第二百八十六話 葬 送 (そうそう)
それがシオンたちが自身とマグメルに対して秘匿していた事実であると認識し、エデンは著しく意気が沮喪する感覚に陥っていた。
それと同時に、この世のどこにもアリマがいないという事実を改めて思い知らされる。
自身の知らない場所で母親と一緒に暮らしているのだろう、どこかで元気にしているのだろう。
そんな淡い期待はあえなく打ち砕かれ、理不尽な現実が目の前に突き付けられていた。
アリマは死んだ。
自らを肉と変え、異種狩りの戦士にその身を捧げたのだ。
衣服を脱ぎ捨て、分厚い刃物を手にした男の前に進み出るアリマの後ろ姿。
その様子を感情の読めないうつろな双眸で見上げる婆様。
そして涎を滴らせながら自身の肩を握り締める斑人の戦士の赤く血走った眼とが、脳裏に明滅するように浮かび上がっては消える。
不意に襲う嘔吐感に、エデンは口元を押さえてその場に身を投げ出した。
「う——ぐ……」
胃の中のものを戻しそうになる感覚を必死にこらえる。
そのうち大地に突いた両手に込めた力は抜け、額が地面に触れ、抑え切れなくなった悲しみがうめきとなって漏れ始めた。
「……う、う——」
マグメルの力を通して観た光景、インボルクやシオンの口から語られた真実。
一挙に押し寄せる抱え切れないほどの情報に、エデンは頭の中身が溢れ出しそうになる感覚を覚えていた。
アリマはもういない。
村に戻ろうと、どこを探そうと、このまま旅を続けようと、もう二度と再会することはできないのだ。
少し考えればその違和感に気付けたかもしれず、シオンやインボルクを問い質せば、蹄人たちの間に伝わる因習について教えてもらえていたかもしれない。
もしもその事実を知り得ていたなら、アリマがツェレンに代わって身を捧げたあの日よりも先に供儀の仕組みを知っていれば、彼女を救えていた未来もあったかもしれないのだ。
「——う、うあああああああっ……!!」
エデンは慟哭する。
人目もはばからず、悲嘆と悔恨の入り交じった叫びを上げる。
剣を手に取ることとは、誰かを守るということとは。
自身がそんな葛藤をしている間に、アリマは自らの命を捧げて村を守るという行為をなした。
だがそれは本当にしかるべき行動だったのだろうか。
彼女一人が犠牲になってまで、現在と未来とを投げ打ってまで、村と人々のために尽くす意味があったのだろうか。
シオンとインボルク——二人以外の楽団の面々も、蹄人たちの間に伝わる供儀という名の仕組みと、それに殉じる彼らの生き様を知っていたのだろう。
そして異種の出現にあたり、村人たちがどんな行動を取るのかも。
何も知らない自身とマグメルのことを、彼らはどんな目で見ていたのだろう。
「どうして……もっと早く……」
エデンは地面に額を擦り付けたまま漏らし、土と涙に塗れた顔でシオンを見上げた。
どれほど恨みがましい表情をしているだろうと考えれば、心底自分自身のことが嫌になる。
シオンには一点の非もない。
彼女に教えを乞う際にその範囲を一任したのは、思い込みや偏りのない状態で世界に触れたいと偉そうなことを言ったのは、誰でもない自分自身だ。
それを今になって翻すことがどれほど身勝手な振る舞いなのかもわかっている。
責任が全て自身にあることも、もちろん承知している。
弱いからだ。
シオンがそれを——蹄人たちの生き方を教えることをためらったのは、自身にそれを受け入れる度量がないと判断したからに他ならない。
それをわかっていても、エデンには行き場のない感情の漏出を止めることはできなかった。
「もっと早く知っていれば、何とかなったかもしれない——! アリマを助けられたかもしれないのに……!!」
後悔と無念に顔をゆがませてシオンを見上げる。
じっと静かに自身を見下ろすその視線に耐えられず、エデンは再び地に顔を伏した。
「インボルクも——どうして……!!」
彼が本気で楽団に誘ってくれていたら、彼女にも生きるという選択が生まれていたかもしれない。
シェアスールの団員となって村を離れ、旅に生きる暮らしを選んでいたかもしれない。
彼女の意志を無視し、有無を言わせず連れ去ってでも村を離れていたら、今頃は別の結果が訪れていたに違いない。
「そうだ——」
逃げる必要などなかったのではないだろうか。
「——みんなで力を合わせて異種をやっつけたんだ……! 逃げなくてもよかったんだ……! 自分たちで——みんなで……」
うつむいたまま、うめくように漏らす。
かもしれないを繰り返し、自身に都合のいい理屈を後出しで並べ立てる。
それがいかに姑息で卑怯な振る舞いであるかを理解しつつも、尽きぬ悔恨は言葉となって漏れ出ていた。




