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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第三章  吟遊楽団(がくだん) 篇   第六節 「ただ少女の昇天に」
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第二百八十八話  天 授 (てんじゅ) Ⅰ

 断じて旅の目的を忘れていたわけではない。

 ローカと共に一歩を踏み出した失われた過去と由来を求めての旅は、彼女の失踪を経てより多くの意味を持つようになった。


 シオンの同行を得て、エデン自身も世界とそこに暮らす人々のことを知りたいと強く願うに至る。

 自分自身のこと、自分以外の誰かのこと、知りたいことも知るべきことも多々あれど、最優先はローカを連れ戻すことだと理解していたつもりだった。


 姿を消した彼女を探し出し、帰りを待つ人たちの元に一刻も早く連れ戻すことこそ、己に課せられた使命だと認識していた。

 それが笑顔で送り出してくれた大切な人たちの恩義に応える行為であり、平穏な日常に別れを告げてまでこの道を選んでくれたシオンに対する責任の取り方でもあるからだ。


 目的を忘れてなどいない。

 いつだって消えたローカの行方を追い続けてきたはずだった。


 旅の始まりを見詰め直し、思いを巡らせていたエデンの脳裏で二つの像が重なる。

 金属の檻の中に佇むローカと、閉ざされた村の外に憧れをはせるアリマ。

 不死の妙薬と呼ばれて売りに出されたローカと、戦いに赴く戦士たちに自らの身を差し出したアリマ。

 救うことのできたローカと、救うことのできなかったアリマ。

 

 アリマの奥に、ローカを見ていたのだ。

 その喪失を嘆き、救えなかったことを悔いる気持ちも、アリマにローカを重ね合わせることで感じたものだというなら、自身の振る舞いは何と浅はかなのだろう。

 妻に続いて娘まで失うことになった宿の主人、アリマが自らの身代わりとなったことを知ったツェレン、二人に対してどうしてそんなことが言えよう。


 二人だけではない。

 歌を通じて心を通わせ合い、あるいは同じ楽団の仲間として旅をする未来もあったかもしれないマグメルのほうが、自身よりも深い悲しみを感じているはずだ。

 加えて不思議な力をもってその死に行く様を目の当たりにしてしまったとしたなら、マグメルの心の痛みやいかほどだろう。


 大地に手足を突いたままマグメルの横顔を見やったエデンは、うつろな光をたたえる瞳からひと筋の涙がこぼれ落ちるところを目に留める。

 開け放たれた口から吐息ともうめきともつかない声を漏らした彼女は、細かく肩を震わせるようにしてすすり泣き始めた。


 腕の中の彼女を困惑の表情で見下ろすベルテインに対し、インボルクは箱車を指し示す。

 ベルテインは慌ただしくうなずき返し、壊れ物を扱うような手つきで抱き上げたマグメルを車内へと運んでいった。

 その後ろ姿を見送ったエデンは今一度シオンを振り仰ぐが、背を向けた彼女はルグナサートから受け取った手拭いで顔を覆っているところだった。


 結局声を掛けられずじまいのまま時間は流れ、誰も食事を口にすることのないまま夜は更けていく。

 片付けを済ませて一同が箱車に戻ろうとする中、エデンはその夜の見張りに名乗りを上げる。


 ひと晩を箱車の屋根の上で過ごし、そのまま夜明けを迎えた。



 インボルクの判断でその日は出発を見送り、一行は山中でもう一日を過ごすことになった。

 虚脱状態から徐々に回復の兆しを見せ始めたマグメルは、昼には言葉を交わせるように、夕方には感情を顔に表すようになっていた。


 一つ懸念があるとすれば、彼女があれから水以外の一切を口にしていないことだ。

 食事が喉を通らないのはエデンも同様で、何かを食べようとするたびにあの赤黒い塊が脳裏をよぎる。

 このまま何も口にせずにいれば消耗していくだけだと頭では理解してはいるものの、身体が食物を受け付けてはくれなかった。


 その日の夕方もエデンたちは皆で火を囲んだ。

 にぎやかな会話も夕べを彩る音楽もなく、誰もが炎の爆ぜる音のみに耳を澄ませていた。


「あのね、あたしね——」


 おもむろに切り出したのはマグメルだった。

 火を囲む一行を順繰りに眺めた彼女は、ひと言ひと言をなぞるようにして言った。


「——見えちゃったの。アリマちゃんの……思い出? きおく……? 昔のこと——? なんていうかわかんないんだけど……そういうの」


 指を曲げたり伸ばしたり、絡めたり解いたり、手遊びとともにマグメルは言葉を続ける。


「ううん。見えたんじゃなくて、あたしもそこにいた。アリマちゃんのすぐ近くで——ちがう、あたしがアリマちゃんだったの。アリマちゃんにね、なっちゃったんだ」


 とつとつと語られるマグメルの言葉を、エデンは慄然とした思いで聞いていた。

 その有する力の一端に触れ、自身も彼女と同じ光景を観ていたとばかり思い込んでいたからだ。

 あくまで観客としてアリマの記憶という名の物語を観ていた自身と違い、もしもマグメルが一層近い距離で——アリマ本人としてその過去を追体験していたのだとすればどうだろう。

 両親と過ごした日々、母を失い悲嘆に暮れた日々、無聊を託ちながらも宿の仕事に勤しんだ日々。

 異種の出現を知り、親友に代わって自らの身を投げ打つ決断に至るまでの煩悶、鈍く光る刃を前にして抱く恐怖、そして絶命のその瞬間までをアリマの身になって体感していたとするならば、マグメルの精神的な衝撃は自身の比ではないだろう。


 いまだ覚めやらぬ悪夢に怯えでもするかのように、マグメルは自らの首元に触れながら言う。


「——こんなおかしな話、しんじてもらえないと思うけど……ほんとに見えたんだよ」


「信じる」


 迷いなく即答し、エデンはその場で立ち上がる。


「信じるも何も、自分も見たから。あのときマグメルに触れて……隣で見てたんだ」


 断然と言い切るエデンを、インボルクらシェアスールの団員たちは動揺と困惑の入り交じった表情で見詰めている。

 一人顔色を変えずにいたのはシオンだ。

 その平然たる態度と表情は、まるで最初からそのことを知っていたかのようだった。


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