第二百七十八話 辞 去 (じきょ)
「――じゃあ、行くよ。いろいろありがとう」
「何をお言いだい、感謝するのはこっちだよ」
村の出入り口付近まで見送りに来てくれた婆様に対し、エデンは膝を突いて感謝の言葉を口にした。
答えてエデンの手を取ると、彼女は後方に控えた男たちに視線で合図を送る。
それを受けて見送りの人垣の中から歩み出た一人の男は、エデンに向かって幾つかの包みを差し出した。
「これが——」
「そうさ、礼の品だよ。どうか受け取っておくれ」
尋ねるエデンに対し、婆様はより強く手を握って答える。
皆で力を合わせて異種を討ち取ったあの夜、依頼を受けてやってきた斑人の戦士は報酬の半分をエデンたちに譲る旨を婆様に告げた。
彼の言葉通り、婆様は残された一匹分の異種殻を手にする権利がエデンたちにあることを認めた。
あれだけ大きな個体から取れる異種殻であれば、そこそこの量の金品と引き替えられるだろう。
しかしエデンたちも楽団の皆もあくまで旅の身で、売り買いをなりわいとしているわけではない。
大きな荷物は邪魔になるだけでなく、万が一の際に逃げ足を鈍らせることにもなりかねないと判断し、インボルクと相談した上でエデンはこの申し出を辞退した。
残された異種殻は村で使ってほしいと告げたエデンに、婆様は別の形で礼をすると約束してくれた。
それが男の手にする幾つかの包みのことなのだろう。
礼として希望する品を問われた際、エデンは食料を挙げていた。
糯米を使った粽はひと月以上も持つらしく、乾燥させた野菜と酢漬けの野菜も日持ちのする食材だと聞いている。
滞在費も支払うことなく、こうして礼の品まで受け取ることに若干の心苦しさを覚えなくもなかったが、異種殻を金銭を引き替えた際の差額を鑑みて厚意に甘えている部分もあった。
食料は旅をする以上欠かせないものであり、シェアスールの団員たちにとっても幾らあっても困るものではない。
たとえ自身が何ももらえなくても、彼らには相応の報酬を受け取ってほしいと思う。
それが自身のわがままで滞在を延ばしたことと、その結果として荒事を厭う彼らを戦いの場に引き出してしまったことに対する償いの一つだと思ったからだ。
笹の葉で包まれた粽が数十と酢漬けの小瓶が数本、そして他にも幾つかの包みをエデンは男から譲り受ける。
両手で抱え切れないほどの食料を受け取ったエデンに、婆様はさらに懐から取り出した一つの包みを差し出す。
それは笹や竹の皮などで包んだ他の食料とは異なり、鉋で薄く削がれた経木で丁寧に包まれていた。
食料を抱えたまま再び膝を突き、エデンは婆様から受け取った包みを荷物の一番上に乗せる。
「これって――」
「ねえねえ、それなあに!?」
エデンが包みの中身を尋ねようとしたその瞬間、突如現れたマグメルが横から口を挟む。
彼女は目敏くそれを見つけると、エデンの抱える食料の上に乗った包みに手を伸ばした。
「——少年! 何をしている! 名残惜しいのはわかるが僕はもう待ちくたびれている! 先に行ってしまうぞ!」
声を上げたのはインボルクだった。
シェアスールの団員たちはすでに準備を済ませ、修理を終えた箱車とともに村の出入り口で出発の時を待っている。
旅暮らしの中で別れにも慣れているのだろう、インボルクを始めとする団員たちの切り替えぶりはエデンにとって何とも素っ気なく映った。
「――あ! 待って待って!!」
マグメルは差し伸ばした手を途中で引っ込め、インボルクたちの元へ走る。
急に立ち止まって振り返ったと思うと、彼女は婆様に向かって「またね、おばあちゃん!」と別れの言葉を口にし、続けて「エデンも早く早く!」と声を上げた。
エデンは彼女の背中を目で追ったのち、退屈そうに自身を見据えるインボルクと、その傍らでベルテインの背に負われて眠るシオンを見やった。
「ありがとう、また来るよ」
謝礼の品々を抱えたまま婆様に向き直り、もう一度改めて別れを告げる。
彼女の後方に控える男たちに対しても軽く頭を下げると、エデンは見送りに集まった人々の中に見知った顔を探す。
最後にツェレンにあいさつをしておきたかったが、彼女の姿はそこにはなかった。
両手で荷物を抱えて箱車のもとへ歩み寄るエデンを、団員たちは待ちかねたように迎える。
エデンはサムハインと協力して受け取った食材の数々を車内に積み込んでいった。
その最上段に積まれた経木の包みを一瞥し、結局中身を聞きそびれてしまったことに思い至る。
中身を検めようと包みに手を伸ばしたところで、エデンは眠るシオンを寝台に横たえるベルテインの姿を目に留める。
身動ぎ一つせず寝息一つ立てず昏々と眠る様子に、その疲労と消耗の度合いが見て取れた。
箱車の外に出たエデンは自らの持ち場である轅の合間へ身を潜り込ませるベルテインの姿を認める。
下慣らしとばかりに左右の肩を順に回して勢いよく掌を合わせると、伸ばした両手で軛を握った。
インボルクはそんな彼を眺めて満足そうにうなずき、おもむろに口を開く。
「諸君、これにて遊歴の剣士とその供という肩書ともおさらばだ! 本日この時より、シェアスールは流浪の楽団へと立ち返る! それでは、いざ――」
「しゅっぱーつ!!」
満を持して号令を放たんとしたインボルクを遮り、声を上げたのは屋根の上のマグメルだった。
「何を勝手なことを! 団長は僕だぞ、勝手は謹みたまえよ!」
「いいじゃん、そんなの! 早い者勝ち!」
箱車の上から身を乗り出しながらマグメルは舌を出す。
インボルクは腹を立てた様子で彼女を見上げるが、すでに箱車はベルテインに牽かれて進み始めている。
不服そうな表情を浮かべながらも置いていかれないように歩き始めた彼の背中を眺め、エデンもその後に続いて歩き出した。
振り返って見たのは崩れ落ちて修復を待つ煉瓦造りの門と、いまだ立ち去ることなく自身らの旅立ちを見送る村の人々の姿だ。
見えているか見えていないかは定かではなかったが、立ち止まったエデンは彼らに向かってもう一度手を振った。




