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百从(ひゃくじゅう)のエデン  作者: 葦田野 佑
第三章  吟遊楽団(がくだん) 篇   第四節 「林檎亭事件」
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第二百六十四話  噪 音 (そうおん)

「……ここでいいの?」


「問題ありません。ただし——」


 眼前にそびえる煉瓦造りの門扉を見上げながらシオンは答える。


「——少々無理をします。骨を拾ってくださいとは言いませんが、前後不覚に陥るようであれば……私のことを頼みます」


 シオンはそう言って門の脇の木立へと足を踏み入れる。

 エデンもその後に続き、ひざまずく彼女の背後に回ってそっとその肩に触れた。


「こ、これで大丈夫かな……?」


「はい。確かな裏付けはありませんが、そうして触れていてもらえれば、いつかと同じように貴方にも伝わるかと思います」


「——う、うん」


 肩に触れた手に意識を集中させつつ、エデンは彼女の口にしたいつかのことを思い出す。

 あれは今から数か月前、自由市場での出来事だった。

 シオンはその不思議な力を、姿をくらましたローカの行方を探すために使ってくれようとした。

 行使に伴う反動を受けて均衡を崩しそうになる彼女を受け止めた瞬間、エデンはその力の一端が流れ込んでくる感覚を覚えた。

一条の光も存在しない暗闇の中に突き落とされたような状況に恐慌を来しそうになったが、そこから引き戻してくれたのもまたシオンだった。

 彼女は今からその有する力をもって、異種の現在地を探ろうとしている。

 あのときと同じように自身がその知覚を分かち合うことで、ほんのわずかでも彼女の負担を軽減できるのであれば選択の余地はない。


「それでは——いきます」


 シオンがそう口にした瞬間、以前と同じくエデンの周囲は突として暗闇に閉ざされた。

 底のない沼に引きずり込まれるような、真っ逆さまにどこまでも落ち続けていくような感覚はたとえ二回目といえども慣れるものではない。

 身体という形を失ってむき出しにされた自分自身という存在が、直接外界に触れているような感覚を覚える。

 地に足の付かない闇の中で寄る辺を求めて漂うことは耐え難い苦痛だ。

 シオンが見つけてくれなければこのまま闇に溶け込んで跡形もなく消え失せてしまうのではないかという恐れに、形を失った身体がすくむ。


 そんな中でエデンを正気に引き戻したのは、やはり他でもないシオンの存在だった。

 自身が決して一人ではない、この暗闇のどこかに必ず彼女がいるという事実がエデンを我に返らせる。

 同時にたった一人で闇に身を置き続けてきた彼女の孤独たるやいかほどのものかと、憫察と敬服を禁じ得なかった。

 わずかでもその力になりたいと改めて願うと同時に、周囲に広がる闇の中に徐々に形が刻まれていく。

 それが村の内側に広く存在する建物や村を囲む森の木立の輪郭だと気付くのには、さほど時間は要しなかった。

 エデンの見解を肯定するように『そうです』とどこかからかシオンの声が聞こえてくる。


『このまま範囲を広げていきますので貴方も付いてきてください』


 声が頭の中に響くや否や、彼女の言った通り周囲の景色は外側に向かって着実に形を成していく。

 暗闇の中に形作られていくのは、物体の外形を結ぶ線だけで構成されたもう一つの世界だ。

 エデンは必死に異種の姿を探し求めるが、なかなかその姿を捉えることはできない。

 シオンも思い通りに事が運ばないことに気持ちが急くのか、勇み立つように外側に向かって力の及ぶ範囲を広げ続けた。


 そうして力を行使し続ける彼女だったが、エデンは突如として周囲を包む闇がゆがむ瞬間を感じ取る。

 嘔吐感を伴う激しい頭痛が襲い来るとともに、ゆがんだ世界は闇に吸い込まれるかのようにはじけて消えた。


 こめかみを押さえて頭痛をこらえながら、エデンは自身の居場所が門の近くの木立の合間であることを見て取る。

 戻ってきたと気付くと同時にエデンが目に留めたのは、眼前で力なく項垂れるシオンの姿だった。

 先ほどまで膝立ちの状態だった彼女は、両脛を外側に開いた割座の姿勢で前傾していた。


「——シオン!!」


 その前面に回り込んで彼女の名を呼ぶ。

 憔悴してはいるものの気は失っていない様子で、彼女はエデンの呼び掛けに目を閉じたまま小さな点頭をもって応える。


「……大丈夫です。——私は平気ですから」


 調子を整えるように何度か荒い呼吸を繰り返したのち、彼女は自身の胸に手を添えて深呼吸をした。


「あ……」


「どうぞお気遣いなく」


 その鼻孔から赤いものが筋を引いて伝うのを認め、エデンは慌てて声を上げる。

 何か拭うものはないかと衣嚢を探る間に、シオンは自身で取り出した手拭いを鼻にあてがった。

 掌で覆い込むようにして鼻を押さえ続けた彼女は、出血が止まるのを待って口を開く。


「戻りましょう」


「……う、うん」


 シオンは片手で鼻を覆ったまま、もう一方の手を樹の幹に添えて立ち上がる。

 エデンが身を屈める身ぶりで肩を貸すことを提案すると、彼女は拒む様子を見せることなく自らの身体を預ける。

 気丈な彼女が弱みを見せるのは珍しく、その疲弊の度合いも相当なのだろうと想像にやすかった。


 シオンの身体を支えながら、エデンは宿に向かって歩を進める。

 結果として異種の居所を見つけ出すには至らなかったが、少なくとも村の近くにまで異種が迫ってはいないという事実は知ることができた。

 シオンに強いた負担は小さくなかったが、十分な成果を得られたといってもいいだろう。


「ありがとうございます。……この辺りで結構です」


 宿の近くまで進んだところで、シオンは礼を言ってエデンから離れる。

 いまだおぼつかない足付きではあったが、彼女はエデンから顔を背けるようにして一人先へと歩き始める。

 倒れそうになった際にはいつでも支えられるよう、エデンは傍らのシオンに気を配りつつ歩を進めた。



「シオン……?」


 隣を歩いていたシオンが急に立ち止まり、じっと前方を見据えている。

 一歩遅れてその視線の先を追ったエデンが認めたのは、見覚えのある一人の少女の姿だった。


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