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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第三章  吟遊楽団(がくだん) 篇   第五節 「かくて戦起これり」
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第二百八十話   追 想 (ついそう) Ⅱ

 異種襲撃の日から二日後、一行は鍛冶屋の主人から箱車の修理が完了したとの知らせを受けた。

 エデンもその具合を確かめに向かうインボルクたちに同行する。

 鍛冶屋の主人は寝る間を惜しんで作業に精を出し、この短い間に破損した車輪だけでなく四輪全てに整備を施してくれていた。

 抵抗なく滑るように回転する車輪に、試しに牽いたベルテインからは感動の声が漏れていた。


 箱車の修理が済んだということは出発の準備が整ったことを意味する。

 エデンはインボルクたちと話し合い、翌日をその日と定めた。

 身体の具合が万全でないシオンのことが気掛かりではあったが、出発を遅らせることを誰よりも強く拒否したのは当の彼女だった。

 エデンはインボルクを伴い、翌日に村を発つ旨を婆様に伝える。

 急な出発ではあったが、謝礼の食料もその日のうちに準備が整う予定だと彼女は語った。

 出発に際して見送りは不要と何度も念を押したが、彼女は謝礼を手渡す役目は他の誰にも任せられないと言って譲らなかった。


 次いで宿の主人に対し、長く世話になった礼を伝える。

 宿賃を支払うと申し出ても彼は決して首を縦に振ろうとはしない。

 それどころか主人はアリマに歌を教えてくれたことに対し、楽団の面々に向かって深々と頭を下げて感謝の意を示した。


「今頃母親に教えてもらった歌を聞かせてやっていることでしょう」

 

 そう感慨深げに語る主人に、エデンは初めて彼の感傷的な一面を目にした気がした。

 意を決してもう一度アリマの行き先を尋ねてみるが、これに関しては主人は一貫して沈黙を貫く。

 アリマと母親の暮らすその場所も、この村と同様に外部からの接触を禁じられているのかもしれない。

 そう考えれば、執拗に問うことははばかられる気がした。


 夕食を済ませたエデンたちは村で過ごす最後の夜を迎える。

 シオンは皆より早く眠りに就いており、マグメルも早々に部屋に引っ込んでしまっている。

 エデンも翌日に備えて部屋に戻ろうと考えたが、一向に広間から動こうとしないインボルクたちを前にしばし逡巡する。


「最後にもう一杯飲みたい」とのインボルクの求めに応じ、主人は自慢の珈琲を入れ始める。

 立ち上がろうとしていたエデンは改めて椅子に腰を下ろし、彼らと食後の茶席を共にすることにした。

 こうして同じ時間を過ごしてはいるものの、彼らと自分たちの向かう先は真逆だ。

村を発てば別れのときもそう遠くはない。

 大切なことを教えてくれたインボルクと楽団の面々、今は少しでも彼らと一緒の時間を大切にしたかった。

 黒々とした液体の注がれた椀を手元に引き寄せ、軽く息を吹き掛けて冷ます。

 香りを楽しむでもなくひと口目をすすって感じたのは、その異様なまでの苦さだった。

 以前口にした際よりも格段に苦い気がする。

 楽団の皆の反応をうかがうために周囲を見回すが、皆顔色一つ変えずに珈琲をすすっている。

 見れば厨房の中で背を向けた主人も同じものを口に運んでいる。

 自身の勘違いだったのかもしれないと今一度口を付けるが、やはりその濃さと苦さは変わらない。

 エデンは卓に用意された豆乳を溢れる寸前まで注ぎ入れると、飲んで量が減る度に都度豆乳を椀に加えながら飲み干すのだった。



 蹄人の暮らす村を発ったエデンたちは、来る際に通った道筋を逆にたどる形で引き返す。

 山間の下り坂では、箱車が加速し過ぎないよう全員で力を合わせて進んだ。

 背中を箱車の前面に張り付けたベルテインが制動をかけつつ、エデンと他の団員たちは車体の左右に掛けた綱を引きながら坂を下る。

 行程は箱車を押して上り坂を進まなくてはならなかった往路よりもはるかに順調で、このままの歩みで進めば明日のうちには山道を抜けて街道に出られるだろうと車夫であるベルテインは目算を立てていた。


 夜になり一行は野営の準備に入る。

 平坦な場所を選んで箱車を止め、団員たちは協力して天幕を張る。

 エデンも見よう見まねで彼らの作業を手伝った。

 天幕の完成を見て取るや、サムハインは手早く火を起こして食事の準備を始める。

 水を張った鍋を火にかけ、出発に際して受け取った粽を人数分に切り分け始める。

 湯が沸くと昼のうちに下ごしらえを済ませてあった具材を放り込み、汁物の仕上がりを待った。


 団員たちは夕食が出来上がるまでの時間を思い思いに過ごす。

 ベルテインは箱車の車輪周りの具合を確かめ、ルグナサートは屋根に上って辺りの様子に耳を澄ませている。

 インボルクとマグメルはサムハインの指示を受け、たき付けに使うための小枝を拾い集めていた。

 自身も小枝拾いに加わろうと考えるエデンだったが、その前に一度箱車へと引き返す。

 ベルテインの背に負われる形で村を発って以降、シオンの姿は箱車の中の寝台の上にあった。

 常に眠り続けていたわけではない。

 何度か目覚めては自身の足で歩くと声高に主張する彼女だったが、その度にベルテインによって車内へと押し込められる。

 そんなやり取りを何度か繰り返すうち、シオンも素直に横になることを受け入れたのだった。


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