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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第三章  吟遊楽団(がくだん) 篇   第五節 「かくて戦起これり」
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第二百六十九話  曲 技 (きょくぎ)

「う、うわあっ——!!」


 男に気を取られ、エデンは異種の動きの前兆を見逃していた。

 剣を突き立てた側の前肢が勢いよく振り上げられたことにより、エデンの身体は宙を舞っていた。

 抜け落ちた剣とともに高く跳ね上げられたエデンは、大地に強かに身体を打ち付ける。


「——ど、どこに……」


 呼吸のできない苦しさにもだえながら、飛んでいった剣の行方を辺りに探す。

 手を伸ばして拾い上げた剣を杖代わりにして立ち上がると、エデンはにらみ付けるようにして異種を見据えた。


 その直後、斑模様を背負った男が突如として駆け出した。

 低いうなり声を上げたかと思うと、手近な樹木の幹を飛び移るようにして高々と跳躍する。

 空中から異種に躍り掛かった男はむき出しにした爪をその外皮の隙間に食い込ませ、口を大きく開け放って牙を突き立てた。

 引き剥がそうと身体を暴れさせる異種に対し、彼もまた離れまいと必死に取り付いていた。


「つ、強い……」


 男の奮闘ぶりを目にして呟くとともに、エデンはいつか目にした彪人たちと異種との戦いを思い出していた。

 ラジャン率いる彪人の戦士たち、彼らはその比類なき武力をもって鉱山に現れた異種を討ち取った。

 目の前で激しい戦いを見せる男の姿は、そのときの彪人たちの姿とよく似ている。

 ほとばしる凶暴性をあらわにし、闘争本能と破壊衝動の赴くままに圧倒的な力を振るう彪人たちと。

 その際にエデンが感じたのは、頼もしさや安心感とは真逆の感情だった。

 共に過ごした日々の姿からは想像も付かない変貌ぶりに、言い知れぬ戦慄を抱いた。

 しかしそれも戦う力を持たない人々を守るためと知って、自身の不明を恥じる。

 そう思えば、目を血走らせ、うなりを上げ、唾液を滴らせながら異種に組み付く目の前の男にも、どうして恐ろしさを覚える必要があるだろう。


 剣を構えて男と異種の戦いを見据えるエデンだったが、すぐに予断を許さぬ状況であることを見て取る。

 戦いが長引くにつれ、形勢は負傷の度合いの強い男の不利に傾き始めていた。


「ま、まずい、このままじゃ……!!」


 自身が加勢することで状況が好転するという確証もない。

 それどころか足を引っ張る恐れや、その戦いの邪魔をしてしまう可能性も否めない。

 それでも何もせず黙って見ているだけよりはと、エデンは手にした剣の柄を両手で強く握り締めた。

 構えた剣を振りかぶって駆け出そうとしたその瞬間、異種が一際大きく身を振るったことにより男の身体が跳ね飛ばされる。

 樹木の幹に激しくたたき付けられ、気を失った男は再び動かなくなってしまった。


「あ――」


 男をひと飲みにしようとしているのだろうか、異種が口腔を大きく開け放とうとしているのが見て取れる。

 今一度手にした剣と異種の後ろ姿を見比べた結果、エデンの取ったのは全く別の手段だった。

 たとえ剣を突き立てたとしても、自身の不十分な力と拙い技ではその外皮をうがつことは不可能だと主観的に判断する。

 

「——こっちだ!!」


 その注意をそらすべく、エデンは声を上げる。

 剣を頭上高く振り上げ、いつかと同じようにあらん限りの大声で叫んでいた。


「そっちじゃない!! こっちだっ!!」


 声を聞き留めたのかどうかはわからない。

 だが男に向かってはい進んでいた異種はその動きを止めると、身体をひねっておもむろにエデンに向き直る。

 目を持たない異種ではあるが、その標的が男から自身へと移る瞬間をエデンは肌で感じていた。

 挑発めいた行為を取ったのは他ならぬ自身だ。

 だが奈落へと続く深淵を思わせるうつろな口腔を前にし、エデンは先ほどまでの決意や覚悟が一気に吹き飛ぶような感覚を覚える。


 恐怖にすくんで硬直した身体では異種に立ち向かうことはおろか、その場から逃げ去ることすらままならない。

 手足を襲う震えも尋常ではなく、今にも握った剣を取り落としそうなほどだった。


「ぐっ……!!」


 鉱山でも自由市場でも、異種を前に恐怖に怯えていた事実は同じだ。

 だが必死に心を鼓舞すれば、精神も肉体も自身の意に応えてくれた。

 それが今は自分自身の身体さえ御し得ずにいる。

 動け動けと繰り返し自らを叱咤するが、その場から一歩も動けずにいるうちに異種はもう眼前まで近づいていた。


 このままでは男の代わりにひと飲みにされるのは自身だ。

 そんな恐ろしい予感が脳裏をよぎった瞬間、エデンは自らの傍らを通り過ぎて宙を舞う何者かの影を目の端で捉えていた。


「——うりゃっ!!」


 それが異種に対して飛び蹴りを放つマグメルであると見て取ったときには、もんどりを打った彼女は音もなく着地していた。

 その軽い身体から放たれた蹴りは、当然ながら異種に対し効果的な一撃とはならなかった。

 だが着地と同時に両手を腰に回したと思うと、マグメルは二振りの刃物を鞘から抜き放つ。

 そして左右の手に握った短剣をもって、攻め手を途切れさせることなく立て続けに連撃を繰り出した。

 彼女にはいささか大き過ぎるのではないかと思わせる二振りの短剣を器用に扱い、マグメルは流れるような動作で攻め続ける。


 刃をはじく硬質な外皮を前に攻撃の手を止めて後方に飛びすさった彼女は、痛みと痺れを和らげでもするかのように短剣を握った手を振った。


「……かったーい!! いったーい!!」


 口ぶりは普段の彼女と変わらなかったが、瞳に宿る鋭い光はいつもの彼女とは明らかに別人だった。

 エデンはその頬に、かすかな震えと伝い落ちる一筋の汗を認めていた。

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