第二百九十四話 嬉 遊 (きゆう)
「あっ! 見て見て——!!」
何かを見つけたのだろうか、突として声を上げたマグメルはシオンに絡めていた腕を解いて一人先へと駆け出した。
会ったばかりの頃ならば、その振る舞いを見て素っ気ない少女だと判断しただろうか。
長い時間を共に過ごした仲間たちとの別れさえどこ吹く風の、物事に執着を持たない淡泊な気質の少女だと思ったかもしれない。
数日間を一緒に過ごし、彼女が抱える苦悩の一端を垣間見た。
マグメルは自らの持つ力についてどの程度まで理解しているのだろう。
ローカやシオンのように自在に扱うことはおろか、己の意志で制御することすらかなわないそれは、彼女にとって忌まわしい以外の何物でもなかったことは想像に難くない。
目を閉じ耳をふさいで生きてきたとして誰が責められようか。
だがあのときのマグメルはそうではなかった。
逃げようと思えば、いつでも逃げられたはずだ。
目をそらし、耳を覆ってしまえたにもかかわらず、それでもアリマの最期を見届けたのはきっと彼女の意志だ。
マグメルもまた、自らの答えを求めているのかもしれない。
わずか——ほんのわずかではあったが、エデンはローカに対して怨嗟にも似た感情を抱く。
もしもマグメルにあの光景を観せるため、そして知ることを拒もうとした自身の愚かさを戒めるために、この道行きを進ませたのだとしたら。
「ちょっとだけ……意地悪が過ぎるんじゃないかな」
思わず声に出して呟き、エデンはふと足を止める。
寸前まで自身のはるか先を歩いていたはずのマグメルの姿が、いつの間にか眼前にあったからだ。
下方からのぞき込むように見上げながら彼女は問う。
「エデン、なんかこわい顔してる——?」
「そ、そう——かな。だ、大丈夫だから……!」
両手で顔に触れ、軽く頬を打つ。
動揺を押し隠すように無理やり笑顔を作って見下ろすエデンを、マグメルは自らも微笑みを浮かべて見詰め返す。
「——うん、ならいい!」
力いっぱいうなずくと、彼女は棒を握る側と逆側の手をエデンに向かって差し出した。
その手を取ろうと自身も手を伸ばしかけたところで、エデンは一瞬躊躇を覚える。
彼女と触れ合えば再びその力の影響を受けるのではないか、あるいは自身の記憶をのぞかれはしまいか。
ふとそんな考えがよぎったが、すぐに頭から追い払って彼女の手を取る。
好都合なことに、自身にはのぞかれて困る記憶や過去など一つもないのだ。
「——ほら、行こ!」
「ま、待って……!!」
エデンの手を握り返し、マグメルは勢いよく走り出す。
ずり落ちそうになる背嚢を担ぎ直したエデンは、手を引かれるまま彼女の後に続いた。
「ねえねえ、こっち! こっち行ってみない?」
大街道の道脇に立ったマグメルは、そう言って手にした棒で一方を指し示した。
生い茂った草むらが目隠しとなってはいたが、棒の先を目で追ったエデンはそこに一本の道を認めていた。
石畳の大街道と、知らなければ見過ごしてしまうような細く小さな踏み分け道。
三人の立つのは、そんな二本の道の岐路だった。
嬉々として本道をそれる提案をするマグメルに対し、あきれ気味に肩を落としたシオンは地図を見せながら説明する。
「こちらに何があるのかは先生の地図には記されていません。先を急ぐ私たちにはこのまま大街道を東進するという選択以外ないと思うのですが——違いますか?」
救いを求めるように視線を向けるシオンだったが、エデンには即座に返答することができなかった。
旅の目的の第一は、ローカを探し出して連れ帰ることだ。
寄り道や回り道をしている場合ではないことは理解している。
しかしなぜだろうか、頭ではわかっていてもマグメルの示した道の先が気に掛かって仕方がない。
以前インボルクの語った、マグメルの言う通りに進んでうまくいかなかったことはないという言葉のせいだろうか。
「エデンさん、貴方もまさか……」
「ち、違うんだ! そういうわけじゃなくて……!!」
「……貴方の判断にお任せします」
考え込むエデンを前にして小さなため息をつくと、シオンは諦め気味に言った。
決心しかねるエデンに対し、名案でも思い付いたかのように突然声を上げたのはマグメルだ。
「じゃあさ! こういうのはどう!?」
彼女は手にした棒の先端を石畳の上に突き、その反対側を指先で押さえてみせる。
「これがたおれたほうに行くの!! それじゃ——えい!!」
「え!? ま、待って——!!」
エデンとシオンが止めるよりも早く、マグメルは棒を押さえていた指を離す。
支えを失った棒がゆっくりと傾いていく様を、エデンは気の遠くなるほどの遅々とした時間の流れの中で見ていた。
棒が大街道の東の方向に向かって倒れていくところを目にしたシオンが安堵のため息を漏らすのがわかる。
マグメルが残念そうに口を尖らせるのが見て取れる。
その結果を目にし、エデン自身も心のどこかで胸をなで下ろしていた。
三人の誰もが自分たちの進むべき進路を確信したそのとき、倒れ込む棒が突然向きを変える。
石畳のくぼみがそうさせたのか、風にあおられたのかはわからない。
だが棒は東の方角ではなく、道なき小道を指し示す形で傾いていく。
「——っと!!」
気付いたときには、エデンは棒に向かって手を伸ばしていた。
完全に地面に倒れるのを待たず、倒れる途中の木の棒を握り締める。
「——こっちに……こっちに行ってみよう」
握り締めたそれで、本道から脇に入った枝道の先を差しながらエデンは言う。
うれしそうに見上げるマグメルに向かってうなずきを返し、深々と嘆息するシオンに向かって取り繕うように口を開いた。
「ええと、これは——そ、その……」
「私は貴方の意志を尊重すると決めました。それに——」
シオンはある種の諦観さえ感じさせる笑みを浮かべて言う。
「——先生の歩んだ旅路をなぞるだけというのもいささか癪というものです。見聞を広めるための回り道というのであれば、私もやぶさかではありません」
「う……うん! あ、ありがとう。じゃあ——」
「しゅっぱーつ!!」
エデンの言葉を遮る形で号令を発すると、彼女は「よっと!」と両足で踏み切る形で枝道に一歩を踏み出す。
その様子を目にしたエデンは思わず含み笑いを漏らし、シオンはその顔にかすかな羞恥の色を浮かべていた。
大街道をそれて南東の方角に枝道を進み始めた矢先、先頭を歩いていたマグメルが思い立ったようにエデンの元に引き返してくる。
彼女はエデンの手にした棒を指差しながら言った。
「それ、あたしが拾ったやつ!!」
「そ、そうだったね」
答えて手にした棒を返そうとするエデンだったが、マグメルは一瞬考えるようなそぶりを見せたのち、ぱっと顔を明るくさせる。
「——やっぱいいや、エデンにあげる! あたし、もっといい感じのやつさがす!」
そう言い残して走り去ったかと思うと、彼女は立ち止まって様子をうかがっていたシオンに向かって「いいやつ見つけたほうの勝ちね!」と一方的に勝負を申し込む。
道を右往左往しながら杖代わりの手頃な棒を探す少女たち二人を眺めながら、エデンは手にしたそれを握り締める。
もしもマグメルとの出会いがローカの導きであるというのなら、この道を進むことになった経緯も結果も、全て彼女の掌中に握られていたということになりはしないだろうか。
棒が完全に倒れるのを待つことなく握り止めたのは、気持ちばかりの抵抗のつもりだった。
誰かに選ばされたのではなく、自分自身の意志で選び取った道だと自信を持って言いたい。
ローカが覚悟を試そうとしているのであれば、どこまでも付き合おうと思う。
再会の暁には悔しがる彼女に何と言おうか、頭の中であれこれとたくらみ事を画策する。
それが今のエデンが彼女に対してできる、ごく細やかな意趣返しだった。
第三章 「吟遊楽団 篇」 〈 完 〉
『百从のエデン』第三章、「吟遊楽団篇」を最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
ここまでのお話、お楽しみいただけましたでしょうか。
新たな道連れを加えた少年の旅と冒険を、これからも見守っていただけるとうれしいです。
よろしければこのまま、第四章「吠人篇」にお進みください。
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