第二百六十六話 吐 露 (とろ) Ⅱ
「もどったんだね、おかえり」
窓際に立って外を眺めていたいたマグメルは、エデンたちの帰りに気付いて振り返る。
出迎えるように部屋の中央辺りまで小走りでやって来ると、彼女はシオンの顔を瞬きもせず食い入るように見詰めた。
「な……何ですか。また眼鏡がずれているとでも?」
「——ううん」
両手で顔を挟み込むようにして眼鏡の位置を正す少年に対し、マグメルは小さく左右に首を振りながらその脇を擦り抜ける。
入口側の寝台にあおむけに倒れ込んだマグメルは、天井を見上げて面白くなさそうな口調で言った。
「なんかさ、みんなおかしいよ。インボルクたちもずーっとあればっかりだし。いつもならすぐあきて放り出しちゃうのにさ、なんかむりやり入れこもうとしてるみたい」
寝転んだ彼女は両手足を上方に突き上げ、ばたばたと小刻みに揺らし始める。
「さっきね、聞いてみたの。もったいつけるようなまねしないで教えてくれてもいいじゃんって。そしたらね、この村を出るときに全部教える——だってさ。なんかあたしだけのけものにされてるみたいで……やな感じ!」
振動を止めたかと思うと、不意に跳び上がった彼女は身体をひねって胡坐の姿勢を取る。
「——シオン、教えて。あたしとエデンだけが知らないこと。もういいでしょ?」
「ですから以前も申し上げた通り、貴女はインボルクさんの口から——」
「教えてくれないんだもん! だからシオンにおねがいしてるの!」
答えて視線をそらそうとするシオンだったが、マグメルは頑として考えを曲げようとしない。
その表情と口調からは、どうしても知りたいという強い意志が伝わってくる。
「そ、その——マグメル」
名を呼んで彼女の前まで進み出ると、エデンは静かに口を開いた。
「この村を発つときに全部教えてくれるってシオンは約束してくれたんだ。だから——自分はそれまで待とうって思ってる」
「そんな待てない! あたしはすぐに知りたいの! エデンは平気? あたしたちだけなかまはずれにされてるんだよ!?」
「平気か平気じゃないかって聞かれたら……平気じゃないのかもしれない」
躍起になる彼女に対し、エデンは努めて冷静を装って言葉を続ける。
それはうそ偽りのないエデンの本心だ。
マグメルの言う通り、爪弾きにされたような疎外感を覚えているのも事実だからだ。
だがシオンやインボルクが秘密を隠し立てしたまま済まそうとしているとはどうしても思えない。
むしろその明かしどころを図りあぐねているようにさえ思えてならない。
「でも——知るべきことは、必ず知るときがくるって思うんだ。知らなくちゃいけないことなら……なおさらだよ。だから自分は——今はシオンを信じて待つよ」
「……んー!! でもー!」
エデンが自身に言い聞かせるように口にすると、マグメルはうなるように言って再び寝転がってしまった。
続いてエデンは寝台の上のマグメルから傍らのシオンに視線を移す。
思い込みや決め付けのない状態で世界に触れたいと願ったのは他ならぬ自身だ。
シオンもそれを受け入れ、応えてくれようとしている。
そこに容易に言葉にし難い何かがあったとして、シオンがそれを知らせるのが今ではないと判断したのであれば、彼女の意思決定に任せたいと思う気持ちもある。
今知るべきではないのだとしたら、理由は彼女にではなく受け入れるに足りないと判じられた自分自身の側にあるはずだからだ。
「今はまだみんなに頼ってばかりだけど……いつかは自分で考えて、自分で決められるようになりたいって思ってる。そのときにはシオンにも——いつ話してもいい、全部伝えても構わない、そういうふうに思ってもらえるぐらいに強くなれてるといいなって——」
そこまで話したところで、エデンはマグメルの表情が浮かないことに気付く。
全く見当外れのことを話していたのではないかと、探りを入れるように尋ねてみる。
「——そういうことじゃなくて……?」
「そういうことじゃなくて!!」
エデンの言葉に重ねるようにして言い切ると、マグメルは機嫌を損ねたかのように枕に顔をうずめる。
「……もういい。ごはんまでねるから時間になったら起こして」
「——う、うん。わかった」
「じゃあ……」
マグメルは枕に顔を伏せたままくぐもった声で呟くと、顔だけをシオンに向けて言葉を続けた。
「……話していいってなったらちゃんと教えて。あとインボルクにもそう言っといて」
一方的に言い捨てたマグメルは、身を隠すように布団を頭からかぶってしまった。
「約束します」
マグメルを見下ろしながらシオンは答える。
続けて窓側の寝台に腰を下ろしたシオンは、その場に立ち尽くすエデンに向かって口を開いた。
「私も、少しだけ休みます。少しだけ——」
言うが早いか彼女は緊張の糸が切れたように寝台に倒れ込んでしまう。
エデンは一瞬肝を潰したが、規則正しく上下する身体を認めて安堵を覚える。
無理のある姿勢で眠ってしまった彼女を寝台の上に正しく寝かせ、布団をかけ直した。
寝台の上の二人の少女を順に見やったのち、エデンは部屋の外へ出る。
広間では相変わらずシェアスールの団員たちが盤を挟んで向き合っていた。
無理やり入れ込んでいるような気がするとはマグメルの言だったが、まだ付き合いの浅いエデンには分かる由もない。
しかし言われてみればあれほど音楽を愛する彼らが、楽器を手にしようともせず遊戯に没頭している光景に違和感を覚えなくもなかった。
二階の廊下の手すりに身体を預けながら一階を見下ろす。
盤を挟んでいるのはインボルクとルグナサートで、どちらが劣勢に回っているのかは離れていてもわかる。
盲目であるのをいいことに対戦相手を目の前にして不正を働こうとするインボルクだったが、気配で察したルグナサートに「手癖が悪いですよ」とたしなめられていた。
そうしてしばらく二階の廊下から団員たちの対局を眺めたのち、エデンは再び自室に戻る。
窓際の文机に向かって外を眺めたり、無意味に部屋の中を歩き回ったり、自身の荷物を探ったりなどした結果、最終的に壁際の定位置に落ち着いて目を閉じた。
特段眠気があったわけではなく、シオンのように精神を擦り減らしていたわけでもなかった。
次に目覚めたときには全てが終わっていてくれるだろうか。
早く真実の正体を知って不透明で歯がゆい気持ちと決別したい、そんな思いが眠りを呼び込んだのかもしれない。
解決を時間に委ね、エデンは眠りに落ちる。




