第二百七十一話 協 奏 (きょうそう)
迫る異種に剣の切っ先を向けていたエデンは、ふと何かが自身の肩を押す感覚を覚える。
その手つきは張り詰めた緊張を解くかのように優しく、それでいて強引に道を開けさせる力強さを併せ持っていた。
中央を譲るようにして道脇に倒れ込んだエデンが見上げたのは、自身の傍らを通り過ぎて異種の前へ進み出るベルテインの姿だった。
その進路をふさぐように立った彼は、姿勢を低くして両手を前方に突き出した。
次の瞬間、辺りに轟雷にも似た衝撃音が響き渡る。
ベルテインがその全身をもって突進する異種を受け止めたのだ。
巨体と巨体がぶつかりあう様は、正に肉弾相打つといった様相だった。
「ベルテイン――」
その様をあっけに取られた表情で見上げ、エデンは彼の名を呼んだ。
まるで力比べでもするかのように組み合うベルテインと異種を前にして、ようやく目の前で続け様に起きた出来事に思考が追い付いてくる。
マグメルに手を引かれて走り出したときから今このときまで、ほんの数瞬の間のことがエデンにはひどく長い時間のように感じられていた。
しかし安堵するにはまだ早いことを目の前の状況が告げている。
並びの良い歯を噛み締めて異種の猛進に耐えるベルテインだったが、その巨体が押され始めているのが見て取れたからだ。
力の限りこらえるも、徐々にその身体は低く沈み込んでいく。
異種によって組み伏せられてしまうのも時間の問題かに思われた。
「ぐぬぬぬ……!!」
うめき声を漏らして膝を折るベルテインを前に、エデンは手にした剣を握り直す。
震える足を叱咤して立ち上がり、異種に立ち向かおうとしたそのときだった。
「ええええええい!! のけのけ、のきたまえ!!」
「んがああああああ!! こんの野郎!!」
すっとんきょうな声を上げながら後方から現れた二つの影がエデンの脇を通り過ぎていく。
インボルクは手にした物干し竿のようなもので異種の頭部を突き、サムハインは両手で掲げた金属製の寸胴鍋をたたき付けている。
「だから楽器よりも重い物は持ちたくないと言っているだろう!!」
「いいから黙って突いてくださいよ!! ほら、こういう塩梅でさ!!」
愚痴を吐きつつもインボルクが果敢に物干し竿を突き出せば、サムハインは取っ手を握った鍋で異種を殴り付ける。
「この通りやっている! ああ、何たる災難! なぜこの僕がこんな目に!!」
「うるさい人だなあ!! 御託はいいって毎度毎度言ってるでしょう!!」
この窮状にあってなお、インボルクとサムハインは軽口の応酬を繰り返している。
竿と鍋で異種を迎え撃つのは難しく見えたが、その気をそらす役割は果たせたようだった。
異種に押し込まれて今にも膝を突きそうだったベルテインが崩れた体勢を立て直したのだ。
白い歯をむき出しにした彼は、二人のの無為なやり取りを豪快に笑い飛ばしでもするかのように激しい雄叫びを上げて異種を押し返した。
「ぬおおおおおおおお!!」
一転して巻き返しに出るベルテインに追随する形で、インボルクとサムハインの二人も手を休めることなく攻めを継続する。
インボルクは口腔を抉じ開けるように竿をねじ込み、サムハインは鍋を使ってひたすらに異種を殴り続けている。
「もう疲れてしまったぞ!! どうだい……!? 僕は休ませてもらって後は君たちに任せたいのだが——!!」
折れてしまった物干し竿を放り出すと、インボルクはベルテインと同じように自身の身体を使って異種を食い止める。
その軽口とは裏腹に果敢に身を投げ出す彼に対し、サムハインはこじ開けられた口腔に鍋の底を押し込みながら言う。
「莫迦なこと言いなさんなって!! 旦那だけいち抜けたなんて許しやしませんよ!! こっちはあんただから付いてきてるんだ!!」
「……ふん! 殊勝なことを言ってくれる! いつもそうならかわいげもあろうというものだ!! ——ならば結構! とことん付き合ってもらおうじゃないか!!」
サムハインの言葉を受けたインボルクは、さも当然と言わんばかりの皮肉な笑みで応じる。
答えて異種を押し返す両腕に力を込めるインボルクだったが、ややあって真顔に戻り、眉間に皺を寄せながら呟いた。
「それで——ここからどうするんだい?」
「……はあ!?」
異種の口腔に鍋を押し込みながら、サムハインが調子外れの声を上げる。
「そいつは何も考えなしってことですかい!?」
「こうするより他に手段がなかったんだ! ならば君が何か策を出したまえよ!!」
「ば、莫迦ですか、あんたは――!? この土壇場でそんなうまい手が浮かぶわけないでしょうに!! 勇ましく突っ込んでいくもんだから、こっちはてっきり妙案でもあるかと思うでしょう!!」
インボルクとサムハインは異種を押し返しながら再び問答めいたやり取りを始めてしまう。
そんな彼らをぼうぜんと眺めていたエデンだったが、今度こそと意を決して剣の柄を握り締める。
幾ら行く手を遮ろうとも動き封じ込めようとも、戦うための武器がなければ異種を討つことは不可能だろう。
頼みの異種狩りの戦士が気を失ってしまっている以上、自分たちでこの場を切り抜けなければならないことは明白だ。
もしもこの場に窮状を打開できる手立てがあるとすれば、それは異種の外皮をたやすく貫く力を持ったラジャンの剣だけだ。




