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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第三章  吟遊楽団(がくだん) 篇   第六節 「ただ少女の昇天に」
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第二百八十二話  追 復 (ついふく) Ⅰ

 夢から覚めたのだと思った。


 突如として異変を来したマグメル、そして彼女に触れられて同じように気を失った自身。

 悪い夢か何かを見ていたのだろうと置かれた状況を解釈し、ひとまず安堵のため息をつく。

 落ち着きを取り戻しつつある中で周囲を見回すエデンだったが、近くにマグメルの姿はない。

 彼女だけでなく、辺りにはシオンやシェアスールの面々の姿も見られなかった。



 変調を来したマグメルの様子は、夢の中の体験にしてはひどく現実味を帯びていた。

 一刻も早く彼女の無事を確かめたいと思い立って身を起こしたところで、エデンは事態が自身の考えているような状況にないことに気付く。

 上体を起こしたエデンの眼前に広がっていたのは、今朝方に旅立ったはずの蹄人の村の風景だった。

 何らかの事情があって、自身が気を失っている間に村まで引き返したのだろうか。

 それならば他の皆は今どこにいるのだろうと再び辺りに視線を巡らせても、シオンやシェアスールの面々、それに修理を済ませた箱車の姿も見当たらなかった。

 注意深く周囲を観察していると、エデンは目の前の光景に一つの違和感を覚える。

 異種によって破壊されたはずの煉瓦造りの門が、何ごともなかったかのように建て直されているのだ。

 村を発った際はいまだ修復の途中だったそれが、自身が気を失っている間の短い時間で建て直されたとは考えにくい。

 もしかすると想像以上に長く眠ってしまっていたのかもしれないと考え、エデンは激しい動揺を覚えていた。


 傷一つない門の下を通り、村の中へと足を進める。

 なぜ自身が一人この場に取り残されているかに覚えはないが、皆がいるとすれば林檎亭に違いない。

 慣れた道を進んで林檎亭の前庭へと踏み入ったエデンは、そこに箒を手にした一人の女の姿を認めた。

 白色の被毛と三日月のように湾曲した角、見慣れた前掛け姿で掃き掃除に精を出す岨人そわびとを目にし、エデンは安堵の胸をなで下ろしていた。


 自身らが発ったのと入れ替わりに彼女が村に戻ったのだとすれば、何と間の悪いことだろう。

 だがこうして再会を果たせたことは不幸中の幸いといえるかもしれない。

 もう村を脅かす異種はいないのだ。

 多少の語弊はある気がするが、皆で力を合わせて異種を討伐したと壮語しても今回だけは許されるような気がする。

 その不在の間、主人や村の住人たちから事情を聞かされているに違いない。

 剣士と身分を偽った自身が本当に異種を討ったと聞き、彼女はいたく驚いたに違いない。


アリマ——と、その名を呼ぼうとエデンは口を開いた。


『——!』


 声が出ない。

 どれだけ必死に絞り出そうとしても、言葉を発することができないのだ。

 すぐそこに彼女の姿があるにもかかわらず、その名を呼ぶことすらかなわない。

 ぼうぜんと立ち尽くすエデンだったが、掃き掃除の手を止めた岨人の女が振り返る様を目に留める。


『——、——』


 再度その名を呼ぼうと試みたところで、エデンは目の前の彼女の容姿にふと違和感を覚える。

 蹄人であり岨人であることは間違いなかったが、箒を手にした女は自身の知る看板娘とは別人だった。

 振り返った女はその視線を立ち尽くすエデンに向かって投げると、一人の少女の名を呼んだ。

 それはエデンが先ほどから何度も繰り返し口にしようとしていた名だった。


「——アリマ!」


 違う、自分はアリマではない。


『——、——!』


 左右に小さく頭を振って応じるエデンだったが、その視線の注がれる対象が自身ではないことに気付き始める。

 視線は徐々に下方に向かって下りていき、やがてその場に両膝を突いた女は何かを迎え入れるかのように両手を前方に向かって大きく広げた。

 反射的に後方を振り返ったエデンが目に留めたのは、女に向かって一直線に走り寄る小さな少女の姿だった。

 前掛け姿の岨人の女をそのまま小さくしたような姿形をした少女は、エデンの存在などまるで目に入っていないかのように無心で彼女に走り寄る。


『——、——!!』


 とっさに身をかわそうとしたときにはもう遅く、少女はエデンの足元まで迫っていた。

 このままではぶつかってしまうと予期し、エデンはその身体を受け止めるべくとっさに手を伸ばす。

 だが少女はエデンの脚の隙間を擦り抜けるようにして通り過ぎ、女に向かって勢いよく飛び付いた。


「ただいま、おかあさん!!」


「おかえり、アリマ」


 腕の中で破顔する少女に対し、前掛けの女はそう答えて微笑みかける。


「——あのね、あのね」と懸命に話しかける少女を愛おしげに見詰めると、女はその頭を優しくなでた。

「帰ったら——?」と尋ねる女に、少女は「てをあらう!」と誇らしげに答える。

 女は目を細めてうなずくと、少女の手を引いて宿の中へと入っていった。


『——!!』


 何度もその名を呼ぼうと試みるが、依然として声は出ない。

 去っていく二人の背を追って足を踏み出したエデンの前で、林檎亭の扉は無情にも閉ざされてしまった。

 その場に立ち尽くしたまま見上げる林檎亭の外観は自身の知るそれよりもはるかに真新しく、屋根には主人が雨漏り防止のために打ち付けていた木板も見られない。


 アリマによく似た女と、アリマによく似た少女。

 二人が何者なのかに気付くと同時に、エデンは「ここ」が自身のいるべき場所ではないことを悟る。

 夢を見ていると思いたかったが、それが夢などでないことにもうすうす感づいていた。

 加えて自身が何者かの有する不思議な——恐らくマグメルの力の影響を受けていることも。

 そして今こうして垣間見ているのが自身の知らないアリマの過去であることを、エデンは少しずつ理解し始めていた。


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