第二百六十一話 遊 戯 (ゆうぎ)
寝台の上に腰掛けたまましばらく時間が過ぎるのを待っていたエデンだったが、シオンの眠りを邪魔しないようにと足音を忍ばせて部屋を出る。
再び広間へと戻ったエデンが見たのは、盤を使った遊戯のようなものに興じるシェアスールの団員たちの姿だった。
相対しているのはインボルクとマグメルで、残りの三人は二人を囲む形で勝負を観戦している。
盤に変化が起きる度、ベルテインは状況を逐一ルグナサートに伝えていた。
二人が行っているのは、角や交点に幾つかの点を有する格子の刻まれた盤に手持ちの石を置くことで勝敗を競う遊戯のようだ。
白と黒に塗り分けられた石を盤上にうがたれた点に配置したり動かしたりしながら、三つ並べることで役を成立させていくという内容であることが、規則を知らないエデンにも何となくではあったがわかった。
見たところ白のマグメルの手番であり、彼女は渋い顔で食い入るように盤上を見据えていた。
一方で黒のインボルクは得意げな表情で手の中の石をもてあそんでいる。
盤の上に並べられた黒の石の状況からも、インボルクのほうが圧倒的に優勢であることが見て取れた。
「こいつは決まりでさあ。往生際が悪いですよ、お嬢」
「まだ負けって決まったわけじゃないんだから!」
諭すような物言いで横から口を出すサムハインに対し、マグメルは盤を見据えたまま言い返す。
彼女は勢いに任せて石を移動させるが、その一手を受けたインボルクは口元をゆがめて勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「これで——詰みだな」
得意げに言ってインボルクは自身の石を動かす。
黒の石が三つ並んだことで、マグメル持ち石である白が一つ取り除かれる。
動かせる石のないマグメルの手番を飛ばして追加で一つ石を除いた結果、盤上に配された白の石が役の成立に足りない数になったことで勝敗は決した。
「——んー!! もう一回! もう一回やる!!」
「勝負を急ぎすぎなのさ。それに考えていることが顔に出過ぎだ」
マグメルはいら立ったように言うが、インボルクは取り合うそぶりを見せない。
彼はそう言って肩をすくめてみせたのち、卓のそばに立って二人の対決を眺めていたエデンに向かって声を掛けた。
「どうだい、少年? 君もひと勝負」
「じ、自分——!? や、やったことないし、今回は見るだけにしておくよ」
二人による一戦を見たことにより、おおよその規則や勝利条件、石の動かし方などはある程度見当が付いていた。
気が乗らない原因は別にあったが、エデンは遊戯への理解不足を理由に誘いを断る。
「そうか、残念だよ」
短く答えたインボルクはそれ以上無理強いをするようなこともなく、マグメルの再戦要求に応じた。
白黒の石と先攻後攻の手番を入れ替えての勝負が始まる。
卓の傍らに立って勝敗を見守っていたエデンは、マグメルを評して言った先ほどのインボルクの言葉の意味に気付く。
開始直後から役の成立を急ぎ過ぎるあまり、彼女は逆に弱点をさらして付け込む隙を与える形になってしまっているのだ。
序盤は大局を見据え、文字通り布石を打っておくことが肝要なのかもしれないとエデンは考える。
結局二人の対局はそこから数戦、負け続けでいら立ちが最高潮に達したマグメルが盤をひっくり返すまで続いたのだった。
インボルクとマグメルの勝負を観戦したのち、エデンは一度二階の自室に戻ってみることにした。
部屋には布団から出て文机に向かうシオンの姿があった。
いまだ食事に手を付けていない様子だったが、それでも起きているところを見ることができてエデンは内心で胸をなで下ろしていた。
「ご心配をお掛けしました」
戸口近くで立ち止まっていたエデンを見据えてそう口にし、彼女は自らの前に置かれた皿にかぶせられた布巾を取り払う。
水飲みの中身を喉を鳴らして一気に飲み干すと、続けておぼつない手つきで突匙を握った。
「——いただきます」
言って彼女は手にした突匙で皿の中の葉物を突き刺す。
持ち上げたそれを口に運ぼうとして途中で手を止め、いまだ棒立ち状態のエデンを横目に見やった。
「……いつまでそうして見ているつもりですか」
「あ……! ご、ごめん!」
エデンは慌てて顔の前で手を振り、彼女に背を向けた。
わずかの間を置いて恐る恐る振り返ったエデンは文机まで歩み寄り、空になった水飲みを取り上げる。
「水、お代わり——持ってくるよ」
「ありがとうございます」
葉物の刺さった突匙を手にしたシオンの感謝の言葉を背に受けながら、エデンは部屋を出る。
一階の広間では、今度はインボルクとサムハインが盤を挟んで向き合っていた。
「待て待て待て! そんな手は聞いていないぞ!」
「待ったはなし! 勝負の世界は非情でさあ!!」
インボルクが焦りをあらわにして言えば、サムハインは意地悪げな含み笑いを漏らして答える。
盤を見ずとも、その遣り取りからどちらに分があるのかは一目瞭然だった。
遊戯に興じるシェアスールの団員たちの脇を通り抜け、エデンは厨房に向かう。
「水、もらうね」
珈琲をすする主人の背に声を掛け、エデンは手にした水飲みに水差しの中身を注いだ。
その日の団員たちは、組み合わせを変えつつ夕方までひたすらに対局を繰り返していた。
エデンは彼らの勝負を眺めたり、手持ち無沙汰に裏庭を散策したりなどしながら過ごす。
一緒に遊戯の観戦をしないかと提案したが、結局シオンは夕食まで部屋から出てくることはなかった。
主人が夕食の準備を始めたところを見計らって手伝いを買って出るが、彼はその申し出を丁重に固辞してみせる。
「どうぞお客さまらしく座ってらしてください」
その口調に村を離れてしまったアリマを思い出し、エデンは二人が親子であることを改めて痛感させられていた。




