第二百九十一話 別 離 (わかれ) Ⅰ
大陸の東西を貫く形で走る石畳の街道、人々はその石の路を「大街道」の通称で呼んでいる。
商いをなりわいとする者の他、巡礼や巡検などさまざまな目的を持った人々が行き来する大陸随一の大動脈だ。
大小幾つもの街道が大街道に寄り集まっては、また四方八方へと離散していく。
その様相はあたかも旅人たちの道行きを示しているようだとシオンは語っていた。
蹄人の暮らす集落を後にしたエデンたち一行も、その中の一つの街道を進んで大街道へと合流したところだった。
西を顧みれば数か月前に発った自由市場が、東にはまだ見ぬ景色が広がっている。
街道の岐路に立ったエデンとシオンは、箱車を止めたシェアスールの団員たちと向かい合っていた。
「……短い間だったけど、本当にありがとう」
「なに、旅は道連れと言うじゃないか。憂いものつらいものなどと茶化す輩もいるが、道連れに恵まれれば旅暮らしほど気楽で楽しいものはないさ。まあいろいろとあったが、少年少女との過ごしたつかの間の日々、そう悪くはなかったよ」
その横柄で尊大な言い回しに対し、出会った当初はひどく戸惑ったことを覚えている。
だが短くない時間をともにした今なら、それが彼の持ち味であると素直に受け入れることができる。
「うん、自分も……楽しかった」
もちろんひと言で語り尽くせなどはしない。
にぎやかな食事の時間を過ごし、その奏でる音楽に触れ、狭い箱車の中で身を寄せ合って眠った毎日は、エデンにとって心の底から楽しいと感じられる日々だった。
「それは結構」
したり顔でうなずくインボルクの顔を見上げ、エデンはかねてより伝えたかった言葉を告げる。
「それからインボルク、名前をくれたこと……すごく感謝してるんだ」
「ん? 名前? 何を言ってるんだ、君は」
「ほ、ほら……! あのとき、自分たちのことを——」
エデンの感謝の言葉に対し、インボルクはいぶかしげに顔をしかめてみせる。
まさか忘れてしまったのだろうかと動揺するエデンに代わって、横から口を挟んだのはシオンだった。
「私たちを指して、間人と仰ってくれたことです」
「……ああ、あれか! 覚えているに決まっているだろう! 言った言った、言ったとも!」
取って付けたわざとらしいしぐさで手を打つ彼に、シオンはわずかに嘆息するようなそぶりを見せる。
インボルクの反応からは、彼が深く考えずにその名を付けてくれたであろうことが見て取れた。
傍らに立つシオンと、箱車の屋根の上で空を見上げているマグメルを見やり、次いでどこかへ消えてしまったローカの姿を胸の内に思い描く。
即席ではあるが同じ姿を有する仲間たちを名状する言葉の誕生に、エデンは改めてこの世界の住人として認められたような感覚さえ覚えていた。
「ここにいていいんだって——そう思えるよ」
「少しばかり大げさ過ぎやしないかな?」
インボルクはあきれたように肩をすくめたのち、普段通りの皮肉な笑みを浮かべて手を差し出した。
「だが少年らしい答えだ」
その手を握り返しながら、エデンは「最後にもう一つだけ」と言い添える。
インボルクは無言の首肯をもって先を促した。
「もう迷わないって——そう自信を持って断言できる日がくるまでは、たくさん迷ってみる。考えて、悩んで、迷って、一つずつ自分の答えを見つけていこうって思えるようになったよ。……だからもう、迷うことを迷わない」
「うむ、それもまた実に少年らしい格好の付かない答えじゃないか。だが悪くないぞ。それでこそ僕が観賞に値すると認めた男だ。そうだな、いつか君の物語を謳いたいものだ」
彼は訳知り顔で言って、ひときわ強くエデンの手を握り締める。
「さらばだ、彷徨える少年。そして——」
続けてシオンの手を取ったインボルクは、頬を緩めて別れの言葉を告げた。
「——さらばだ、賢し少女よ」
「兄さんも姉さんも、どうかお達者で」
いつもと変わらない大様な口ぶりで言うサムハインの手を取って別れのあいさつを交わし、続いてルグナサートとベルテインの二人に感謝を伝える。
「再会の暁には」
そんな言葉とともに何かをあおるようなしぐさをしてみせるルグナサートの翼を握りながら「約束」と返し、顔を覆う被毛の隙間から涙をこぼして別れを惜しんでくれるベルテインと抱擁を交わし合った。




