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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第三章  吟遊楽団(がくだん) 篇   第七節 「さらば共に旅立たん」
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第二百九十三話  結 尾 (けつび)

 吟遊楽団シェアスールの四人に別れを告げたエデンたちは、石の大街道を東へと歩んでいた。


 エデンとしてはベルテインの牽く箱車が西の彼方に消えるまで見送っていたい心持ちではあったが、時をおかず先に進むことを提案したのはマグメルだった。

 自らの意志で彼らと別れる道を選んだとはいえ、仲間たちとの離別が心残りでないわけなどない。

 だが彼女はそんなそぶりなど一切見せず、今も道端で拾った棒を手に意気揚々と街道を進んでいた。


 そんなことを考えながら少女二人の後方を歩んでいたエデンは、シオンが先陣を切って進むマグメルに声を掛けるところを目に留めた。


「マグメルさん、なぜ貴女は楽団の皆さんと別れてまで私たちと一緒に来る道を選んだのですか? よろしければ理由を聞かせほしいのですが——」


「理由? ……んー、理由かあ」


 シオンの問い受けたマグメルは片足を軸にしてくるりと振り返り、そのまま歩を進めながら頭をひねる。


「なんとなく——じゃだめ?」


「な、何となく……ですか? では貴女は明確な動機や目的もなく私たちと……?」


「うーん、じゃあさ! こういうのはどう? あたしもいっしょにさがしてあげる! えっと、たしか——ローカちゃん!!」

 

 あぜんとして口を開け放つシオンに対し、マグメルは思い立ったように言う。

 彼女の口からその名が飛び出したことでエデンは一瞬足を止めるが、自身を見詰めて微笑む彼女を目にして再び前方へと歩を進めた。


「どうと仰られても……貴女はローカさんと面識もなければ、それこそ彼女を探す責任も理由もないはずです。加えて旅は徐々に過酷なものとなっていくでしょう。軽い気持ちや物見遊山で付いてこられても——」


「……んー」


 変わらず後ろ歩きを続けながら、マグメルは顎先に人差し指を添えて思いを巡らせる。


「あたしもローカちゃんに会ってみたい——じゃ理由にならないのかな? 会ってお話してさ、友だちになれるかもしれないじゃん? そうだ、そうだよ! それが理由理由!」


「友達……ですか」


「うん、そ! シオンもエデンも友だちでなかま! それにさ、この先たいへんになるっていうなら、なおさらあたしがいっしょにいてあげないと! 二人とも旅するのになれてないみたいだし、あたしがいたら安心でしょ?」


 得意げに胸を張って言うと、マグメルはシオンの隣に並んで半ば無理やりに腕を組む。


「あたしはもう十分すぎるぐらい守ってもらったからさ。だから、今度はあたしの番! エデンとシオンのことは、あたしがちゃーんと守ってあげるんだから!」


 後方を歩くエデン振り返ったマグメルは、手にした棒を高々と突き上げながら屈託のない笑みを浮かべてみせる。


「うん、ありがとう。——頼りにしてる」


「えへへ——」


 エデンの言葉を受けて照れくさそうに笑みをこぼすと、彼女は組んだ腕の肘で「——だってさ」とシオンを小突いた。


「エデンさんがそう仰るのであれば、私に異論を挟む余地はありません」


「シオンもたよっていいんだからね、あたしのこと!」


 腕を解こうとするシオンを強引に引き戻しながら、マグメルはうれしそうに言った。



 シェアスールの皆に囲まれて過ごした日々を、マグメルは楽園と呼んだ。

 彼女が彼女なりの葛藤の末にその場所を飛び出したように、エデンも自身が居心地の良い場所を離れたときのことを思い出していた。


 これは過去と記憶を持たない自身の、失われた出自と由来とを求めるための旅だ。

 そこにたどり着くことこそ自身の願いなのだと信じて疑わなかったが、それは本当に自分自身で下した結論なのだろうか。


 何者かが自身に世界を見ろと言っている——シオンはそう語った。

 シオンの言う何者かがローカであるならば、彼女が姿を消したことに必ず理由があるはずだ。

 こうしてその足跡をたどることを彼女が望んでいるのかもしれないと考えると、全てにつじつまが合うような気もする。

 マグメルとの邂逅もローカの意図した通りの結果ならば、自らの意志で歩いていると思っているこの道すらも彼女の導きの一環なのだろうか。


 自身の歩みだと思いたい。

 失われた自らのかけらを求めて旅立ったことが、他ならぬ自分自身の意志と願いに立脚するものだと信じたい。

 姿を消したローカを追うのも、決して彼女の足跡をなぞらされているからなどではなく、帰りを待つ大切な人たちのもとに連れ帰るためだと信じたい。


 平和な暮らしが似合っているとアリマに評されたことを思い出す。

 剣よりも似合う道具があるのではないかと彼女は語った。

 うすうす感じてはいる。

 ラジャンから預かった剣を振るうよりも、酒場や食堂の手伝いをしているときのほうが、調理道具や掃除用具を手にしているときのほうが、一層自分らしいのではないかと考えるときもある。

 平和な暮らしが嫌いなわけがない。

 ローカと一緒に帰りたいのは、慎ましくも幸せな日々だ。

 愛する者たちに囲まれ、心安らかに笑っていられる。

 かなうならばそんな毎日の中に身を置いていたいと思うのが偽らざる本心だ。


 だが外の世界に出て初めて、それぞれのやり方でそれぞれの安息の地を守る人々の存在を知った。

 皆が日々の暮らしと大切なものを守るために命を懸けていることを知った。

 それは守られている立場に甘んじているだけでは知る由もなかったことだ。


 誰かが教えてくれるのを待つには弱過ぎた。

 自身がその事実を受け入れられないと判断したならば、優しい人たちはずっと黙ったままだっただろう。

 自分自身で気付くには無知過ぎた。

 何も知らず、何の疑いも抱かずに漫然と生き、口を開けて待っているだけで自ら真実にたどり付こうとは考えもしなかった。


 インボルクは蹄人であるが故に供儀を否定できないと語っていたが、自身がその仕組みを受け入れることができそうにない理由も、世界から居場所を奪われた——間人であることが理由なのだろうか。

 世界について知り、そこに暮らす数多の種について知れば、それがありふれた習慣だと受け入れられるようになるのだろうか。

 彼らの行動を、アリマの取った行動の意味を判断するのがそれからでも遅くないのなら、今はまだ彼女の死を悼み続けることを許してほしい。


 誰もが納得できる絶対的な是非善悪や正邪曲直など、この世にはないと先生は語った。

 だが一方で学びを続け、内省を繰り返すことで、正しさに近づいていくことはできるとも言っていた。


 今の自身に圧倒的に足りないものがある。

 それは知ることだ。

 何も知らない、知ろうともしないでは、どんなに考えても正しさにはたどり着けない。

 人々の暮らしを見て、声を聞いて、己の中に知を蓄積していく必要がある。


 それと同時に、なすべきことがもう一つ。

 もしも本当に平和な日々を、穏やかな暮らしを望むのであれば、身近な人々を守るだけの力が必要不可欠だ。

 剣を手に取る、取らないを選ぶことができるのは相応の力を持った者たちだけで、力なき者には取捨選択さえ許されないのだ。

 救国の英雄や怪物退治の勇者などと分不相応なことは言わない。

 だが身の回りの大切な人たちと、目の前で困っている人々を守れるぐらいには強くありたいと——そう心から願う。


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