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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第三章  吟遊楽団(がくだん) 篇   第五節 「かくて戦起これり」
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第二百七十二話  終 止 (しゅうし)

「——エデンさん!! 頭を低く!!」


 三度剣を構えるエデンだったが、その決意は後方から聞こえてきたシオンの声を受けてまたもや行き場を失う。

 覚悟を決める度に時機を逃し続ける不体裁を演じる自身に、エデンは誰かが剣を取らせないようにしているのかと疑いを抱くほどだった。


 シオンの放った矢は屈み込んだエデンの頭頂部すれすれを通り過ぎ、異種に向かって一直線に飛んでいく。

 狙いは極めて正確だったが、矢はサムハインによって口腔内に押し込まれていた寸胴鍋によってはじかれてしまう。

 後方を振り返るエデンが見たのは、すでに新たな矢を番えていたシオンの姿だった。

 剥がれ落ちた外皮の隙間を狙って射られた第二射も狙いを外し、彼女は悔しさに耐えるように唇を噛んでいる。

 三射、四射立て続けに射掛けられた矢も、全て外皮によってはじかれてしまった。

 体調が万全ではないからだろう、エデンには彼女が集中力を欠いているように見受けられた。


 異種を押しとどめるシェアスールの団員たちの体力も当然無限ではなく、異種もまた従順なままというわけにはいかない。

 身体を大きく暴れさせたことでインボルクが振り払われ、サムハインも鍋とともにはじき飛ばされる。

 一人ベルテインだけが異種の動きを封じ込めていたが、目元を覆う被毛の隙間からのぞく表情と荒々しい息遣いから、体力の限界が近いであろうことが容易に見て取れた。

 残された最後の一本を番えたシオンも、弦を引き絞ったところで突如として身体をかしがせる。

 番えた矢は指からこぼれ落ち、彼女はその場に力なくくずおれた。


「シオン!!」


 名を呼んで駆け寄ろうとするエデンだったが、制するように手を差し出す彼女を前に足を止める。

 苦悶に顔をしかめながらも自身を真っすぐに見据える彼女の瞳を見詰め返すと、振り返ったエデンは今一度異種を見据える。

 ベルテイン一人ではその身体を押しとどめるのは限界で、彼は一歩また一歩と後ずさりを余儀なくされていた。


「自分が……!!」


 四度目は、決意を言葉にする。

 助けてくれる者はもうどこにもおらず、自身がやらなければここにいる皆を失ってしまうかもしれないのだ。

 剣を握る覚悟があるのかと聞かれたとして、「ある」と自信を持って答えることはできないかもしれない。

 何のために剣を取るのかと尋ねられても、明確な回答を返すこともできないだろう。

 戦うことの意味を真に理解しているのかと問われたならば、恐らくは沈黙してしまうに違いない。

 それでもラジャンから預かったこの剣が手の中にある限り、何度でも同じ選択をする。

 姿勢を低くして腰だめに剣を構え、エデンは異種に向かって走り出す。

 走りながら道辺に横たわったインボルクを横目に一瞥すれば、その表情がわずかに笑みをたたえているような気がした。


「うわあああああああああ――!!」


 怒号にも似た絶叫を上げ、エデンは異種に向かって駆ける。

 身を低く屈めてベルテインの股の間をくぐり抜け、そのまま異種の下面に身を滑り込ませる。

 そして腰だめにしていた剣の刃を異種の下面、人でいえば腹部辺りに相当するであろう位置を貫くように突き上げた。


「▄▂▁▆▄▇█▇█▄▆█▂▆▇█」


 四肢や外皮を刺し貫いただけでは仕留めることのできない異種だが、その身の奥深くまで刃物を突き通すことで絶命に至らしめられることは実体験をもって知っている。

 ならばその身の中心に最も近い場所を攻めるより他に取り得る手段はなかった。


「……っ!!」


 ベルテインが持ちこたえている間に、全身全霊の力を込めて剣を押し込んでいく。

 異種は身をよじって暴れようとするが、そうはさせじとベルテインがその巨躯をもって抱き留める。

 彼だけではない。

 起き上がったインボルクとサムハインも、必死の形相で異種の身体にしがみ付いていた。

 皆が自身の握った剣に――自身に最後の望みを託してくれていることを実感する。

 その力添えを無駄にしてはならないと、エデンは渾身の力をもって剣の柄を握る。

 異種がどれほど暴れようとも決して手を離すことなく、滴る体液が頭から降り注ごうとも目をそらすことなく、ただひたすらに刃を深く深く押し込み続ける。


 インボルクとサムハインが振り払われ、遂にはベルテインまでもが異種の激しい蹴り上げによってはじき飛ばされる。

 その身に取り付いているのが自身一人だけになったことをエデンは知る。


「エデンさん!!」

「エデン!!」


 そんな中で耳にしたのは二人の少女の声だった。

 まずはマグメルが無事だったことに安堵し、続いてシオンに対する負い目が湧き上がる。

 ここで自身が命を落としたならば、故郷を捨てて一緒に旅をするという道を選んでくれた彼女に申し訳が立たない。

 彼女ならば一人でも旅を続けるかもしれないが、先生ですら志半ばにして挫折した過酷な道のりを一人で歩ませるわけにはいかない。

 それに何よりここで自分が果てることは、ローカを探す旅を中途で投げ出すことと同義だ。

 どこかで自分を待っているかもしれない――待っていてくれているであろう彼女に会うという目的を果たすことなく命を落とせば、笑顔と涙で見送ってくれた大切な人たちに顔向けができない。

 誰にも見つけてもらえなかったローカを見つけるのは誰でもない自身の務めだ。

 もう一度彼女を見つけ、連れ帰ることができるのは自分しかいない。


 ここで死んではならないと強くこいねがう気持ちがエデンを奮い立たせる。

 剣の柄を握る手に一層の力を込め、その刃を暴れる異種の身の奥深くへと押し込んでいく。


「もう少し――! もう少しだ……!!」


「▇▆▄▂▆▇▆▇█▄▆█▂▁▂▆▇」


 自らを鼓舞するように声を上げて押し込むが、刀身の三分の一ほどを残して剣は進みを止めてしまう。

 異種の動きは確実に鈍り、弱って勢いを失ってきているのもわかる。

 もうひと息で仕留められるであろうことは剣を通じて感じられるものの、押しとどめる者を振り払った異種は最後の足がきとばかりに激しく身をよじらせていた。

 左右に振られながらも柄を握り続けるエデンだったが、掌ににじむ汗と痺れから剣を手放しそうになる。

 掌の皮がむけ、滴り落ちる血が柄を伝う。

 それでも根比べとばかりに、残された力を絞り尽くして剣を握り続けた。


「あああああああああ――!!」


 かれるほどに声を張り上げても、どうにもならないものはどうにもならない。

 身体は限界を訴え、握った柄が両掌を擦り抜けていくのがわかる。

 もうこれ以上は持たない――エデンが諦めかけたその瞬間、刃越しに感じていた異種の律動がにわかにやんだ。

 確たる手応えがあったわけではなく、自身の剣によって絶息せしめたという実感もない。

 にもかかわらず寸前まで身を暴れさせていた異種は、突如として動きを停止させていた。


「▆▄▂▆▇█▆▇█▄▂▁▁▂▁▁」


「――あ……」


 剣の柄から手を離すと同時に、エデンは脱力したようにその場にへたり込む。

 身体と精神を弛緩させ、ただぼうぜんと異種を見上げる。

 頭上でその巨体がぐらりと傾くところのを認めたが、逃げるための気力は残されていなかった。


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