第二百九十二話 別 離 (わかれ) Ⅱ
続けてシオンが団員たちに別れを告げる様子を見守ったのち、エデンはマグメルを探して箱車の屋根に視線を投げた。
しかしながら屋根の上に彼女はおらず、周囲を見回してみてもどこにもその姿が見当たらない。
もしや箱車の中に閉じこもってしまったのかもしれないとの思いが頭をよぎる。
思えば彼女は昨夜から口数が少なく、どこか上の空のようにも見受けられた。
それが別れを惜しむ気持ちの表れであるとしたら、マグメルも自身と同じ感情を抱いているということになる。
しかし、このままあいさつを交わせないまま別れるのはあまりに寂し過ぎる。
そう考えて今一度彼女の姿を求めて辺りを見回したエデンは、思いも寄らない場所にその姿を認めていた。
「え——」
先ほどまで箱車の屋根の上にいたはずのマグメルが立っている場所、それはエデンの傍らだった。
シオンとの間に割って入り、彼女は当然のような顔をしてインボルクたちと向き合っている。
困惑の表情で見下ろすエデンをいたずらっぽい笑みでもって見上げると、彼女は天に向かって片手を突き上げた。
「あたし、エデンたちと行く!!」
四人の団員たちに向かってそう言い放ったのち、マグメルはその突然の発言にあっけに取られるエデンを上目遣いに見上げた。
「……ねえ、だめ?」
「え、あ……ええと——その……」
鼻に掛かった甘ったるい声色でねだるように尋ねる彼女に、エデンは思わずしどろもどろになってしまう。
拒絶の言葉がないことを肯定と捉え、マグメルは強引に押し切る形で話を進めていく。
「ね、ね! いいよね? シオンもいいでしょ? ——はい! 決まりね!!」
エデンと同じく言葉を失うシオンを見詰めて一方的に言い立てると、返答を待つことなく一人勝手に納得してみせる。
言質を得たとばかりに得意げに微笑んだ彼女は、改めてインボルクら四人に正面から向き合った。
「だからね、みんなとはここで——」
途端に神妙な顔つきになったマグメルは、落ち着きなく視線を泳がせる。
そこまで言って消沈したように黙りこくると、言いづらそうに顔を伏せてしまった。
数瞬の間を置いて、彼女は恐る恐る顔を上げる。
そして自らを見詰める四人の表情を認め、信じられないといった調子で「え」と小さく声を漏らした。
「みんな、なんでそんな顔……」
マグメルはぼうぜんと呟き、順繰りに四人の顔を見比べる。
「……びっくり——しないの? どして——」
彼女の視線をたどり、エデンもシェアスールの団員たちを見やる。
四人がその顔にたたえるのは、マグメルの突然の発言に対する驚愕の色でも惜別の色でもなかった。
包み込むような優しげな表情に一縷の悲哀を織り込んだその面ざしに、エデンは思い当たる節がある。
それはシオンの門出を祝う先生の、そして自身の旅立ちを見送ってくれた大切な人たちのそれによく似ていた。
「わっ!! なになにっ——!?」
突然の声に振り向いたエデンが見たのは、頭上高く持ち上げられているマグメルの姿だった。
その両脇に手を差し入れるようにして抱え、彼女の身体を空中高く掲げているのはベルテインだ。
「お嬢、身体に気を付けてね」
「……うん、気をつける」
答えてうなずくマグメルをそっと地上に下ろすと、ベルテインは白い歯をむき出しにした人懐こい笑みを浮かべてみせた。
「ちゃんと飯食ってくださいよ、お嬢。俺の心配はそれだけでさ。飯さえ食ってれば、他は意外と何とかなるもんですからね」
続けて声を掛けたのはサムハインだ。
マグメルの目の前まで歩み寄った彼は、掌で押さえ付けるようにして彼女の頭をなで回す。
首をすくめて「うー」とうなりを上げつつも、彼女は上目にサムハインを見上げる。
「うん、ちゃんと食べる」
「そいつは重畳」
サムハインは目を細めて繰り返しうなずいたのち、ベルテインに肩を支えられたルグナサートに場所を譲った。
マグメルはその胸にそっと身を寄せ、感謝の言葉を口にする。
「歌、たくさん教えてくれてありがとう」
「……いいえ、貴女のくれた光に比べれば」
呟くように答えると、ルグナサートはその黒く艶のある翼を広げて彼女の身体を包み込んだ。
「——お嬢、私の太陽」
マグメルの耳元でささやくように告げると、ルグナサートはその身体を名残惜しそうに優しく押しやる。
そして彼女の肩越しに、一人背を向けてしまっている人物の名を呼んだ。
「インボルク」
マグメルも彼の背中を見詰めるが、名前を呼ばれた当人は一切の反応を示さない。
サムハインとベルテインがそれぞれ「旦那」「団長」と諭すようにその名を呼んでも、彼はかたくなに振り向こうとはしなかった。
「お見通しだったんだね」
マグメルは変わらず黙り込む彼の元に歩み寄り、その背中に両手を重ねる。
「あたし、行くね」
「シェアスールは——僕らはいつだって君と一緒だ。君の居場所は未来永劫空けておく。だから——」
見事な枝角を頂く頭部を傾けるようにして頭上を仰ぎ、中空に視線を据えたままインボルクは言う。
「——いつでも帰っておいで」
その背中に額を寄せ、マグメルは「うん」と小さく呟いた。
ややあってインボルクの背から離れた彼女が次いで足を向けたのは、長く苦楽を共にした箱車の元だ。
「なんとか号も、ありがと」
言ってマグメルは愛おしそうな手つきでその車体に触れた。




