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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第四章  吠 人(ほえびと) 篇   第一節 「風の吹くところ」
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第二百九十六話  緑 野 (りょくや)

 街道を脇にそれて枝道を進み始めた当初は、辺りに幾らか人通りも見られた。

 だがマグメルが先頭に立って歩き続けるうち、曲がりなりにもそれらしき形を保っていた道も消え失せ、影深い森の中を分け入って進む運びとなっていた。

 先へ進むに従って周囲の風景は樹々の密度の薄い疎林へと移り変わり、やがて背丈の低い灌木と、葉の代わりに棘を伸ばした植物のみが生える荒地へと姿を変えていく。

 広範囲にわたって遮るもののない荒野は吹き付ける荒々しい風によって全てが掃きならされてしまったかのようにも見える。

 そこには歩くのに邪魔になる草木もない代わりに、進むべき道筋を示してくれる目印の一つも見当たらなかった。

 当然付近に人の住んでいる様子は一切なく、旅人たちに向けた簡易宿泊小屋も設けられてなどいない。

 見渡す景色が乾いた砂礫で覆われた無人の荒野に変わっていく過程を見て取り、エデンは自身の目覚めた鉱山近くの風景を思い出していた。


 事ここに至るまでに、シオンは何度も引き返すことを提案した。

 だがマグメルはそれに応じることなく、かたくなに先へ進むことを望んだ。


「もう少し行けばだいじょうぶだから、たぶん!!」


 根拠の認め難い自信を口にしつつ、彼女は手にした棒を倒して進むべき方向を決定し続ける。

 成り行き任せの旅程の結果、エデンたちは街道から遠く外れたこの地をさまよい歩くことと相成ったのだった。

 比較的涼しい時間を選んで歩を進め、日中は日陰を探して身を潜める。

 厳しい日差しにさらされる大地にあって、所々に点在する尖塔を思わせる巨礫の陰だけが数少ない安息の場所だった。

 とはいえ夜間になれば昼間の暑さがうそのような冷え込みが襲ってくる。

 三人で身を寄せ合い、重ねた掛け布を頭からかぶって夜の寒さに耐えた。

 聞けばシオンは何度かその力を使って辺りの様子を探ってくれていたらしい。

 だが彼女の力をもってしても、この荒地を抜けて大街道へと合流する道筋を導き出すことはかなわなかった。


 休憩を取った際、エデンは状況を見計らって辺りを探し回った。

 可食できる植物や果物も見当たらなければ、ケナモノの生息している気配も一切感じられない。

 シオンの知恵により岩の隙間に生える植物から水を確保することはできていたが、残された食料は心もとなかった。

 背負った背嚢の中に、節食すれば三人で二週間ほど持つ量の携行食があることは確認している。

 今日一日歩いて何の成果も得られないようなら、不本意ではあるものの来た道を引き返すより他に選択肢はない。

 そんな考えの元にその日も荒野を進んでいたエデンは、先を行くマグメルが突として上げた大声を聞き留めた。


「エデン!! シオンも! こっちこっち!!」


 盛んに飛び跳ねながら大げさな手つきで招いてみせると、マグメルはくるりと身体をひねって再び進行方向に視線を向ける。


「う、うん!! 今行くよ!!」


 答えてエデンは背嚢を背負い直し、早足で彼女の元まで駆け寄る。

 手庇を作って眼下を見下ろす彼女の視線の先を追ったエデンの目に映ったのは、にわかには信じ難い光景だった。


「あ——」


 自身の立っている荒地から緩やかな勾配を成す斜面を下った先に広がるのは、見渡す限りの一面の緑色だった。

 はるか遠くに見通せる連山がその裾野にしとねのように緑の草原を敷いており、数えるほどの高樹以外は膝丈ほどの草本のみが生い茂る景色がどこまでも途切れることなく続いている。

 今の今まで歩き続けていた荒涼とした岩だらけの地面が夢かまぼろしであるかのように、眼前に広がる風景はその様相を一変させていた。


「これは——まさか……」


「ほら! あたしの言った通りでしょ!!」


 遅れて隣に並んだシオンの口からも感嘆の声が漏れる。

 マグメルは一面の草原を見下ろしながらさも得意げに胸を張ると、一人先立って軽い足取りで斜面を駆け下りていく。


「自分たちも行ってみよう」


「は、はい……」


 エデンはいまだほうけたように目を見開くシオンに向かって告げ、その手を取ってゆっくりと斜面を下っていった。

 草原に足を踏み入れたマグメルは草をかき分けるように走り抜け、振り返って再びエデンたちの名を呼ぶ。


「——ほら、エデンもシオンもこっちおいでよ! 早く早く!!」


「う、うん!!」


 答えてエデンは傍らのシオンとうなずき合い、丈の短い草本の叢生する草原の中に一歩を踏み出す。

 膝の辺りをかすめる葉の肌触りと足裏に伝わる柔らかな土の感触は、先ほどまでの険しく荒々しいそれとは大きく異なり、辺りに満ちる空気も水気を含んでしっとりと落ち着いている気がした。

 息を深く吸い込めば、青臭い草のにおいが胸に広がる。

 視線の先では「わっ」と小さな悲鳴を漏らして転んだマグメルが、そのまま草の上に寝転んで空を見上げている。

 その様を目にし、エデンも思わず横たわりたくなるような感覚を覚えていた。


「……貴方もどうですか。私は遠慮しておきますが」


 あきれたように言うシオンに左右に首を振って応じ、エデンは寝転ぶマグメルの元へ足を進める。

 彼女は「よっ」と声を上げて飛び起きたかと思うと、さも名案とばかりに口を開いた。


「ね、この草むらならさ、ケナモノ住んでるんじゃない? さがしてみようよ!!」


「それよりも先に今日の野営場所を探しましょう。荒地は抜けたとはいえまだ危機を脱したとは言い切れません」


「えー!? でもあたし、ほし肉もうあきちゃったよ! 取ったばっかのお肉が食べたいの!」


 嬉々として提案するマグメルだったが、シオンは対応はあくまですげない。

 顎を突き出して言い返すと、マグメルはその感情の矛先をエデンへと向けた。


「ねえねえ、いいでしょ? エデンもおいしいの食べたいよね?」


「う、うん……食べたいけど——でも、まずはシオンの言う通り——」


 甘えた口ぶりでねだる彼女にどっちつかずの答えを返すと、エデンは助けを求めるようにシオンに視線を投げる。

 シオンはがくりと肩を落として嘆息したのち、マグメルに向かって微笑みかけた。


「今日のところは特別です。植生を見たところ雨も少なそうですし、低木ですが身を隠せそうな樹木も幾らか見受けられます。ケナモノを狩ったのちに野営の準備をしても遅くは——」


「ありがと、シオン! だからすき!」


 マグメルがその言葉を遮るようにしてシオンの身体に飛び付くと、二人はもつれ合うようにして草の上に倒れ込んだ。


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