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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第一章  彪 人(とらびと) 篇   第二節 「繋がれた少女」
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第二十九話  代 価 (だいか) Ⅱ

 たとえ檻の中に押し込まれていたとしても、鉄の首輪を巻かれていたとしても、人が品物として扱われているという現実を認めたくなかった。

 アシュヴァルの語った言葉が事実ではないことを願っていた。

 だがすがるように抱いていたわずかな希望は、少女自身の口から放たれた言葉によってあっけなく打ち砕かれる。


「……やっぱりおかしい! そんなこと——!!」


 左右に頭を振り、自らを奮い立たせるように言う。

 アシュヴァルにうそをついてまでこの場所に来ようと決めたときから、思いは定まっていたはずだ。


「待ってて、出してあげるから……!」


 呟くと、布に包まれた細長いものを衣嚢から取り出してみせる。

 巻かれた手拭いを取り払って握ったのは、先ほど林檎をむくために使った果物包丁だった。

 部屋を出る際、角燈と一緒に持ち出したものだ。

 檻の丁番に刃の顎部分をあてがい、こじ開けるように小刻みに動かし始める。


「——危ないから下がってて」


 檻の中の少女はその言葉を受けて一歩後ずさると、少年のすることを膝を抱えたままじっと眺め続けていた。


「駄目だ、これじゃ……!」


 小ぶりな果物包丁では、頑丈な檻の丁番をこじ開けることなど到底不可能だ。

 ならばと錠前を留める掛け金に狙いを定めるが、当然うまくいくはずなどない。

 耐久力を越える負荷の掛かった包丁の刃先は、きんと硬質な音を立てて折れ飛んだ。

 地面に落ちた刃先と刃を失った包丁の柄を見比べ、手の中のそれを放り出すと、無為無策のまま両手で格子を握り締める。

 可能な限り音を立てないように、それでも渾身の力を込めて鉄格子を揺さぶる。


「……助けるから」


 無感情に見詰める少女に声を掛け、格子を握った両手にさらなる力を込める。

 徐々に金属のきしむ音が大きくなっていくが、構うことなく檻を揺すり続けた。


「絶対に……絶対に助けるんだっ——!!」


「そのへんにしとけ」


 何かに取り付かれたような口ぶりで呟いた直後、背中に耳慣れた声を聞く。

 後方から聞こえてきた声に思わず息をのみ、手を止めて恐る恐る振り返る。

 見ずとも誰であるのかはわかっていたが、闇の中から現れた人物の姿を自らの目で確かめ、ぼうぜんとその名を呟いた。


「アシュヴァル……」


 確かに眠っているのを確認してから部屋を出てきたはずだ。

 その眠りの深さは、二月の間の彼との暮らしの中で身に染みて理解していたつもりだった。

 腕や足が触れても、身体に伸しかかるように寝返りを打っても、なんとはなしに頬をつついてみても、一切意に介さず眠り続けるのがアシュヴァルだ。

 逆に寝相の悪い彼に小突かれ、尾で打たれ、足蹴あしげにされ、目を覚ましたことも数え切れないほどある。

 そんなときでも、いつだって彼は大いびきを立てて眠り続けていた。

 それがどうして今日に限って——。


 そんな疑問が表情に表れていたのだろうか、アシュヴァルはあきれたように嘆息してみせた。


「帰り道にゃ、果物屋はねえよ」


 ひと言で一切を察する。

 仕事の後にどこへ行っていたのかも、なぜ帰りが遅れたのかも、アシュヴァルは全てお見通しだったのだ。

 小賢しくもその場しのぎの作り話を並べ立てる姿を、どんな思いで見ていたのだろう。


「ア、アシュヴァル……! そ、その——う、うそをついてごめん……! じ、自分は——」


「うそってのは人をだますためにつくもんだ。あんなわかりやすいうそじゃあよ、うそのうちには入らねえよ」


 震え交じりの謝罪を、アシュヴァルは後頭部をかきむしりながら切って捨てる。

 そして路地奥の少年に歩み寄りながら、皮肉を多分に含んだ苦々しい口調で呟いた。


「助ける、か」


「そ、そうなんだっ!! でも、やっぱり一人じゃ何も……何もできなくて——」


 悔しさを噛み締めるように言い、檻の中の少女を一瞥する。

 またもや取り出した林檎をひと口かじって再び背中に戻す少女を横目に眺めたのち、アシュヴァルに向かって思いの丈を打ち明けた。


「——アシュヴァル、お願い! この子を出してあげてほしいんだ! 君だったらこの檻も壊せるよね!? じ、自分には無理だったけど……君なら——! だ、誰よりも強い君になら——」


「少し黙ってろ」


 アシュヴァルの正面まで歩み寄り、顔を見上げて必死に訴え掛ける。

 だが彼は懸命の嘆願をただのひと言で一蹴し、伸ばした手で少年の手首を握った。


「忘れちまったのか。俺がこの鉱山の便利屋で用心棒だってことをよ。ここで騒ぎを起こそうってんなら、たとえお前でも目こぼしはできねえ。——いいか、聞けよ。ただでさえ莫迦どもの相手で迷惑してるのにだ、これ以上俺の仕事を増やすんじゃねえ」


「い……痛——」


「逃げてみろ」


 普段の彼からは考えられない力で手首を握り締められ、激しい痛みに思わず顔をしかめる。

 救いを求めるように顔を見上げれば、夜の間は大きく開く彼の瞳孔が点のように小さく閉ざされているところが見て取れる。

 それが彼のどんな精神状態を表しているのか、この二月の間でよく理解していた。

 言われた通りにアシュヴァルの拘束から逃れようと身をよじるが、万力のように締め付ける手を振り払うことなどできようもない。

 押しても引いても、指を一本ずつ剥がそうとしても、まったく抜け出せる気がしなかった。


 抵抗を諦めた少年を解放すると、アシュヴァルは力なく崩れ落ちる身体を見下ろしながら言う。


「——で、そこから先はどうすんだ」


「その、先……?」


 痛む手首を逆側の手で包みながら尋ね返す。

 アシュヴァルはへたり込む少年を見下ろしたまま、表情を変えずに言い添えた。


「お前が言うようにだ、もし俺がその檻をぶっ壊したとする。そっから先はどうすんだって聞いてるんだよ。その娘を一人で逃がすのか、それともお前も一緒に逃げるのか。どっちでもなけりゃ他になんか考えがあるのか。——あるならよ、それを聞かせてくれって言ってんだ」


「そ、それは——」


 答えようと懸命に思考を巡らせようとも、返す言葉の一つすら浮かんでこなかった。


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