たちが彼女らの周囲に集まり、狩りの成果や土産の有無などについて口々に尋ねている。
カナンは子供たちに柔らかな笑みを浮かべて語り掛けており、飛び付き、組み付いてくる子供たちの相手を務めるのは他の四人の役目だった。
エデンら三人は集落の出入り口近くに立ち止まってでそんなやり取りを眺めていたが、子供たちの相手を切り上げたカナンが自身らの元へやって来るところを認める。
「待たせたな、まずは長のところへ案内しよう」
「……う、うん」
振り返って集落の中央にあるひときわ大きな天幕を指し示すカナンを前に、エデンは気を引き締め直す。
長の尊称に、かつて自身の出会ったその立場にある人物のことを思い出す。
そして圧倒的な迫力と有無を言わせぬ威圧感の前に、身動き一つできぬほどに硬直してしまったことを。
故意でなかったとはいえ、彼らの土地に無断で入るという不行儀を働いたのは自分たちだ。
カナンはその件に関して痛み分けと言ってくれはしたが、頭役である長がそれを許してくれるか否かはまだわからない。
エデンは緊張に身を震わせたのち、怯みそうになる気持ちを奮い立たせるように口を開く。
「——い、行くよ」
「エデン? だいじょうぶ?」
心配げに見上げるマグメルに作り笑顔で応じ、歩き始めたカナンの後に続いて歩を進める。
「吠人は優れた異種狩りの戦士ですが、冷静な判断力と洞察力を併せ持つ種と聞いています。話して理解してもらえないということはないでしょう」
「……うん」
傍らを歩くシオンが怯えを察したかのように言う。
歩きながら首肯で応じ、エデンは両手で軽く自身の頬を張った。
カナンに付いて集落の中央を歩く中、エデンは自身らの存在に気付いた吠人たちの視線を感じる。
特に子供たちの反応は顕著で、立ち止まって見詰める者、物陰に身を隠してしまう者、怯えて近くの年長者に身を寄せる者など、その行動もさまざまだった。
集落の最奥、他のそれの倍ほどはあろうかという大きさの天幕の前で立ち止まったカナンは、出入り口の垂れ布越しにその内部に向かって告げる。
「長、カナンです。ただ今戻りました」
中から返事はなかったが、彼女はおもむろに手を伸ばして垂れ布をめくり上げる。
「入ってくれて構わない」
エデンたちに向かって促すように言うと、彼女は垂れ布を手で押さえたまま鼻先で天幕の内を指し示した。
「は、入るよ……」
カナンの脇を通り過ぎ、エデンは天幕の中に足を踏み入れる。
シオンも「お邪魔します」と告げてエデンの後に続き、マグメルもするりと天幕の中へと滑り込む。
その内部を眺め回しながら、マグメルは感嘆の声を漏らしていた。
「わー、意外と広いんだー!」
「——うん、本当だ」
自身も頭上を見上げつつ、エデンは彼女の意見に同意した。
円形の天幕の中央には屋根を支える形で二本の柱が立っており、天井からは放射状に梁が渡されている。
壁の外周部分は菱格子に組まれた木組みがひと回りし、屋根と外壁を厚手の布で覆っている。
中央には炉が据えられ、そこから伸びる煙突は屋根の真ん中を貫く形で外へと突き出していた。
三人を迎え入れたカナンはめくり上げていた垂れ布を下ろし、天幕の中央に向かって歩みを進める。
その足の向かう先、炉を囲むように円形に配された座布団の一つには、一人の人物が腰を下ろしていた。
今の今までその存在に気付かなかったのは、その人物が座布団と同化するかのように身動き一つしていなかったからだろう。
膝を突いた彼女がその耳もとにささやき掛ければ、その男——老齢とおぼしき吠人も鼻先をカナンの顔に近づけて何やらささやき返していた。
吠人の老人が座布団の上でゆるりと振り返ると、隣に並んだカナンがエデンたちに向かって彼の名と意を告げる。
「私たち吠人の移動集落の長イルハンだ。君たちの来訪を歓迎すると言っている」
「あ……う、うん——」
対応に迷ったエデンは言葉を詰まらせ、視線をカナンと老人の間に行き来させる。
動揺を押しやるようにして老人に——長イルハンに向き直ったエデンは、改めて感謝を伝えた。
「——た、助かるよ。そ、その……ありがとう」
エデンの感謝の言葉に、長イルハンは無言の点頭をもって応じてみせた。
長イルハンは、先ほど出会った四人の吠人たちの誰よりも小作りな老人だった。
その身は槍を手にしていた小柄な吠人よりも小さく、細身の吠人よりもなお痩せている。
あぐらを組んで座り込み、首を突き出すように背を丸めているのも手伝って、体格はともすれば自身よりも小さいのではないかとエデンは考える。
異種狩りの戦士たちを率いる長と聞いて、先ほどの大柄な吠人よりも屈強な人物を想像していただけに、いささか拍子抜けしたような感覚を覚えずにはいられなかった。




