第二百七十四話 余 韵 (よいん) Ⅱ
「いつまで勝利に浸っているのだ、少年よ!」
「え、あ……う、うん!」
後方から放たれたインボルクの声に、エデンは我に返って振り返る。
「存分に浸ってくれと言いたいのもやまやまだが、この通り僕ら全員見るに堪えない様相をさらしている! 見てくれたまえよ、このぶざまな格好を!」
言って両手を広げてみせるや、インボルクは力なく座り込んでしまう。
彼一人だけではない。
サムハインもベルテインもルグナサートも、彼に続く形でその場に崩れ落ちてしまった。
「……ああ、これだから荒事は嫌なんだ! こんなことになるのなら少年も少女もうちのも放っておいて、さっさと逃げ出していればよかった!」
「インボルク、ありがとう――」
仰向けに倒れ込みながらそんな台詞をうそぶいてみせるインボルクと、背中を預け合うようにして座り込むシェアスールの団員たちを見下ろし、エデンは心からの感謝の言葉を口にする。
「――本当にありがとう……みんな」
「あたしにもでしょ! ね、エデン! あたしにもありがとうは?」
「うん……ありがとう、マグメル」
顔をのぞき込むようにして催促をするマグメルにも感謝の言葉で応えると、続けてエデンは彼女の見せた意外な手並みに賞賛を贈った。
「本当に驚いた。すごく強いんだね」
彼女が楽器や歌に堪能であることは知っていた。
だがまさか、あれほどの戦いの技術を有しているとは思いもしなかった。
軽業めいた身のこなしに加え、左右の手で双刀を自在に扱う技と正確な投擲の手腕。
長剣と短剣の違いはあるものの、刃物の扱いに関していえば自身などよりもよほど熟練した使い手であろうことが見て取れた。
「あ……あれね。あはは――」
感嘆の言葉をどこか居心地の悪そうな空笑いで受け流すと、マグメルは何かに気付いたように突然声を上げた。
「あ!! 短剣短剣!! そのまんまにしちゃってた、取ってこないと!」
そう叫ぶや否や異種の残骸に駆け寄ったマグメルは、その外皮の隙間に手を差し入れて透明の体液に塗れた短剣を引き抜いた。
次いで宙を舞ったもうひと振りを回収するためだろう、彼女は村の出入りに向かって走っていった。
「——どこどこ!? どっかいっちゃった!!」
膝を突いて道脇の草むらを探るマグメルを目にし、サムハインも彼女と一緒になって短剣を探し始める。
どこであんな技術を身に付けたのかを聞いておきたかったが、今すぐでなくてもいいだろうとも思う。
村を発つまでまだ幾らか猶予はあるはずだ。
明日か明後日か、また落ち着いたときに尋ねてみようとエデンは考える。
インボルクの皮肉ではないが、今日ぐらいは勝利の余韻に浸っていても罰は当たらないだろう。
自身も短剣探しに加わろうと一歩を踏み出したところで、エデンは傍らを通り過ぎていくシオンの後ろ姿を目に留める。
彼女は裾を払ってその場に屈み込むと、自らの打ち損じた矢を拾い上げた。
「シオン――」
矢柄を握ったまま固まってしまったかのように動かない彼女を前にし、エデンは恐る恐るその名を呼ぶ。
だがシオンは呼び掛けに答えることなく、じっと手の中の矢に視線を落としていた。
いやに長く感じられる数秒の間ののち、彼女はエデンに背を向けたまま呟くように口を開いた。
「私は感謝されるようなことをしていません。重要な局面で狙いを外し、貴方を危険にさらしてしまった。——いいえ、それ以前に異種の接近を許した挙句、血気はやって暴走する貴方に追い付くことすらできませんでした。それに……私よりも彼女の方が早く――」
「お嬢、ありましたよ!! ほら!!」
サムハインが探し出した短剣を掲げて叫べば、マグメルはうれしそうに彼に飛び付いている。
シオンの見据える先にあったのはそんな二人の姿だった。
「そんなことは――」
異種が村に接近していることを未然に察知できたのはシオンの有する力があってこそだ。
彼女こそが一番の功労者と言っても過言ではなく、自らを卑下する必要など全くない。
再び辺りに散った矢を拾い集め始める彼女に向かって口を開こうとしたそのとき、エデンは背中に婆様のものであろうしわがれた声を聞いた。
「剣士さま——」
その呼び名が自身を指すものと気付くまでに数秒の間を要した。
慌てて振り返って視線を下方に向けたところで、エデンはそこに婆様の姿を認める。
握っていた杖をその場に放り出すと、婆様は両の掌でエデンの手を取った。
村を救ったことに対する感謝の言葉を口にしたのち、婆様は「剣士さま、剣士さま」と繰り返し呟いてエデンの手を握り締め続ける。
結局最後まで、エデンは「本当に剣士なんかじゃない」とその呼び名を正すことができなかった。
シオンの思い詰めた様子も相まって、戦勝後の高揚と祝賀気分は瞬く間に薄れていく。
手を握って離そうとしない婆様に断りを入れると、エデンは皆に向かって宿に戻ることを提案した。
宿に戻ったエデンたちを迎えたのは林檎亭の主人だった。
どうやら事の次第は早くも村中に広まっているらしく、彼は深々と頭を下げて一行に感謝を伝える。
すでに時刻は深夜を回っていたが、主人は土汚れと異種の体液にまみれた一行を目にして風呂の準備を申し出てくれた。
風呂の沸き上がりを待つのももどかしいのか、インボルクたちは裏庭で勝手に水浴びを始めてしまう。
衣服を身に着けたまま木桶にくんだ水を浴びせ合う彼らに交じろうと、マグメル嬉々としても服を脱ぎかける。
慌てたシオンによってそれを押しとどめられた彼女は、納得いかなそうに口を尖らせていた。




