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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第三章  吟遊楽団(がくだん) 篇   第五節 「かくて戦起これり」
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第二百七十七話  金 口 (きんこう) Ⅱ

「少年、君はいびつな存在だ」


 一転して真剣な表情を浮かべたインボルクが言う。


「自分が、いびつ……」


「そうだ。尽きぬ迷いを抱くと同時に――その手に無双の刃を握る。僕の知り得る限り、君の持つ剣はこの世に二つとない逸品だ。前言を撤回することになって恐縮だが、確かに迷いを抱いたまま握っていい代物じゃないと考えるのもまた間違っていない」


「……そう——だよね」


 答えてエデンは壁に立て掛けられたそれを見詰める。

 無謀で衝動的な行動にどんなときでも応えてくれ、自身と周囲の人々の危機を救ってくれた剣。

 本当に自身がその持ち手にふさわしいのかと何度も自問してきた。

 しかるべき誰かの手にあれば、より正しい用途で使ってもらえるのではないかと考えたことも一度や二度ではない。


「早合点するんじゃない、少年。僕はそのいびつさを踏まえた上で、君がそれを手にするべきだと思っている。迷いが人を人たらしめているように、そのいびつさが君を君たらしめているのさ。何ごとも中途半端は良くない。迷うと決めたなら、なりふり構わず最後の最後まで迷い抜いてみるのも一つの手だと僕は思うぞ」


「でも――」


 すがるように言って見上げるエデンの胸に、インボルクは握った拳を押し当てながら続ける。


「迷ったときは心に尋ねればいい。物見る目に、声聞く耳に、道具握る手に問い掛け続けて生きるんだ。幾度でも幾度でも迷いと答えを繰り返し、一歩ずつ君の答えに近づいていけばいい。言うなれば、そう――迷うことに迷いを抱くな――そんなところさ。それで件のそう――某君も納得してくれるんじゃないかな?」


 言ってインボルクは、彼らしいいたずらっぽい表情で目配せをする。


「それでだ。もしも君が迷い、悩み、苦しみ、疲れ果てて駄目になってしまったときは——僕らのところに来たまえ。シェアスールはいつでも君を歓迎するぞ。――そうだろう、閑人諸君?」


 サムハイン、ベルテイン、ルグナサートの三人も、インボルクの言葉に同意するように深くうなずく。

 エデンが感謝を伝えようとしたそのとき、インボルクは上半身を大きく後方にそらしたかと思うと、特大のくしゃみを一つ放つ。

 そこでエデンは自身を含めた一同がずぶ濡れのままであったことを思い出す。

 水浸しの衣服を着たままでいれば、身体も冷えようというものだ。


「風邪を引くといけません。皆、脱いでください」


 ルグナサートに促され、エデンたちはめいめい服を脱ぐ。

 木桶にくんだ水で衣服をすすぎ、脱いだ衣類をいつかと同じように物干し紐につるした。

 冷えた身体を温めるために近づいたのは風呂釜の火だ。

 一行は火の番をする主人の後方に扇形に整列して手をかざす。

 主人は何ごとかと後方を振り向くも、すぐに無言で火の番に戻った。


 下着一枚になった楽団の面々を横目に眺め、エデンは彼らと自身の身体の造りの差異を再認識する。

 被毛や羽毛に覆われた彼らの身体に比べ、素肌のむき出しになった自身の表皮の何と頼りないことか。

 見事な角や牙も、風を切る翼も持たなければ、体力や筋力は言うに及ばず、才智や知識でもはるかに劣る。

 もしもインボルクの言う通りに迷いながら生きたとして、自身が他の種以上の佳処を示すことができるのだろうかと不安になる。


 そんなことを考える中、ふと風呂場から聞こえてくるマグメルとシオンの騒がしい声がエデンの耳に留まる。

 そのやり取りから、以前と同じく無理矢理迫ろうとするマグメルからシオンが逃げ出そうとしているのだということが察せられる。

 たまさかのぞく形になってしまった二人の裸身が脳裏を過ぎり、続けてエデンは自身の知るもう一人の少女の姿を思い起こす。

 朝陽を受けて光る滝しぶきの向こうに見たローカの白い裸身がまぶたの裏に浮かぶ。

 想像の中の彼女が自身の視線に気付いて振り返ったような錯覚に陥り、エデンは思わず風呂場の窓から目をそらすようにして背を向けた。



 何もない荒野で目が覚めたあの日、自身は確かに一人だった。

 身一つで世界に放り出され、孤独に怯えていた。

 だが今は一人ではない。

 自身とよく似た姿と境遇を抱えて生きる少女たちがいることを知っている。

 それだけではない。

 こうして人として生きていられるのも、全ては自身を守ってくれる大切な人たちのおかげだ。

 毛の多寡も、角や牙の有無も、些細な違いでしかないと今ならば思える。

 異なる部分に目を向けるよりも、同じ世界に同じ命を持って生きている事実と、言葉と思いとを通い合わせられる幸福に感謝しよう。


 釜の火に手をかざし続ける楽団の面々に背を向け、裏庭へと足を進める。

 何気なく見上げた林檎の樹にアリマはどこで何をしているのだろうと思いをはせ、小さなくしゃみを一つした。


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