第二百八十四話 奉 挙 (ほうきょ) Ⅰ
「——エデンさん!! マグメルさん!!」
膝を突いて驚きと困惑の入り交じった声を上げるシオン、そして異変を察して車内へと駆け込んでくるシェアスールの団員たちを前にし、エデンは自身が「戻ってきた」ことを理解する。
朦朧とした意識の中に半身を置いたまま、自身の名を呼び続けるシオンの今にも泣き出しそうな顔をぼうぜんと見上げていた。
「エデンさん、エデンさん!! しっかりしてください!!」
「シオン——」
徐々に正気を取り戻しつつあるエデンがその名を呼ぶと、彼女はその顔にわずかな安堵の表情を色を浮かべた。
「よかった——です。急に叫び出すので、まさか……口にしてしまったのかと——」
「口に……」
シオンの言葉を繰り返したところで、エデンははたと思い至る。
経木の包みからこぼれ落ちた赤黒い塊、その正体が何であるかにうすうす感づき始めている自身に。
恐る恐る床に目を落とすエデンだったが、ふと何かが落ちていた塊を覆い隠す。
それはインボルクが肩掛けとしてまとっていた一枚布だった。
「致し方ないが約束だ。僕が話す。話すが——」
言ってエデンを見据えると、続けてインボルクはうつろな視線をたたえたままベルテインの腕に抱かれるマグメルを見やった。
「——ここは手狭だ。場所を変えよう」
インボルクの意を受け、一行はいったん箱車から車外へと場所を移すことにした。
サムハインに肩を支えられたエデンはおぼつかない足取りで歩を進めながら、ベルテインに抱えられて箱車を後にするマグメルを見詰める。
変わらず悄然として生気の感じられない表情を浮かべた彼女に対し、エデンは掛けるべき言葉の一つさえ思いつかなかった。
「供儀——と、僕らは呼んでいる」
その語る言葉の意味の理解できないエデンは、インボルクの顔を正面から見据えて問う。
「く……ぎ——?」
「理解できなかったのであれば何度でも言おう。帰属する集団に危険が及んだ際、戦うことを放棄した蹄人たちは戦う力を持つ種に助けを乞う。そして代償としてその身を捧げる。何かしらの手段によって選別した生贄を肉に変えて差し出すんだ。その一連の儀式を僕ら蹄人は『供儀』と呼ぶ。君もすでに気付いているのだろう、今回の異種の襲撃に当たって供儀に選ばれたのが誰なのか——」
「インボルクさんっ……!!」
その言葉を遮るようにしてシオンが声を荒らげる。
勢いよく立ち上がった彼女は、鋭い視線をたき火越しにインボルクにたたき付けた。
「今更隠し立てしても仕方あるまい。言葉を選んで何かが変わるなら幾らでもそうするが、もはや手遅れであることは少女が一番よく知っているだろう。僕らは判断を誤った。完全に後手に回ってしまったと言わざるを得ない。こうして少年も……あれも——」
言ってインボルクは身を硬くして縮こまるマグメルを一瞥する。
場所を箱車の車外に移しはしていたが、彼女の身はまだベルテインの腕の中にあった。
「——どうやら僕らの意図しないところで真実に触れてしまったようだ。それにしてもあの媼……とんでもない贈り物をしてくれたな」
「それは……全て私の責任です。私がのうのうと寝ている間に——」
眉間に皺を寄せたインボルクは顔を背けて悪態をつき、シオンも同意するように掌で自身の顔を覆った。
「ほ、本当なの……?」
エデンは怖気立つ心を無理やり抑え込んで口を開く。
インボルクの語る全てをうそ偽りだと突き放してしまいたかった。
いつも通りのその場限りのうそだと、笑い飛ばしてしまうことができればどれほどよかっただろう。
だが心のどこかで彼の語った事情を冷静に受け止めている自分自身を感じていた。
それが真実なのだとすれば、今まで違和感を覚えていたことの多くに説明が付くからだ。
「少年も見たのだろう、あれを」
インボルクが忌まわしいものでも見るような視線を向けた先、そこには例の塊を包み込んで膨らんだ彼の肩掛けがある。
その中身に想像を巡らせ、エデンはびくりと身体を硬直させる。
「う」と小さな怯え声を漏らしてベルテインにしがみ付くマグメルを同情とも憐憫ともつかない視線で見やると、インボルクはその目線を再びエデンへと戻した。
「あれを見て少年も真実に至ったのだろう」
厳密に言えば違う。
あの赤黒い塊を目にしただけでは、そこにたどり着くことはできなかったに違いない。
あくまでマグメルの持つ力の一端に触れてアリマの記憶を垣間見たことで、真実を知り得たと言ってもいいだろう。
エデンはインボルクの問いに対する答えを保留したままマグメルを見据える。
彼女はどこまで知っているのだろう、己の身に宿す不思議な力のことをどこまで理解しているのだろう。
うつろな目をしてベルテインにしがみ付くそのそぶりから、彼女が平常でないことは明らかだ。
だがそれがアリマの過去を見たことによるものなのか、力の行使による混乱や消耗なのかはエデンにはわからなかった。
「話をまとめる。看板娘は村を守るために命を捧げた。その結果として村は守られた。——以上だ」
これ以上その件に触れることを厭うかのように、インボルクは早口で一方的にまくし立てる。
「そんな……ど、どうして——何でアリマが——」
なぜ彼女が自らの身を差し出さなければならなかったのだろう。
彼女一人が犠牲になることで一体何が変わるというのだろうか。
思いを巡らせるうち、ふと一つの考えがエデンの脳裏をよぎる。
頭の中で大きく膨らんでいく恐ろしい想像が、自身の思い違いであってほしいと強く願っていた。
「どうしてかと問われれば、それは——」
その思考を読んでかインボルクは皮肉に唇をゆがめ、エデンが最も聞きたくなかった答えを口にした。




